第五話『秋の夜』

『あーごめん、協力したいんだけど最近ちょっと立て込んでて』


「なら仕方ないか。 今回は俺と冬木でどうにかするよ、何ができるのか分からないけど」


 その後、家へと帰った俺はすぐに部屋へと向かい、ベッドの上で長峰に電話をかけた。 長峰も今は家にいるのか、後ろからは生活音が聞こえてくる。 長峰と言えば妹の美羽だが、最近声も姿を見ていないから寂しくなってきたな……そろそろ朱里に呼び出して貰わないと。


『ごめん』


「え、あぁ、気にすんなよ」


 そんな思考も電話口から思いも寄らない言葉が聞こえてきたせいで吹き飛ぶ。 長峰が素直に謝るなんて明日は雪でも降るのかも知れない。 この辺りは冬になれば毎年雪は降っているらしいが、10月の今は寒い程度で雪が降るほどの気温はない。 だが長峰からそんな言葉が出てくるなんて、天気の崩壊が近いのかもしれない。


『うん。 それでさ、成瀬』


「ん?」


『……いや、なんでもない。 冬木さんは無理するときあるから、気を付けてね』


「分かってる。 俺の心配は?」


『成瀬の心配なんてする必要ないでしょ。 ほら働け働け』


 そんな態度はいつも通りの長峰だった。 長峰も忙しそうにしていたので電話はそこそこに、言われた通りに働くとしよう。 しかし顔が広い長峰の協力が今回得られないというのは少々痛手だ。 俺と冬木というコミュ障コンビで果たしてどうにかできるのかどうか。 どうにもならない未来しか見えないんだけど。


「とりあえず風呂でも入るか」


 冬木に電話するのは夜の予定。 今は夕方の6時、この時間になればもう辺りは暗くなっている。 朱里も家には帰ってきたようで、階下からはドタドタという物音も聞こえていた。 夕飯は朱里が作ってくれることになっているが、まだ時間はかかりそうだ。


 思いながらベッドから立ち上がる。 すると、それを待っていたかのようにベッドの上へ放り投げていた携帯の画面が明るくなった。 視線を向けると、着信画面へとなっている。 知らない番号だったら無視をしていたところだが、その電話主に俺は思わず驚いた。


「もしもし、珍しいな」


『少し用事があってな、話せるか?』


 秋月純連。 秋月から電話をしてくることなんて滅多にないし、今回取り組んでいることの渦中の人物でもある。 そんな秋月から連絡が来るというのは、何かがあったとしか思えない。


「俺は平気だけど、大丈夫なのか?」


『気分転換というやつだよ。 できれば直接話したいのだが、家まで行っていいか?』


 言われ、俺は少しの間考える。


「外暗いし、俺がそっち行くよ」


『そうか、すまないな』


「長峰先生に「女子に対する気配り」を定期的に教えられてるからな、でも今のはモテそうな台詞だろ?」


『その一言がなければ惚れてたよ。 お前が着きそうな時間で待ってる』


 そう言うと、秋月は電話を切る。 良くも悪くもサッパリとした奴で、俺の冗談も軽くあしらわれている気しかしない。 なんだか逆に恥ずかしくなり、俺は壁にかけてある上着を手に取り、朱里に少し出かけてくる旨を伝えて秋月神社へと向かうのだった。




「よ」


「悪いな、急に呼び出して」


 神社へ繋がる階段を登っている最中、その一番上で座り込んでいる秋月の姿が目に入った。 ジーンズにベージュのロングコート、神社での仕事は既に終わっている様子だ。 その姿は座っているだけでもドラマのワンシーンになりそうなほどに凛としている。


「俺は暇人だしな。 それより忙しいのに大丈夫なのか?」


「今日は平気さ、今週末のことで父親と母親で話し合いをしているからな。 秋月神社の巫女と言っても、重要なことは大人が決めてくれる」


 助かるよ、と秋月は言っていたが、それはどこか悲しさのような感情が入り混じっているようにも聞こえた。 蚊帳の外ということが悲しいのか、そこで助力できないことが悲しいのか、どちらなのかは分からないが。


「隣座っていいか?」


「もちろん」


 言われ、俺は腰掛ける。 人一人分ほどの間を空け、俺と秋月は長い階段の下を眺める。


「これ、下で買ってきておいた」


「おお、ありがとう。 長峰の教えか?」


「まぁな」


 あらかじめ自動販売機で買っておいたお茶を渡すと、秋月はクスリと笑って受け取った。 女子に対する気の利かせ方、ということでそれはもう嫌というほど教えられている俺だ。 長峰の思惑としては自分が気持ちよくなれるためにとのことは明白なので、長峰以外には率先して行うことにしている。


「寒いのは嫌いだな、この時期から年を越して暖かくなるまで、神社の掃除などをしているときは心底嫌になってくる。 夏も嫌だが」


「ジャージでか?」


「あれは親がいないとき限定だ。 親の目があれば叱られる、巫女装束では冬の風は身を貫くようだよ」


「……確かに寒そうだな。 バイトでも雇えばいいのに」


「まったくだ、そうすれば私の負担も減るというのに」


 俺が言う提案に賛同したのか、秋月は腕を組み、眉を顰め、うんうんと唸る。 どうやら秋月神社の経営については思うところがある様子だ。


「幼い頃は掃除ばかりだったよ。 母親に教えられ、毎日毎日……懐かしい。 舞いや祈祷を学んだのは中学に上がってからだったな」


「ってことは、中学のときにはもう遊べる時間も殆どなかったのか」


「いいや、あったさ。 それは今も一緒なんだ、毎日は無理だが……作ろうと思えば作れる時間だった」


 秋月は言い、両手を暖めるようにお茶を持つ。 視線を落とし、昔を思い出しているようだった。


「私の性格がそれを邪魔していた。 友人なんて作るだけ無駄、面倒なだけで自ら面倒なことを増やす理由もない。 それならば神社の仕事をしていたほうがまだマシだと考えていた」


 秋月は小さく笑う。 それは笑いというよりも、もっと違う別の何かだった。 俺もかつてはそう考えたことがある、冬木だってそうだろう。 それぞれ別の方向で友人関係、人間関係の構築というのを邪魔なものだと考えていたのだ。 冬木の場合は人の思考を恐れて。 秋月の場合は面倒事だと切り捨てて。 俺の場合は……。


「だが今は違う。 冬木や成瀬、長峰と知り合えて良かったと心の底から思っている。 他にも、お前たちと繋がることで言葉を交わすことになった奴らも多い。 面倒だと思うときもあるがな」


 今度の笑顔は、それこそ素直な笑顔だった。 それを見て俺も笑う、そう思ってもらえるようになっているなら何よりだ。


「こうして今も、お前に話すことができている。 前までなら誰にも話さず、もしかしたら私はおかしくなっていたかもしれない」


「……いろいろ抱え込みそうだからな、お前は。 吐き出す相手が俺で良いならいつでもどうぞ」


 分かっていたことだ。 他ならぬ秋月自身が誰よりも辛い思いをしていることなんて。 来る日も来る日も紙送りのためにと備えてきて、それがこの時期になって何もかも無駄になってしまうとなっているのだ。 長い間してきたことがなんの前触れもなく意味がなかったなんて……悔しいに決まっている。


「それも長峰の受け売りか?」


 その質問に答えるのは、少々気恥ずかしく、秋月の顔を見ることができない。 俺はできるだけ自然に見えるように空へと視線を移す。 星がいくつも瞬く夜空は、都会では見られないような美しさがあった。


「今のは違う。 そんな変なこと言ったか? 俺」


「いいや」


 そこで違和感を覚えた。 秋月の声が震えているような、そんな気がした。 笑いを堪えているのかと俺は思い、視線を秋月へと向けようとする……が、その瞬間に秋月は声を張り上げた。


「見るなッ!!!!」


「うお……おう」


 思わず体をビクリと動かす。 だが、視界の隅に一瞬映った光景は俺の予想外のものだった。 秋月は――――――――泣いていたのだ。


「……すまない、だが人に見せられる顔ではない」


「……少し驚いたくらいで別に大丈夫だけど」


 ここでコミュニケーション能力抜群の奴ならどんな行動に出るのだろうか? 頭を撫でるとか、肩に手を置くとか、そういうことか? いやでも、それはただの馴れ馴れしい男な気がしてならないのと同時に、万が一にでも秋月にそのようなことをすれば殺されるかもしれない。 やはり俺には少し難しい。


「私は、悔しいんだ。 悔しくて、悔しくて、悔しくて堪らないんだ。 ふざけるな、私の努力をなんだと思っている! 私がどれだけ時間を割いたと思っているッ! 今年の紙送りを楽しみにしている人も大勢いるんだッ!! それがなくなるなんて、あんまりだろう……!」


 秋月が怒るということは良くある。 が、それはあくまでも誰かのためであることが多いし、一般常識に則ったことが全てである。 こうして、自らの感情の赴くままに気持ちを吐露している秋月というのは初めて見た。


「私の親は言っていたよ。 お前にとっては面倒なことだから、ない方が良いかもしれないが、と。 私の性格を知っているからの言葉だろう、だが何も分かっていない。 もちろん最初は面倒なだけだったさ、気持ちもきっと向いていなかった。 けどな、けど……今ではもう、私にとってはなければならない物なんだ」


「そんなの言葉を聞けばすぐに分かる」


「……ああ、だからお前に話をしたんだ。 話せばスッキリすると思って、ある程度落ち着けると思って。 身勝手なことをしてすまなかった」


「そっち見ても良いか?」


「え、あ……ちょっと待ってくれ」


 言うと、秋月は隣で鼻をかむ。 数十秒ほど経ったあと、秋月の声が聞こえた。 秋月に呼び出された時点で大体こういうことになるとは思っていたが、正直泣かれるとは思っていなかったから面を食らった。 というか、泣くのはさすがに反則だろ……それをされて「そうか、じゃあまた」みたいに帰るなんて俺にはできそうにない。 できればそれくらい図太い神経があれば、もっとのらりくらりと楽な生き方をできたのだろうが。


「大丈夫だ」


 やがて声が聞こえ、俺は秋月に顔を向ける。 街灯で照らされた目元は赤く、目も赤い。 だが凛とした雰囲気は依然として変わることなく、いつもの秋月純連がそこにはいる。


「今回の件、俺と冬木も協力して絶対にどうにかしてみせる。 何がなんでもだ、約束する」


「……ありがたいことだが、それを約束するとどうにもならなかったとき、私から要らぬ恨みを買うかもしれないぞ」


 そんなことを秋月はしないだろうと思うが、最もな言葉だ。 この世に絶対ということはない、俺と冬木ではどうにもできないことかもしれない。 事が事だけに、力不足なのは明らかなのだ。


「そんときはそんとき、好きなだけ恨んでいいし、なんなら俺のことを好きなだけボコして良い。 で、気が済んだら美味い飯でも食べに行こう。 奢ってやるからさ」


「ふふ……本当に馬鹿だなお前は。 今のうちに高い寿司屋でも探しておくよ、覚悟しておけ」


「失敗前提にするなよ……まぁそういうわけだから、お前も諦めるなよ。 それと考え込みすぎるなよ」


「ああ、分かった。 冬木の気持ちがなんとなく分かった気がした」


「……なんで冬木?」


 唐突に出てきた冬木の名前が良く分からず、俺はそう返す。 が、秋月は笑って答えた。


「なんでもないさ、時間を取らせて悪かったな。 家まで送っていくか?」


「俺一応男なんですけど……いらないよ、じゃあな」


「また明日。 ありがとう」


 深く下げられた秋月の頭を横目で見たあと、俺は若干の恥ずかしさを覚えながら帰路に就くのだった。

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