第七話『氷山の一角』

「先ほどの言葉ですが、地球温暖化というのは要するに単に気温が上昇するということではなく、それによって引き起こされる異常気象と言われています。 なので、冬は例年よりも寒いということだって起こるんですよ」


「おー、なるほどな。 将来教師にでもなりそうだな、冬木は」


 それから歩くこと数分。 沈黙が続くのかと思ったが、冬木がそう切り出してきた。 どうやら冬木はまだ話たりないらしい。 いつもは日が暮れるまでクラス委員室で話しているから、俺も物足りなさを感じていたところだから丁度良かった。


「将来のことはまだ考えられませんね。 夢という夢もありませんし」


「一緒だな。 小学生くらいの頃は、もっとこうやりたいこととか、なりたいものとか、あった気がするんだけど」


「小学生……ですか。 私は、あまり良い記憶はありません」


 言われ、思い出す。 冬木が丁度比島さんにお世話になることになったのもそのときだ。 発言としては少し無用心だったかもしれない。


「悪い」


「え? あ、いえ、そういうつもりでは。 今は楽しいのでそれで良いんだと思います。 あのときの一つ一つは辛いことでしたけど、それがなければ成瀬君と出会えなかったかもしれません。 なので、良いとは言えませんが……辛いことばかりではなかったのかな、と」


 俺の言葉に、冬木は慌てたように言う。 逆に気遣わせてしまったかもしれない。


 だが、それがなければ俺と出会えなかった……か。 それは俺にも言えることだ、あの一件がなければ俺は引っ越すこともなかっただろうし、そうすれば冬木と出会うこともなかった。 それはきっと、誰の人生でも言えることだろう。 一つ一つが何かと繋がっている、行動が一秒ズレただけで人生すら変わるかもしれない。 だからこそ今が、余計に貴重なものだと思える。 一つ一つは些細なことであっても、それらが繋がって今がある。


「そうだな、俺も冬木と会えて良かったと思ってる」


「……」


 言うと、冬木はぼーっとしたように俺のことを見ている。 しかしそれも数秒のことで、やがてハッとした顔つきになると若干早口になりながら口を開いた。


「も、もちろん長峰さんと和解できたこともそうですし、秋月さんと知り合えたことも朱里さんと会えたことも道明さんとのことも含めてです」


「ん? ああ、そうだな。 最初はすげえ冷たかったもんな、冬木」


「……仕方ないじゃないですか、そうするのが一番だと思ってたんですから」


 言うと、冬木はつんと顔を逸らす。 俺も最初はまさかここまで仲が良くなるとは思っていなかったし、冬木も一緒だろう。


「それはそうと、クラス委員の仕事も忘れたらダメですよ。 秋月さんの一件も大事ですが」


 話を変えるように冬木は言う。 秋月の件というのは紙送りのことで間違いないが、クラス委員の仕事ってなんだ? 最近、雑談を交えながらだが冬木が何かしら作業をしていたのは知ってるけど。


「大丈夫大丈夫、あれだろ? えーっと……修学旅行?」


「修学旅行は三年です。 他に思いつく単語はありますか?」


 と、どうやら俺が何も分かっていないのはお見通しらしい。 冬木は敢えて答えを言わず、俺に尋ねてきた。 これはあれだ、小学生などの小さい子相手に「どうして駄目なことなのか分かる?」と悟らせるやり方だ。


「高一で、秋だろ? あーっと……ああ、遠足とか自然教室的な?」


「それは二年です。 秋で、毎年やるもので、大多数が楽しみにしていることと言えば分かりますか?」


「……中間テスト?」


「テストが楽しみと言う方は初めて見ました」


 いやそう言われても。 テスト期間は早く帰れるし、なんなら家で昼食も取れる。 昼のTV番組を見れるというのも中々のメリットで、俺としては楽しみな部類なんだけど。 朱里と昼過ぎくらいからずっとゲームできるし。


「普通はその時間を勉強に使いますが」


「別に赤点取らなきゃ良い話だし。 冬木はかなり勉強してそうだよな……ってなんか思考読まれて会話するのに慣れてきたな」


 それはそれとして、実際のところ冬木の成績はかなり良い。 授業態度こそそこそこなものの、ノートはしっかりと取っているしテストの成績も学年で見てもかなり上位。 それに比べて俺は平均ギリギリくらいだ、授業外では勉強するつもりはないので伸び代も皆無である。


「いえ、勉強は全くしてないですよ。 テスト中に思考を聞けば答えはすぐ分かるので」


「分かりづらい冗談言うな。 俺以外にその冗談通じないからな」


 嘘ではなく冗談だ。 冬木は決してそんな不正は行わない、という冬木の性格を知っているからこそ分かること。


「そもそも成瀬君以外には通じない話ですし。 むしろ余計な思考が聞こえて邪魔になることもあるくらいです」


 確かに、言われてみるとそうかもしれない。 一つの問題を解いているとき、別の問題の思考が聞こえてきたら非常に厄介そうだ。 全員が全員同じペースというわけでもないし。


「中には試験と関係のないことを考えている人もいますしね。 お腹が空いたとか、早く帰りたいとか、眠いとか。 正直迷惑な思考ですよ」


「まーそういう奴は必然的に成績も下がるだろうな、痛い目見れば分かるんじゃないのか?」


「ちなみに成瀬君のことです」


「……まぁずっとテストのことばかり考えると却って効率悪くなるしな」


「そうですね」


 と、冬木は俺に微笑みかける。 なんだその優しい表情は。 俺がめちゃくちゃ情けない奴に思えてきて仕方ない。


「はは……話が逸れたな、えっと……クラス委員の仕事の話だったっけ」


 今度は俺が話を逸らす。 逸らす、というよりも元の軌道に修正したと言った方が正しいか。 元々話していたことは、クラス委員の仕事も忘れるなというもので、そこから確か色々あってテストの話になっていた。


「ああ、そうでした。 それでクラス委員の仕事ですが、学園祭ですよ」


「学園祭? すぐあるの?」


「やはり何も聞いてませんね……」


 冬木は若干呆れたように口を開き、話し始めた。 紙送りが終わると、学園祭の準備が本格的に始まるということ。 俺たちの学校の学園祭は遅めな方で、11月の中旬にやるらしい。 というのも紙送りがあるので、そことの調整が含まれているということだった。 そのために今、クラス委員である俺と冬木はフライング気味にクラス内でやることの準備を少しずつ進めている……らしい。


「今しているのは、必要な材料のリスト作成ですね。 必要になり得るものをリストにして、北見先生に渡し、最終調整は北見先生が行っています」


「へえ……大変そうだな」


「他人事みたいに言うのはやめてもらってもいいですか。 本来であれば負担は半分なのですが」


「……知らなかったし?」


「それは成瀬君が話を聞いていないからです。 私たちのクラスが何をやるか知っていますか?」


「……お化け屋敷?」


「演劇です。 白雪姫をやるという話です。 メインの二人を誰がやるか知っていますか?」


「……俺が悪かったですすいません」


 冬木は若干怒ったように言う。 どうやら俺があまりにもクラスのことに関心を示していないので、それが怒りポイントだったらしい。 とてもまとまっているとは言い難いクラスだが、それでも必死にクラスのことを考えているのは冬木だけではないだろうか。


「白雪姫役は長峰さんで、王子役は秋月さんです」


「なんか怖い演劇になりそうだな……ホラー路線? それともアクション路線?」


 長峰が白雪姫、というのは中々納得できる。 あいつは一応、クラス内でもアイドル的ポジションにいるわけだしな。 しかし王子役が秋月か……それが決まるとき、あいつはさぞ嫌がったことだろう。


「男子は殆どが王子役をやりたがっていましたね、長峰さんの人気あってこそですが、長峰さんが男子じゃなくて女子が良いと言い出し、それなら一番良いのは秋月さんだろうという流れでした。 背も高ければ顔立ちも整っていて、ほぼ満場一致でしたね」


 秋月は言うと怒るだろうが、美形な男子としても通じなくはない気がする。 普段から竹刀を振るっているから体も引き締まっているし。


 しかし男子の殆どが長峰と演劇をやりたいのか……世も末だな。


「俺だったら絶対嫌だけどな。 ちなみに俺ってなんかやるの?」


「成瀬君は私と一緒に現場指揮です。 まだ本格的には始まってませんけどね、紙送りが終わればすぐに始まりますよ」


 それはそれは。 適当に流そうとか思っていたが、そうはいかないかもしれない。 というかあのクラスで演劇か……心底不安だ。 演劇というのはそもそも一体感が必要だし、最近になって段々と分かってきたが俺たちのクラスは継ぎ接ぎだらけのクラスでもある。 俺や冬木が避けられていることもそう、長峰が最近受けているという嫌がらせだったり、西園寺と朝霧の件もある。 見えないところで、まだまだ問題は山積みなのだ。 前に北見が言っていたこと……クラスはバラバラという言葉の意味が最近よく分かってきた。


「何も起きなきゃ良いけど」


「あ、それはフラグというやつらしいですよ。 今の発言によって、何かが起きることが確定事項となった気がします」


「妙なこと言うなよ……」


 しかし、何かが起きるという可能性の方が確実に高い。 何故なら、普段はそれぞれ好きな奴ら同士で組めるものが組めなくなるから。 クラスという単位で行動する以上、普段関わらない者同士も必然的に関わることになってくる。 今のクラスがどのようなグループで分かれているのか知らないが、それは長峰にでも聞けばすぐに分かるだろう。


「そろそろ一休みしたくなってくるな」


「いつも休んでいるではないですか」


 ……ごもっとも。 問題は山積みだが、放置することもできはしない。 放置すれば、その問題たちはやがて耐えきれなくなり崩壊する。 そうはならないように、まずは今回の件なのだ。

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