第6話『所謂、デート』

「んっふふー」


「なんだよ……」


「なんでもないよー! ふっふふ、んふふ……」


 次の日、その昼前頃に家を出るべく玄関で靴を履いていたところ、後ろから気持ちの悪い笑い声が聞こえて来た。 もちろんその相手は朱理、これからのことを知って笑っているのだろう。


「……行ってきます」


「はいはーい! いやぁおにいがまさか同学年女子とデートするなんてね!」


「おい黙って送り出せよ。 ていうかデートじゃない、クラスの仕事だ」


「朱理ちゃん風に解釈すると、それはもうデートだよおにい! 頑張ってね!」


「お前の解釈は大体間違ってんだよ。 ああ、つうか元よりお前の企みだろ、これ。 冬木の方から図書館の話出してきてたぞ」


 俺が言うと、朱理はぽかんとした顔をする。 俺の言葉は朱理の想定外だったのか、恐らくこれは冬木の誘い方が悪く、本来であればもう少し自然に誘い、朱理が裏で動いていることはバレないつもりだったのだろう。 どこでどうやって仲良くなったのかは定かではないものの、朱里であれば不思議ではない。


「……へ? いやいやおにい、何言って」


「俺に嘘吐いたって意味ねーよ。 そんじゃ行ってきます」


 朱理の方をチラリと見たら、黒い霧は存在しなかった。 だが、それは朱理の言葉選びがうまかったのだろう。


 どういうわけか、俺の眼は意図した嘘でなければ見破れない。 本人が本当に勘違いしていること、つまりは意図的ではない嘘は見破ることができないのだ。


 それと一緒で、曖昧な返事や嘘を吐かない言い回しをされると見破れない。 当然朱理もそれを知っており、俺に嘘こそ吐かないものの、都合の悪いことを聞かれた場合は誤魔化そうとしてくる。 朱里なりの俺対策というわけだ。


 俺の言葉に朱里は尚何かを言い続けているが、時間があまりあるわけではない。 大変心苦しいが、朱里を無視し家を出て行く。 うん、今日も良い天気だ!


 待ち合わせの時刻は昼の12時、今現在の時刻は11時。 朱里情報によると、我が家からは三十分ほどあれば絶対に着けると言うが、万が一迷ったときのために早めの外出である。 それこそもしも迷って遅れたとき、連絡を取る手段が残念ながらない。 冬木の連絡先なんて知っているわけがないしな。


「にしてもさみぃな」


 4月もそろそろ後半戦だというのに、冬はどうやらまだ終わりたくないと言っているようだ。 薄手の上着を着込み、俺は殺風景な道を進んでいく。 引っ越してきた当初は何もなさすぎてどうすんだと思ったものの、案外駅方面まで歩けば賑わっているということを知ったっけか。 数年前までは本当に何もなかったと母親は言っていたけれど、こういう田舎もどんどんと都会っぽくなっていくのだろうか。


 だがまぁ、それでも田舎は田舎だ。 田んぼはあるし川もある、遠くを見れば山もあるし、片側二車線の道路なんて存在しない。 むしろ片側半車線と言った方が適切なくらいである。 車が通れば脇に寄らなければ轢かれてしまう。 そんな田舎道を歩きながら、駅へと向かって歩いていった。




 冬木との待ち合わせ場所は、駅前にあるCDショップだ。 古くからあるらしく、冬木は「一目見れば分かる」と言っていたが……。


「確かに一目で分かるな」


 雑多に並んだ店の一つに、やけにボロい建物とやけにボロい看板があった。 その看板には『ジャズ専門店 比島ひしま音楽屋』と書かれている。 勝手な推測だが、冬木はここでCDを買っているのだろうか。 あいつ、ジャズをいつも聴いていると言っていたし。


 そして、その店の前に冬木は居た。 水色のワンピースに肩から下げたポーチ、靴はパンプス、てっきりジャージか何かでくるんじゃないかと思っていたから驚いた。 一応、冬木も女子らしい。 というか、冬木の背の小ささも相まって意外と似合っている、変に大人びた格好よりも余程に。


「よう」


「……こんにちは」


 横から近づき声をかけると、冬木はこちらを向き、小さく頭を下げた。 礼儀正しいと言えば礼儀正しいが、この距離感ある対応が冬木らしいと言えば冬木らしい。 未だ、俺と冬木の間には明確な距離というものがあるのは間違いない。


「意外と早いんですね」


「そりゃお前の方だろ。 俺より早いじゃん」


「当たり前です。 ここが私の家ですから」


 言いながら、冬木は比島音楽屋を見上げる。


 ……なるほどね、だからここを待ち合わせ場所にしたわけか。 楽をしやがったなこいつめ。


「別に楽をしようとしたわけではありませんが」


「っと……口に出てた?」


「もう少し気を付けた方が良いですよ。 一応言っておきますが、学校やその周辺を待ち合わせ場所にするより、駅に近いここを待ち合わせ場所にした方が効率的だったからです。 駅に近ければ他の場所でも構いませんし、私も特にこだわりはしません。 それとも、成瀬君にここより最適な場所を指定できますか?」


 ……うん、俺が悪かった。 だからそんなに言葉を並べて責め立てないで欲しい! 俺意外と打たれ弱いから!


「すいませんでした。 けど、それでジャズが好きなんだな、お前」


「別に好きというわけではないです」


 黒い靄が、冬木の周囲に漂った。 どうやらそれは嘘、冬木はジャズが好きということだ。 こういう風に人の秘密を知るというのは悪い気がするし、良いことではないと思う。 けど、そういう力を持ってしまったからには人のために何かをしたいとも、思う。 平気で嘘を吐く人間は怖いし、関わりたくない。 だがそれでもやらなければならないことというのは存在するのだ。


「ふうん……あれ、でも」


 冬木の言葉を適当に流し、その比島音楽屋を覗き込む。 どうしてだろう、冬木はここを自分の家だと言ったが、店名からして明らかに冬木とは関係なさそうに見える。 なんだか少しそれが引っかかったものの、聞かれたくないことかもしれないとも同時に思った。


「行きましょうか」


 が、それも幸いなことに冬木が言い出し歩き出したことにより、霧散していく。 ここ少しの間、学校がある日は毎日冬木と会話はできていたが、それを経て少し分かったことがある。


 冬木空という人物は、会話の主導権をこれでもかというほどに握ってくるのだ。 言おうとしたことを先読みしてくるし、こうして先導し会話を進めてくることが多い。 なんだか話しづらい、というのは少し感じるものの、これの所為で冬木が周囲から避けられているわけではないだろう。 冬木自身、話してみれば案外面白い部分もあるし、性格の悪さなんて微塵も感じられはしないしな。 ……口調はキツイけど! それさえ直れば完璧である、完璧女子冬木空、言ったら汚い物を見る目で見られそうだから黙っておこう。


「休日に誰かと出かけるのなんて久々だよ俺」


「でしょうね」


 笑いを取るための自虐ネタであったが、冬木は見下すような視線を向けてそう言う。 なにこいつドSなの!? 俺そんなに引きこもり体質に見えるかな!? お前の知らないところで予定ぎっしりかもしれねえだろ! 現実は真っさらだけどさ!


「そう言う冬木もそうだろ? 休日に出かけるの」


「……私の場合は勉強があるので。 成瀬君の場合は違うでしょう、目的のために出かけないのと、目的がないために出かけないのには明確な違いがあります」


 なにその決めつけ酷いっ! 俺も一応は勉強するんだぞ!? 朱里と一緒にクロスワードパズルとか、小学生向けのなぞなぞとかだけど。 いやでも良く言えば頭の体操ってことだから間違いじゃあない。


「それよりも、成瀬君はどうして私に付き纏うんですか」


「いきなりストーカー扱いみたいな発言やめてくれ……。 昨日も言ったけど、なんとなく面白そうだからだよ」


「それは」


 冬木は言うと、一瞬目を伏せる。 少しの間を置き、俺の方へと顔を向ける。 吹く風は冷たく、貫くように俺と冬木の間を過ぎ去っていく。


「それは、自身の立場を差し置いてでもしたいことですか。 私が周囲から避けられているのは知っているでしょう。 私と居れば、どうなるかが分からない成瀬君ではないでしょう」


 冬木は、自らが避けられているということを認めている。 それをできるのは、きっと冬木が強いからだ。 自分が避けられていることを認知し、更にそれを認めるような発言をできる奴なんて中々いない。 俺だって自分では分かっているものの、他人に「お前は人から避けられているのか」と問われたとき、きっとそれを認めはしないだろう。 それを認めるのは、冬木空が大変現実的な考え方を持っているからに他ならない。


「……ま、お前には別に話しても良いけど。 俺も俺でわいわいしてる中に入っていけるような奴じゃないしさ。 それにお前相手だとなんか安心して話せるっていうか」


「傷の舐め合い」


 俺が言うと、冬木は冷たく言い放つ。 まるで冬の風のように冷たい声、それは俺の心に痛いほど突き刺さる。


「世間一般では、それは傷の舐め合いと言います。 弱者と弱者、一人では立ち上がれない弱い人たちがそれを好み、弱いままを受け入れ一人で歩ける強さもない。 私はそんな傷の舐め合いをするつもりはありません」


 ハッキリと、歯に衣着せぬ言い方で冬木はそう言い切った。 その言葉に、冬木の心に嘘はない。 冬木のように強い奴なら、きっとそれは果たせることなのだと思う。 俺は今更ながら、冬木の力強い言葉を聞いて思い知った。


 俺と冬木は違う。 決して、同類などではない。 似たもの同士であれど同類などではない。 俺は冬木の言うところの弱者であり、一人で立ち上がる力もなければ歩ける力も持っていない。 今日この日まで歩けてきたのは朱里の存在があったから。 そしてこれから先も、俺は誰かの力を借りながら歩き続けるのだろう。 そんなことを思い、俺はどこか冬木を同じ視点の奴だと思っていたことを恥じた。


「……まぁ良いです。 それを伝えたかっただけです」


 言い、冬木は歩き出す。 俺はその後ろを付いて行く。 小さい背中は、今の俺には届きそうにもなかった。

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