第5話『所謂、宿題』

「マジ? 超進歩じゃんそれ!」


「そうかな?」


 その日の夜、俺は自分の部屋に妹の朱里を呼び、今日の出来事を話していた。 冬木と一緒にクラス委員をやることになったこと、多少ではあるが世間話をしたこと、そしてやはり冬木には何か隠していることがあるということ。 事の詳細まで正確にというわけではないが、大雑把な流れは話した。


「うんうん、進歩だよ。 だっておにいに友達ができて、冬木さんにも友達ができて、二人ともハッピーじゃん」


「いや別に俺はハッピーじゃねえけど。 ていうかそもそも友達じゃない」


 もっと言うなら、冬木もきっとハッピーではないだろう。 冬木が人を嫌いだというのは嘘だとして、人と関わりたくないのは嘘だとしても、俺と友達になりたいとはきっと微塵も思っていないはず。 その逆も然り、俺とて別に冬木と友達関係を築きたいわけじゃあない。 俺が冬木に接触しているのは、あくまでも嘘を吐いている冬木が見過ごせないというだけの理由だ。


「まったくおにいはなんでそう照れるかなぁ。 第一、女の子って寂しがり屋なんだよ?」


「じゃあお前は女の子じゃなかったってことか。 すげえ納得したよ」


 朱里は今現在、俺の部屋の床で寝転がりながら漫画を読んでいる。 朱里はよく俺の部屋にこうして暇潰しでやってくるが、それは何も寂しいからではなく、ただの暇潰しでしかない。 昔、二人で夏祭りに行ったときに朱里が迷子になり、俺は必死に探したのだが、見つけた朱里はわたあめやらお面やらを付けて祭りを謳歌していたという過去がある。 たくましいといえばたくましいが、兄である身としては若干寂しい限りだよ。


「女の子だよ! 見る!?」


「何を!?」


 こいつヤバイかもしれない。 服に手をかけるな、妹のそんな姿なんてお兄ちゃん見たくありません。


 ……さすがに外でこんなことやってないよな? 少々心配になるが、外面は良い妹だし大丈夫だろう。


「話を戻すけど」


 朱里は一度咳払いをし、その場に正座をした。 読んでいた漫画は読み終えたのか、畳まれた状態でその脇に置かれている。


「前まで無視されてたし、昨日なんか正面から嫌いって言ってたのに、今日は普通に話せたんでしょ?」


「普通って言われると微妙だけどな」


 そう言われて少し考えてみる。 考えてみた、が……普通に話せたという基準がそもそも分からなくなっていた。 一体どれほど突っ込んだ話をしたら、普通に話せたということになるんだろう。 朱里に聞いたらため息でも吐かれそうだから言わないけど。 普通の基準ってめちゃくちゃ難しくない?


「もー、おにいは否定否定否定ばっかで駄目駄目だよ。 良い? そんなおにいにあたしから宿題!」


 朱里は俺に指を突き付け、そんなことを言い始める。 妹に宿題を出されるとか俺は何歳児だよ、兄をもっと慕えという宿題を出すぞこの野郎。


「おにいと冬木さんはクラス委員になったんでしょ? で、クラス委員は実質雑用係で……うん、オッケー」


「お前のその笑顔怖いんだけど……」


 俺の言葉を無視し、朱里は続ける。 どうやら俺は人に無視される素質があるのかもしれない。 素質っていうか欠点だろこれ。 いつかやるであろう就職面接で、自身の悪いところを「人に無視されることです」って言わないといけないわけ? 落ちる未来しか見えねぇ!


「駅の方に図書館あるの知ってる?」


「は? 図書館? いきなりなんだよ」


「5月末に校外学習があるって話だよ。 ええっと、神中山かみなかやまの方だよね?」


「そうなの?」


「なんでおにいが知らないのさ!! ああもう、一応あたし情報だと、高校の校外学習はそっちでやるはずなんだよね。 で、主なルートとかは毎年違うんだけど……たぶん、おにいたちがやってるのはその資料整理だと思うんだ」


「おー、なるほどな」


「……ちょっと殴りたくなってきた。 それで!」


 強く言うと、朱里は床をバンと叩く。 母親は今夜勤でいないから良いけど、寝てるときにでもやったらしばかれそうだ。


「おにいには、冬木さんと一緒に図書館に行く宿題をあげます! 期限は二週間!」


「んー……無理かな」


「答えはやっ! そこをなんとかしてこそのおにいでしょ! たった一日で会話はできるようになったんだから、二週間もあれば余裕だって、よゆー!」


 果たしてどうだろうか。 朱里はだいぶ説明を省略しているけど、恐らく言いたいことは「校外学習で行く神中山の資料を図書館で集めなさい」ということだろう。 確かにそれをできれば教師からの評価は上がるだろうし、二人で出かけるとなれば冬木にも近づける良い機会であるのは間違いない。 だが、問題は俺が冬木を誘う気はないし、冬木も俺を誘う気は当然ないということ。 お互いが嫌がっているというのに、どう転べばそんな無理難題が実現できようか、といったところである。


 いっそのこと、残された二週間で朱里と入れ替わる方法を探した方が早い気がする。 朱里に変装してもらい、俺の代わりとして高校に行ってもらって……。


 顔、違う。 声、違う。 性格、違う。 背丈、違う。 体格、違う。 何もかもが違っていた。


 いやけど、世の中には頭同士をぶつけて人格が入れ替わりました、なんてことが蔓延っているのだから、諦めるのは良くないだろう。 なんせ、この俺も嘘を視るという能力があるわけだし。 朱里が実は他人と人格を入れ替えられる能力を持っていたとしても不思議ではない、むしろそうであってくれ、それが良い。 でなければこれから二週間、朱里と頭をぶつけ合う日々が待っている。


「おにい、現実逃避してるときの顔してる」


「なんで分かるんだよ怖いよお前」


 一体どんな顔をしているのか気になるな……余程間抜けな顔でもしていたのだろうか。 まぁそれは置いといて、朱里はどうやら俺に対する宿題を取り消すつもりはないらしい。


 ……ま、無視しちゃえばいっか!


「オッケー分かった、俺に任せとけ朱里」


「あ、一応言っておくけど、もし宿題達成できなかったらおにいに襲われたって学校の友達に言うから」


「社会的に殺そうとすんの!?」


 この場合、もっとも恐ろしいのは田舎の噂が広がる速さである。 生徒から親へ、兄妹へ、そして近所へ。 その広まる速度は時に光の速さを超えかねない。 もしも仮にそんな噂が広まれば、俺がこの地で生きていける保証はなくなるというわけだ。 なんつう鬼畜な妹だ……。


「わ、わかった、頑張ってみる」


「あたしにはおにいが本当に頑張ったかどうかくらい分かるからね。 ちゃんとやらないと本当に言うから」


 ……残念ながら、その言葉は嘘偽りではないようだった。




 一週間と少しが経過した。 具体的に言うと、一週間と三日が経過した。 4月の21日、今日は金曜日、明日と明後日は休みである。 本来なら喜ぶべき場面であるが、生憎俺にとっては学校に行かなくて良い日、イコール冬木と会えない日ということになり焦りが生まれる。 当然、今日この日まで冬木を誘えたわけがない。


「……今日も良い天気だなぁ」


「そうですね」


 このように、話しかければ返事をしてくれるだけマシである。 今は放課後、クラス委員の俺たちは今日も今日とて空き教室で作業の日々だ。 一応、クラス委員はクラス内の相談役という役目もあるものの、俺と冬木というコンビに絡んでくる輩はいない。 ちなみに俺は未だにぼっち、冬木もぼっちである。


「冬木って、休みの日は何してんの?」


「他人のプライベートは尊重すべきかと。 それと、そんなことを気にするくらいならもう少し手を動かしてください。 私の今までの作業量の半分程度しか仕事をしていない成瀬君。 もしもこのまま日が経てば、成瀬君がし損ねた仕事が私に回ってくるんですよ、他人にかかる迷惑というのを少しは考えてください」


「……すんません」


 辛辣である。 冬木は話してくれるようになったものの、態度は相変わらず氷のように冷たい。 というか痛い、心が痛い! 他愛ないことを聞いただけで俺はどれだけ傷を受けなきゃいけないの!? そして、その言葉が嘘ではないと分かる分だけダメージが大きい……。


「基本的には勉強をして過ごしています。 学校では音楽を聴きながらできない分、家での方が気楽にできるので」


 おお。


「おお!」


「な、なんですか」


 おお、思わず声に出してしまった。 いやいや、感動のあまり思わず口に出てしまった。 冬木に質問をし、ちゃんと答えが返ってくるのがこんなに嬉しいとは!


「いやなんでもないない。 そういや冬木っていつも音楽聴いてるよな、ジャズは前に聞いたけど……他にはどんな音楽聞いてるの?」


 前に、そういうやり取りがあった。 ただ、話すべきことではないほどの他愛のないやり取りだったと思うけど……あのときは冬木の冷たい目付きがこれでもかというほどに刺さったな。


 というのも、俺と冬木は二日目にとある賭けをしてゲームをしている。 そのおかげもあり、こうして放課後のクラス委員室では無視されていない俺なのだ。


「答える義理はありません」


 おっと……まぁそうか、さすがに突っ込みすぎた質問だったかもしれない。 いくら答えてくれたからといって、調子に乗るのは良くないか。


「……ジャズの他には洋楽です。 これで良いですか」


 答えるのかよ! しかもなんだ今の間は。 なんかこいつと話していると、時折妙な間があるんだよな……その間、冬木の中でどんな葛藤があるのかは知らないが、答えてくれたのは少し嬉しい。


「成瀬君の質問に答えたんです、私からの質問にも答えて頂いて良いですか」


 冬木は言うと、珍しく作業の手を止め、俺の方に顔を向けた。 放課後の教室、外からは運動部の声が聞こえ、校舎内には吹奏楽部の音楽が鳴り響く。 数瞬、俺と冬木の間には言いようのない空気が流れた気がした。


「成瀬君は、どうしてそこまで私に構うんですか。 そこになんのメリットがあり、一体何が狙いなんですか」


「……んー」


 また、難しい質問をしてくる奴だな。 俺は言われ、思い悩む。 どうして構うか、なんのメリットがあるか、そして何が狙いか。 素直に答えると、そこにあるのはただの俺の我侭だけだ。 朱里も関係なく、冬木も関係ない。 ただの俺の我侭、嘘を吐いていた冬木が心の底で思っていること、そして冬木が楽しく学園生活を送れること、それがきっと望みにはなるのだろう。


 ……今まで出会ったことがないタイプだったからかもしれない。 面と向かって人に嫌いだと言葉を浴びせる奴は、大体それは嘘ではなく本音であるからだ。 嘘を吐いてまで人に嫌われたい、避けられたい、そういう行動を取る奴は今まで見たことがなかった。 その部分が冬木の場合、絶対的におかしい。


 人はどこかで人と関わりたがる。 俺も一緒で、友達こそいないものの朱里とは仲良く兄妹をやっているとは思う。 俺が唯一気兼ねなく話せる相手、それが朱里でありただ一人の妹なのだ。 そういう風に、いくら人のことが怖くなったとしても、どこかで関わらなければ人はきっと生きていけない。


 それが、気になった。 周りは決して最初から冬木のことを避けていたわけではないだろう。 だが、冬木がその状態を作り出している。 人に冷たい態度を取り、一人を好まずして一人で居る。 そんな矛盾がどうしようもなく気になって、仕方ない。


「……面白そうだから?」


「は?」


 当たり障りなく、俺はそう言った。 というよりも、どんな言葉が良いか考えていたらそんな言葉が出てきていた。


「面白そうとは……不愉快です。 私みたいな人間を近くで観察するのが面白いと、そういうことですか」


 嘘ではない。 冬木は本当に不愉快だと感じている。 だから、俺はその言葉を聞いて安心できた。


 やはり、冬木は人のことを避けたいとは本音で思ってはいないのだ。 本当に避けたいのなら、俺の言葉なんてこれっぽっちも気にはならないはずで、だから俺の言葉を気にしている冬木は、人のことが嫌いではない。


「語弊があったな、悪い。 俺も色々事情があってこっちに引っ越してきたけどさ、お前みたいな奴は見たことないんだよ」


「……人に嫌われやすい人は、腐るほどいると思いますが」


「説明すんのは難しいな……。 とにかくあれだ、別にお前に危害を加えようとか、貶めようとか、そういうわけじゃないからさ」


 さすがに、俺には他人の嘘が見えるからとは言えまい。 言ったら言ったでただの頭のおかしい奴でしかない。


「分かりました。 では、私も少しムキになるとします」


 冬木は言うと、小さく笑った。 本当に小さく、僅かな表情の変化さえ今までなかった冬木が、笑った。


「……成瀬君、明日か明後日のご予定は?」


「へ? お前俺に予定があるとでも?」


「当然のように言われると哀れんでしまいそうになります。 ですが、そうであるなら好都合ですね」


 言い、冬木は未だに俺のことを見ていた。 その手は止まっており、そして次に発した言葉は俺の思考を止めるには十分過ぎるもので。


「明日のお昼頃、図書館へ行きましょう。 名目上は校外学習で使う資料集め、ということで」


 ……こいつ、察しが良いというかなんというか、俺がどう誘おうか悩んでいたことをあっさりと言いやがった。 てか、まさか冬木の方から誘われるとは思わなかった。 まさかとは思うが、俺と同じことを考えているとか? それともあいつ、朱里か。 朱里が見兼ねて裏で何かをした、それが一番考えられる。


「お、ああ、俺は良いけど……ん、名目上?」


「はい、名目上。 きっと、帰る頃には私は私で見極めることができますし、成瀬君も化けの皮が剥がれると思うので」


「なんだそりゃ……。 いやまぁ、それなら俺も喜んで」


 妙な雰囲気、そして妙なことを言う冬木は、その日俺の頭から離れることはなかった。

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