美味しい味噌汁の作り方。

木漏れ日亭

美味しい味噌汁の作り方。

「副会長~っ! 会議資料出来てるかあ~」


 生徒会室に能天気な声が鳴り響いた。


「出来てるよ。ってか、ほりぐっちゃんに確認しろよ。書記の仕事だろ、本来」


 ぼんっと肩を叩きながら、板垣がほがらかに答える。


「どうせお前が作ってんだから変わんないだろ、なあ!」


 俺もいろいろ忙しいんだが……まあ、こいつはそんなことは気にしない。って言うか、思いもしない。それがこいつの、学大一高の生徒会長である、板垣勝頼の長所でもあるから厄介なことだ。



 学殖大学の付属高校の三年。


 夏休み前、生徒会活動も引退間近。大体のところは後輩に引き継いではいたが、まだまだ不安も多くこうして顔を出しては、あれこれ手を出してしまっていた。板垣に至っては、単なる冷やかし以上のものはない。


「しかしなあ笹井、お前も苦労性全開だなあ。何事も思い込みまくって止められないのも辛くないのか?」


 余計なお世話である。


 そりゃあ俺だって大概にしたい。


 あっちこっちから呼ばれたり推薦されたり、はたまた興味があれば自分から顔を出す。そんな風にしていたらあれよあれよという間に活動している部、委員会、校外活動まで含めると両の手では足りない。


「この後はどこに行くんだ? 演劇部か? 図書委員会か? 漫研でもまだセル画だっけか、描いてるんだろ?」


 こいつは……。


「ハズレ。体操部だよ」


「あれ、腰痛めてインハイ棄権したんじゃなかったっけか?」


 こんなに細かいこと、気にするやつだったか、板垣よ。少し、いやかなり気持ち悪いぞ。


「……マネージャーが休んでるから頼まれたんだよ」


「そうか……、ま、まあ頑張れ、おれは知らんがな!」


 けっこうだ。



 昔から断れない性格でなにかにつけいいように使われてしまう。いわゆる器用貧乏ってやつでとりあえず穴埋めには重宝するらしい。


 体操部の連中のユニフォームやタオルを洗って干し終わったところに、数学のかさバアがひょっこり顔を出した。


「笹井さん、ご苦労さまですねえ。ちょっといいかしら?」


「あ、先生どうも。いいですよ、なんですか」


 冷や汗が止まらない。挙動もおそらくおかしなことになっているに違いない。


「そのね、今度の期末テストのことなんだけどね」


 きたきた。かなり状況は悪い。逃げ出す経路は目の前のかさバアによって塞がれている。絶体絶命とはこのことだ。


「笹井さんは複数活動しているから、なかなか勉強する時間ないのはわかってるのよ。でもねえ、さすがに二年生から毎回白紙提出はどうにかならないかしら」


 鬼門だ。天敵だ。この話は俺のメンタルをズタボロにする。


「笹井さんはやれば出来る人だから、少しでもいいから勉強してほしいのよねえ。試験の後に毎回補習来るのも大変でしょうに」



 もうおわかりだろう。笹井修司、齢十八歳。学大一高の生徒会副会長で数多の部、委員会活動や校外活動をそつなくこなすこの俺は。


 勉強が大の苦手なのである。



 期末試験まで残り日数はあまりにも残酷なほどに少ない。


 おれはがむしゃらに頑張った。



 部活や委員会活動、校外活動という名のアルバイト数件。


 これらを、すべて、頑張った。



 勉強は? する訳ないじゃないか。なにを言っているんだ?


 いまさら付け焼き刃でそんな無駄なことに労力を割くのは愚の骨頂だ。


 自分を成長させてくれるものがこれだけ待ってくれている。これをほったらかしにして良いものだろうか、いやいけない。


 背中を伝うものを無視して俺は精一杯逃避行動を続けた。



 試験当日。


 どうせ白紙で出すのなら休んでも同じじゃないか? それは違うぞ板垣勝頼。なんだってそうだ。


 参加することに意義があるのだ。


 配られる答案用紙と問題。前から順に配られたそれが、最後列の俺の前に置かれた。


 しばし時間が止まる。苦しい。


「それでは、答案用紙に名前を記入してください。はい、では問題を表にして、始め!」


 かさバアの声が響く。俺は問題を表向きにはしない。無意味なことはしない主義なのだ。



 ん? 問題の一番後ろ、つまり裏側の白紙の面になにかしら文字が書いてある。小さな字で周りの生徒からはわからないくらいの文字で書いてあったのは、



 お願いですからなんでもいいので、名前以外になにか書いてくださいね。



 猛烈にやる気の出た俺は、答案用紙のマス目や番号を一切無視して裏面に書きなぐった。脇目も振らずにこれだけ集中して答案用紙に向き合ったのはいつ以来だろう。回答欄ではないがな。



 美味しい味噌汁の作り方



 なにをもって美味しいかは各家庭によっておおいに違いがあることだと思います。


 これからここに記すのは、我が家のみそ汁の作り方です。他のはわかりませんが、きっと我が家のが一番美味しいはずです。決まっています。


 まず必要になるのは、鍋と水とちりめんじゃことかつお節と味噌は二種類。二種類です。一つでは物足りません。三つ以上では味がバカになります。具は好きなのは豆腐、ネギ、なめこなどですがなければなんでも良いです。けっこうカニかまも合います。


 鍋に水を入れ、火にかけます。この時、だしの素とちりめんじゃこを入れておきます。だしの素書き忘れました。すみません。


 沸いてきたらかつお節を入れます。ドバっとです。チョロッとではいけません。惜しみなく入れましょう。


 かつお節がくたくたになり、お湯に色が付いて美味しそうな匂いがしてきたらざるですくいます。すくったちりめんじゃことかつお節は捨ててはいけません。水気を切って味の素振ってしょうゆかけたらご飯のお供になります。美味しいです。少しスカスカしたところが良いんです。味の素書き忘れました。すみません。


 味噌を溶いて入れます。カッコつけておたまでやらないでもいいです。ブレンドするので後のほうに混ざるのはよろしくないので。ブレンド量はその日の気分です。そんなもんです。我が家ではそんなもんです。それが良いんです。


 ネギ、なめこなんかはもう入れても大丈夫です。あんまり長く入れてると美味しくありません。なめこのヌルヌルが味噌汁に溶けると気持ち悪いです。それはそれで良いとも思うんですが、好みです。


 豆腐は手の上で切るべし! なんてことは言いません。前に失敗して豆腐が赤く色づいてってすみません。面倒なので手で握りつぶしましょう。大きさバラバラでけっこう好きです。カニかまは入れないでください。あれは何もない時に入れるものです。なにもない時にカニかまだけあればですが。


 かるくおたまでかき混ぜて、お椀に盛ります。ご飯を用意しましょう。さっきのちりめんじゃことかつお節の味付けをして、ご飯にかけます。これもドバっとの方がいいです。


 さあまず味噌汁を一口すすり、次に口の中に味噌汁残したままでご飯をかっこみましょう。


 至福。



 夏休みに入る前の日。今まであれだけ声がかかっていた部や委員会からまったく音沙汰がなくなった。当然っちゃあ当然だが。


 逃げるように教室を後にして板垣の横をすり抜けて教員室の前を脱兎のごとく駆け抜けてガッツポーズをかましていたら、かさバアにものの見事に捕まった。


「笹井さん、ご苦労さまですねえ。ちょっといいかしら?」


 いや良くないです。帰りたいんですが。


「なにかありましたか、先生」


「こないだの試験ね、笹井さん。私教師になってもう三十年以上だけど、初めてだったわよ、答案用紙見て添削して大笑いしたの」


「とりあえず紙面は埋めました」


「裏面ですけどね」


 肩をぽんぽんとしながらかバアは去り際に、


「今度は、美味しいカレーの作り方なんて良いわねえ」



 二学期の数学の成績は、五段階評価の、三だった。


 学期末恒例の補習はなかった。少し残念に思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美味しい味噌汁の作り方。 木漏れ日亭 @komorebitei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ