その眼には嘘が見えている。
猫の産毛
二人の話
第1話『所謂、出会い』
「でさ、昨日歩いてたらナンパされて……」
「マジ? まぁアッキー可愛いしねぇ」
「そういや俺、お前らがムズイムズイって言ってたエリア余裕だったぜ」
「おま、嘘だろそれ」
辺りが騒がしい。 教室の中は、そんな音に塗られていた。 黒、黒、黒、辺りを覆うほどの黒。 どいつもこいつも嘘吐きしかこの世の中には居ない。 もちろん、俺も含めて。
高校一年、その入学式を終えての教室は騒がしかった。 引っ越してから遠くの地へとやってきて、そこで高校に入った俺は完全に浮いていた。 田舎ということもあってか、中学から殆ど面子が変わっていないのだろう。 以前から顔見知りのように接している奴らは多い。 だから余所者の俺は浮く、自然の摂理である。
俺こと
何故か。 答えは簡単で、ひと言で言ってしまえば「俺には他人の嘘が見える」からである。 少し異常な体質、それが俺の体質である。
最初に気付いたのは、小学生の頃。 友達が言葉を喋るとき、不規則にその友達の身体を覆うように黒い靄のようなものが現れていたからだ。 物心付いたときから見えていたそれが、他人が嘘を吐いているときに見えるものだと気づくのにそう時間はかからなかった。 些細なものから大きなものまで、嘘を口にすればそれは靄となって俺には見える。 嘘だと気付いてからの最初は嬉しかった、時間が経って楽しみに変わった、そして最後は、恐怖に変わった。
どんな場面でも、どんなことでも、大人でも子供でも、人は一日に一体何度嘘を吐くのだろうか。 平気で嘘を吐き、その嘘で自分を守るためにまた嘘を吐く。 この世界は嘘に塗れていて、それがなんとなく――――――――怖い。
そして、そんなことを言っても俺も結局同じだ。 他人から見れば、俺が嘘を吐いていなかったとしても、嘘に見えればそれは結局嘘となってしまう。 本人が決めるのではなく、他人が決めるもの。 それが嘘というものだ。
中学生のときに起きたとある事件から、俺はそれを学んでいる。 だからもう、人と関わるよりは無関心で居る方が余程楽だと思った。
「つうか高校入ってどうなるかと思ったけど、
「んなの気にする性格じゃねえだろ。 昔からそうだろ、あいつ」
帰り際、そんな会話が耳に入る。 それは今日初めて聞くものではなく、何度か耳にする単語だった。 冬木、という名前だ。 そう多くはない珍しい名前からして、俺の前の席に座っている女子のことだと思う。 教師が話をしている最中も窓の外をずっと眺めており、俺同様に誰とも接していない女子。 友人どころか顔見知りが一人も居ない俺ならまだしも、顔見知りが居る状態で周囲から避けられているというのは、当人に何かしらの問題があると見て良いだろう。 関わらない方が良い、というやつである。 更に見た目で言えば、この田舎では悪目立ちしそうな銀色の髪で、制服こそしっかり着てはいて……ピアスはどうやら開けていない様子ではあったが、その髪色や授業中の態度のせいで、田舎ということもあり相当問題児に映る。
そんな風に長々と考え事を続けながら、家へと向かう。 幸いなことに、引越し先のこの辺りは母方の実家があり、誰も住んでいない空き家同然だったそこが丁度良いということで引っ越してきた経緯がある。 和風の一戸建て、玄関扉が引き戸ということを伝えればどれだけ和風か分かっていただけるだろうか。 一応言っておくが、両親共に健在である。 共働きで、父親はあまり出張続きで母親は夜勤ということもあり、朝と夕方に軽く会うくらいの日々だが。
「敵発見!
「いてっ……」
「反応うすっ! おにいなんか元気なくなくなくない? あたしの元気分けようか? 学校でいじめられた? よしよしよしよし」
俺の背中に突撃してきた物体は、妹である成瀬朱里。 本日この日、中学生になりたての誘拐しどきの女子中学生である。 朱里の特徴としてやたら元気、やたらうるさい、そしてやたら俺に懐いている、というのがある。 俺はいつも朱里を適当にあしらっているし、こいつのために何かをした記憶なんて一切ないんだけど、何故か懐かれている。 朱里曰く「それは最重要機密だよ」とのことで教えてはくれないが。 その言葉は俺から見ても嘘ではない。
「俺が元気ないのはいつもだろ……おお制服似合ってるな」
「でしょー!? いやぁお友達ももうできたし、やっぱりあたしには怖いものナシだよ! 制服可愛いし良い青春が送れるね! 間違いなく!」
くるくるとその場で回り、朱里は言う。 制服を自慢しているような立ち回りだ。
「まじか。 お前社交性あるもんなぁ」
「ふっふっふっ、おにいが見ていないところで成長してる朱里ちゃんだからね。 知らない内にカレシを家まで連れ込むかも……? おにい怒る!? あたしにカレシができたら怒るよね!?」
「おこらねえよ別に」
怒りはしない、そこで怒る奴はきっとシスコンだろう。 だが呪いはする、それは兄としての勤めである。 そしてきっと、そのカレシとやらを殴りもすると思う。 ところでカレシとは何かな。 横文字三文字は大体魚類が多いから、魚の一種だと推察しておこう。
「むぅ……まそうは言いつつもおにいはきっと怒るんだろうけどね」
なんだその勝手な解釈は。 最初からその結論に至るなら、俺に尋ねてきた意味はなんだったのだろうか。 というかそもそも、告白してきた男どもを尽く振っていった朱里が彼氏を作るとは思えない。
「それよりさ、おにいは友達できた? やっぱり大事なのはファーストコンタクトだよ! 馴染めそうだった?」
「無理だろ」
「諦めはやっ! もー、昔のおにいはもっとこう、活力とやる気に満ち溢れたおにいだったのに!」
「朱里、俺が言ってんのは駄目そうとか、難しそうとかじゃなくて無理だって話だ。 分かるだろ」
「……そうかもだけど」
朱里は、俺の眼のことを知っている。 知っているといえば少々語弊があるかもしれないが、俺が朱里には話している。 そして、朱里は最初こそ疑っていたものの、目の前で俺が朱里の嘘をことごとく見破ったことによって疑うことはできなくなった。
この世には気付かない方が良い嘘も、ある。 それどころか、気付けない方が良かった嘘の方がよっぽど多いのだ。 けれどそんな嘘も俺には見えてしまう、黒い靄によってその言葉が嘘かどうかがハッキリと分かってしまう。 それがどれだけ暮らしづらいことかは、きっと同じ立場にならないと分からないことだろう。
「でも、あたしはおにいの味方だからっ!」
「なんだよ急に」
中学のときに起きた事件。 それは朱里も知るところで、だからこそ朱里は嘘偽りなくそう言ったのだろう。
……朱里は優しい性格をしている。 他人を思いやれることができるし、そのときに言って欲しい言葉というのを的確に言ってくれる。 それは、朱里が俺のことを知っているからなのだと思う。 だから、俺という人間を知った上でそういうことを言えるのは、優しさだ。
それに、朱里は俺に対しては嘘を吐かない。 そういう今も朱里の周囲には黒い靄など一切出ておらず、真面目な顔で俺のことを見ているのだから。
「あ」
「ん?」
が、朱里は俺の顔を見ていたと思ったら、どこか違うところを見ているような気もする。 何事かと思い俺が首を傾げると、どうやら朱里は俺の後ろを見ているようだった。
「あの人も転校生なのかな?」
「あの人って……うわ」
朱里に言われ、俺は振り返る。 すると視界に入ってきたのは噂の冬木であった。 イヤホンを両耳に付け、こちらへ向かって歩いてくる姿はちょっと浮いた不良女子高生である。 俺たちのことにはどうやら気付いていない……というよりも、意識をしていない様子だ。 周りが数人のグループで帰る中、まるで一匹狼の如く歩く姿は逞しいけれど、その少し低い身長もあってか寂しそうに見えなくもない。
「ほらおにい、チャンスだよチャンス! みんな仲良く帰ってるのにあの人一人! ぼっちだよ! ぼっち同士親交を深めるチャンスだよ! ぼっち仲間だよ!」
「お前ナチュラルに酷いことたまに言うよね」
だが、まぁ間違ってはいない。 朱里の言っていることは的を射ている。 将来的には直して欲しい部分であると兄である俺は思うわけだが。
「良いからほらっ!」
「うおっ!」
朱里は勢いに任せ、俺の背中を押す。 前のめりになりながら体勢を立て直し、朱里に文句を言うべく顔を上げた。 だが、そのとき目の前に居たのは冬木だ。 タイミングを完璧に図ってやりやがったな……。
「……何か?」
「あ、っと……いや、あはは」
冷たい目付き、貫くようなその目付きはとても冷たい。 顔立ちだけ見ればとても整っており、一見すれば美人とも言える見た目で、その端正な顔立ちとは違い背は低めだ。 髪は明らかに目立ちすぎる銀髪、そんな明るめの髪色だがやけに似合っている。 スカートは膝より少し上、カーディガンを腰に巻き、前髪を横へと流しながら俺のことを見上げてる。 一見すればただの不良だが……いきなり胸倉を掴んでこない辺り常識ある不良としておこう。
「予め言っておきますが、私は今、音楽を聴いているのであなたの声は聞き取れません」
自らの耳を指さし、冬木は言う。
「……あはは」
外せよ! そのイヤホン今すぐ外せよ!! 軽く手を動かせば外せるだろ!? それすらしないとか、噂通りの奴らしいなこいつ!
が、同時に俺に視界に異変が起きた。 黒い靄、冬木の周りにそれが現れる。 何度見ても見慣れない気持ち悪い光景であるものの、それは俺に冬木の言葉を教えてくれる。
――――――――嘘。 冬木は今、俺の言葉を聞き取れているということだ。
「えーっと、確か同じクラスだったなぁって思って」
「私は誰とも仲良くする気はありません」
冬木は丁寧な口調でそう言う。 それらから読み取れるのは、やはり見た目とは裏腹に真面目な奴だ、という印象だ。 そして、ざっくりと俺の社交性溢れる挨拶が切り捨てられたところを考えると、冷たい奴だということが分かる。
まぁしかし、それにしても性格に難がありそうだということには変わりはない。 朱里のおかげでとんだ災難に巻き込まれてしまったが、こいつと仲良くできるということは今後絶対にないだろう。
「……」
そこで、冬木は俺の背後に視線を向けた。 どうやら後ろで好奇の視線を向ける朱里の存在に気付いた様子だった。 それをしたあと、冬木は少しの間、目を瞑る。 息を短く吐き出すその行動は、まるで呆れているようにも見えた。
「私は人が嫌いです。 あなたのことも、あなたの後ろで様子を伺っている人も、私は一人が好きで一人で居るので、今後関わらないでください。 迷惑だと伝えれば分かってもらえるでしょうか」
「……はは」
ここまでハッキリと言われると、俺も好き好んで関わろうとは思わない。
……と、言いたいところなのだが。 どうやらその言葉は、
「それでは、さようなら」
冬木は言うだけ言い、俺の横を通り過ぎる。 俺はそんな冬木の背中を眺めていた。
これが、俺と冬木の出会い。 嘘を見ることができる俺と、人のことが嫌いだと嘘を吐く少女の出会いだった。
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