第3話『所謂、勘違い』
次の日、教室に入った俺は自分の席へと腰掛ける。 俺の前の席に座るのは冬木だ、今日も外をただ眺めているだけで、俺の視界にはそんな冬木の横顔が映っていた。 そしてとりあえず観察するとは言ったものの、それに伴い距離を詰めていくという行為も大事だろう……朱里のアドバイスだが。 あいつのアドバイスを全部鵜呑みにするのは危険極まりないけど、要所要所で参考にしておくのは悪いことじゃないはず。
「おはよう」
俺が声を掛けると、冬木はゆっくりこちらへ視線を向ける。
「……」
そして再度、景色を眺め始めた。
……今こっち見たよな!? 明らかに自分に挨拶されたって分かって無視しましたかね!? それちょっと酷くない!?
ううむ、やはり冬木は他人との接触を極端に避けているようだ。 まぁこれは分かっていたこと、いちいちヘコんではいられまい。 これから徐々に距離を詰めていけばいい。
そして、そんな出来事は唐突に訪れる。
「えー、それではクラス委員を決めようと思います。 やりたい人はいる?」
授業が終わり、帰りのホームルームの出来事である。 担任である女教師……名前は忘れた。 が、教卓の前に立つとそんなことを言い始めた。 もちろんであるが、名目上クラス委員、実質的雑用を好んでやる奴は存在しない。 そのため、この話し合いは誰かが折れてやるしかないのだ。 他の委員会はほぼ全てが決まっており、残された最後の役割というのがそれだ。
「……まぁ誰も好んではって感じよね」
数秒の沈黙。 その意味を教師も悟ったのか、苦笑いをしつつそう言った。 委員会の割り振りの最後のそれは、既に適当な委員会に属した人たちからすればとっとと終わって欲しいことに過ぎない。 逆にどこにも属していないのなら、妙な流れで自分にならないことを祈るばかりである。 言わば無音の戦いがそこには存在する……!
長年の経験から、これはとても長い戦いになる。 そして、最終手段である教師の指名を避けなければならない。 その方法は話を聞いているものの目立たないようにする……というのが正攻法だ。 教師の方に顔は向けるものの、眼を合わせすぎることなくあからさまに逸らすわけでもなく、その加減を絶妙に調整しながら指名を免れるという方法だ。 多少でもミスれば致命的なものとなり、指名を受けてしまう可能性が非常に高い。
だが、それはあくまでも正攻法であり、俺は違う。 些細なミスが最悪の結果を招くくらいであれば、多少の心象は捨てるという方法を俺は取る。
「……」
と、そんなことを考えているときに冬木がチラリと俺の方に顔を向けた。 きっと、その視線は「私に話しかける元気があればあなたが是非やってください」というものだろう。 まぁこいつは無視だ、今は邪魔。
一旦冬木は置いといて、俺は教師に顔を向ける。 困ったように教室内を見渡す教師は、やがて俺と目が合った。 その瞬間、俺は教師を睨む、睨む、睨む、睨む、睨みつける。 その視線だけで殺しかねないほどに睨みつける。
「ひっ……」
そうだ、昔から雰囲気がなんか怖いと言われる俺が使える最終手段、脅して指名を免れるという方法だ。 それを使うには若干気の弱そうな教師というのが条件であるが、今回であれば問題あるまい! もしも俺を選んだらどうなるか分かってるな? といった具合に睨みつけてやれば良い。
「え、えーっと……困ったわね」
俺からあからさまに視線を逸らす。 この時点で勝ちは決まっており、教師は俺を指名することはないだろう。 後は気楽に誰がクラス委員という雑用係をやるかというのを待つだけである。 安泰安泰。
「てかさてかさ、クラス委員って実際何やるの?」
そこで口を開いたのは、ショートの黒髪の女子だ。 大きい目にスラッとした体型、モデルと言われても違和感がないほどの美貌の持ち主で、この場でそんな大胆な発言を出来ることから、クラス内でも中心的な女子というのが伺える。 アイドルもどきというあだ名にしておくか。
「えっとね……
教師はその女子の名前を若干遅れて言う。 まだ入学してからの二日目で名前を覚えるというのは無理がありそうだが、しっかりと覚えていたことから熱心な教師なのかもしれない。
「クラス委員は、特別な日や私用がなければ、毎日五時まで学校に残ってもらうことになるの。 主にクラス行事へ向けてのお仕事とか、後はクラス内での相談役という役目ね」
「うわー、超面倒くさそう」
「マジ? やる人いないっしょそんなの」
教師が言うと、クラス内から様々な声が上がる。 とは言っても、その殆どは否定的な意見で肯定的な意見は皆無。 当然だろう、毎日午後五時まで強制的に学校に残らされるとは、苦行以外の何物でもない。 それなら茶道部にでも入ってお茶を飲んでいた方が絶対良い。 俺、お茶好きだし。
「えー、わたしは結構楽しそうだと思うけどなぁ」
が、そんなクラス全体の意見に真っ向から歯向かったのはアイドルもどきであった。 驚くことに、たった今アイドルもどきが発した言葉に嘘はない。 嘘偽りなく、楽しそうだと感じたのだ。
……随分と奇特な奴も居たもんだ。 恐らくこのアイドルもどきは、生粋の善人か生粋の馬鹿、または変人で間違いない。 少々驚いたが、実際やってみたらすぐに音を上げるタイプだろうな。 俺の独断と偏見である。
「そうねぇ、長峰さんに是非やって欲しいんだけど、風紀委員との掛け持ちは難しいでしょ?」
「あー失敗! 風紀委員なんて入らなきゃ良かった!」
まるで興味がなかったので全く聞いていなかったが、どうやらこのアイドルもどきは風紀委員らしい。 あまり多忙ではなく、かと言ってイメージ的には大変良い風紀委員を選ぶとは、その爽やかな笑顔とは裏腹に腹黒というのもあり得るな……考え過ぎかな。
「あはは、ごめんね。 それじゃあ気を取り直してクラス委員だけど、誰も居ないなら私が決めて良いかな?」
教師が言うと、教室内が静まり返った。 まさに必殺の一言、これに逆らえる奴はいない。 そしてこれから先の一年間が決定する瞬間でもある。
――――――――だが、事の成り行きは俺の想像とは全く異なる方向へと転んでいく。
「……はい」
その沈黙の中、冷たい声が響いた。 そして、俺の視界が高く上げられた手によって遮られた。
「あら、冬木さん? やってくれるの?」
「はい、やってみたいと」
ああ、違う。
埋まる。 埋まる埋まる埋め尽くされる。 視界が、黒に染まっていく。 嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘――――――――嘘だ。 冬木の言葉は、嘘だ。 こいつはまた、嘘を吐いている。 本当はやりたくない、そんな雑用を押し付けられるのは御免だ、そんな想いが俺の眼には見えている。
「それなら良かった! やりたい人にやってもらうのが一番よね」
だが、その嘘は俺にしか見えていない。 俺にしか知ることができない。 どうしてこの場面で、こいつは嘘を吐いた? 確かに誰かがやらなければならない場面だが、それなら最初から言っていれば良かったのではないか? 疑問は残る、このタイミングで言う意味が俺には分からない、しかしそれでも、冬木が本当はやりたくないというのが分かるのは、俺しかいない。 ハッキリとその言葉が嘘だと分かる奴は、俺しかいないのだ。
「はい」
「……あら、成瀬君?」
それを見過ごすのは、無責任な気がした。 分かっているものを放っておくことはできない、見て見ぬ振りなどできなかった。 俺は手を挙げ、その雑用係を買って出る。 冬木の考えは分からないが、本音はやりたくないというのであれば、別の人物が名乗り出れば辞退をするだろう。 そこで俺と争う意味はないし、何よりここで降りたとしても冬木の印象が悪くなるということもない。 こいつの行動は妙だけど、こうなれば話も変わってくる。
「丁度良かった、これで決まりね」
「……え?」
「男子と女子、一人ずつ選ばないと駄目だったから困ってたのよ。 でも、成瀬君もやりたいって言うなら冬木さんと二人で決定ね」
「……はい?」
教室内の緊張が一気に解けるのを肌で感じる。 おい、ちょっと待て、確かに委員会の振り分けなんて俺は一切聞いていなかったが、それは少し話が違う。 睨むぞこの野郎。 さっき思ったように話の流れは思いっきり変わったが、というか変わりすぎたが。
が、時既に遅し。 俺が教師をいくら睨もうと、教師は既に俺のことなど眼中にないかのようにニコニコ笑顔で黒板に名前を書き込んだ。 冬木
……よし、そうだこれが狙いだ。 冬木の名前を知ること、それこそが俺の狙いだったのだ! だからこれはミスではない、決して……ミスじゃ、ない。
そんなことを思う俺。 そして、呆然としている俺を睨み付ける冬木であった。
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