青と春の顕性

ゆきの

第1話 ドミナント

 佐々木慎 24歳 男性 無職

 肩書、作家。

 時に思うのだ。一般に定職就いている勤め人はサラリーマンであり、そうでない者はフリーターを名乗る。しかし、それでは働く気のないニートと働く気のあるフリーターとの違いとは一体なんなのだろうか? ニートはその気になれば働いてフリーターを名乗れるし、フリーターもその気になれば働かずニートを名乗れるのだ。

 一応、言っておくが、フリーターやニートをバカにしたいわけではない。何が言いたいのかと言えば、俺のような小説を書かず青い空を毎日眺めるぷー太郎は、作家を名乗ってよいのだろうかと言う話なのだ。

 作家、芸術家、芸能人、皆ニートと紙一重なのではないかと、現在の自分の姿を見て思う。なぜなら、何かを生み出していない期間はただ何もしていない人間と等しいからだ。勿論、それまでに何かをしてきたから、その何かによってその人間が何かしらの恩恵を受けているのは確かだ。だが、その構造こそがまさにニートみたいじゃね?と、思ったのだ。それに、何か生み出すまでは頭を動かしていても、生産されているわけではないのだから、やはり手元には無しかない。それが次につなげるための無と言うかもしれないが、そう都合よく次に繋がるわけではないのだ。

 だから、こうして公園のベンチに昼間っから座ってポケーっと空を俺は眺めているわけなのだ。うん! なーーーーんにも思いつかないよ!

 何も思いつかず、一ヶ月が経とうとしていた。

 先月、デビューから書いていた作品も完結させ、現在続いているシリーズは持っていない。

 新作、を書くわけだが、その案がまるで何もない。

 書きたいという気持ちはあるものの、テーマだとか、題材だとか、全くふわっとも決まっていないから、卓上の手は遊ぶばかりである。

 一応ラブコメを中心に執筆していたし、俺自身も好きだから、次も何となくラブコメにしようかと思っていたが、デビュー前から考えていたやりたいことは一通りやってしまったため、ネタ切れ気味であった。

 やれることがないから、やりたいことをやろうかとも思ったのだが、コレと言うやりたいこともないのである。漫画を読む、小説を読む、そして小説を書くことが趣味なのだが、読みたい漫画も小説も毎日探しているのに、なかなかな見つからない。小説もかけけない。まさに八方塞がりだった。

 そんな俺の毎日は、こうである。

 朝から散歩をする。

 タバコを吸う。

 公園のベンチに座る。

 光合成をする。

 以上。

 なかなかに終わっているなと我ながら思っている。だが、不思議なことに一日の大半をこの公園のベンチで過ごしているのに、焦りも憂いもないのである。と言うか、焦ったところでなにか空から降ってくるわけでもないし、むしろ逆に視野を狭めてしまうことを体が分かっているのかもしれない。そうだとすると、俺の体はなかなか優秀だな! なのになんで、小説のネタが思いつかないんだあああああああ。

 斑の空。最近、雨が降っていないのを思い出して、近いうちに雨が降るのを予感させる。だが、雲からさす光は、日光浴をするには十分な温かさだった。

 遠くから響く嬉々とした子供の声。アスファルトを喰むようなタイヤの音。雀のさえずり。

 一つため息を吐いた。そして膝に頬杖を突く。

 タバコ吸いたい。


 公園から数分、この辺ではあまりない喫煙スペースで新品の10ミリに火をつける。

 重ぉ……。

 今日は家を出てからタバコを切らしていることに気づいて、タバコを買おうとコンビニによったのだが、いつも買っているタバコが無かったのである。ただ、いつも買っているタバコは無かったが、同じ銘柄の一つ重い箱はあったため、渋々妥協した。

 吸えないほどではないが、ただでさえ吸いごたえのあるタバコなのに一つ重い箱になっただけで、一口目から重いことが分かってしまう。

 舌と喉に辛みを感じる。

 少し勿体ないなと思いつつ、半分吸ったあたりで火を消した。

 なんてことない日常を描いたラブコメなんてない。ラブコメはキャラクターにドキドキして、ハラハラしてしまうような危うさを抱えながら、彼らの生活はすすむ。時に笑い、時に涙し、鬱屈とした展開も見せれば、笑顔の結末も見せる。ファンタジーのような魔法も、奇怪な力も時に存在せず、主人公たちの言動にのみ物語は進む。故に、その行動と言葉に気持ちが宿る。思いが重なる。俺はそう思ってしまうのだ。だから、下手に中途半端なものは出来れば作りたくない。有名でもないのに、妙なこだわりである。

 そんなことを思いながら、公園へ戻った。昼まではまだ少しある。

 戻ってみると、先ほどまで座っていたベンチには、女子学生らしき姿があった。

 あそこは俺の場所と言うわけではないが、普段は定位置と化していたから少し残念に思った。

 間隔のあいた隣のベンチに俺は座った。そしてまた頬杖をついた。相変わらず天気がいいなと思いつつ、隣にいる女子学生のことが気になった。興味がある、とは違う、不思議なのだ。

 学生ならば、今はまだ授業の時間のはずである。なのに、彼女はどこかの学校の制服らしきものを着ていた。学校をサボっているのか、あるいは、学生ではない女性が制服を着てベンチに座っていることになる。後者であれは、ちょっと闇が深そうな変な人程度で済むから問題はない。だが、前者であるなら、何かあったのだろうかと少し気になってしまった。多分それは、俺に同じような年の妹がいるからだ。

 似たようなことあったしな。

 とは言え、他人。声をかけて不審者扱いされても困るから、自分からは聞かないし、そこまでの思いやりが名前も知らない彼女にあるわけではない。

 ただ何となく気になったのだ。

 理由のない衝動。正体は、心の悪魔か、それとも過去という亡霊か。

 学生が学校をサボって公園のベンチで過ごす――、まるでラブコメの一場面みたいだな。なにか、ヒントになるかもしれん。

 彼女が何を思っているかは知らない。何かを抱えているのかもしれないし、何も考えず、学校をサボっているのかもしれない。あるいは、成人女性が、社会に疲れて高校生に戻りたいと思ったのかもしれない。それはそれで面白いな、と一瞬思ったが、自分が脱サラした身だということを忘れていた。そう思うと急に笑えなくなった…。

 時間が悠々と過ぎるようだった。決して俺が悠々自適なのではなく、危機感がなく、のんきなだけである。

 次第に空腹を感じるようになった。

 こんな時間が、いつまでつづくのだろうかと、考えてしまった。

「ねぇ、おじさん」

 不意に隣から声がかかる。

 多分、いや…、俺の方に向かって声を発しているあたり、俺に向けて言っているのだろうが、おじさんて……。

 内心、不満に思いながらも彼女のいる方に顔を向けた。それに気付いたようで、彼女もこちらに視線を向けてきた。

「おじさんは、いつもここで何を見ているんですか?」

 何を見ているか、ねえ…。ここはやはり、大人として、ビシッと言わねばならんのだろうな。

「未来…、かな」

 笑みを交えて、近年稀に見ない決め顔で俺は言った。

「……」

 彼女は黙ったままだった。小さい謎の間を経て彼女は突然反応する。

「……今の笑うところでした? そういうのは、いらないので真面目に答えて下さい」

 彼女は言葉、姿勢、視線、そのすべてが冗談も不純物も含まない、淀みも歪みもない、まるで、白い一枚の紙のようだった。ただし、紙の縁で指を切ってしまうような危うさを隠している。

 おいおい、真面目な答えだったらどうするんだよ…。君が言う世の中のおじさんはそんなこと言われたらショックでハゲちゃうのよ……。

 俺は彼女のご所望通り、答えられる限り答えようと思った。

「何かを見たくてここにいるわけじゃないが、何も見ていないわけでもない」

 そう言うと彼女は「そういうのは、」と言いかけたところで、俺はそれを制するように手のひらを彼女に向けた。

「あれを見てみろ」

 俺が差したのは公園を横断するように整備された歩道に歩く、一人のOLらしき女性である。

「あの女性が何だと言うんですか?」

「人はな、意外と一人一人歩き方に特徴がある。それは年齢や性別や履いている靴にもよるんだが、ほら、あの女性はヒールのある靴を履いているだろ? よく見ると、歩くたびに後ろ足が僅かに内側に動いている」

 俺がそう促すと彼女はその女性を凝視した。

「たしかに…」

「あの人はたまにあの道を通ることがあるんだが、ふと何となく目に留まって見ていたら気付いたんだ」

「つまり、何かを見たくて来たわけではないといいながら、女性を監視するのが目的ということですね?」

 誤解を生むようなことを言うな。

「違う。断じて違う。俺にはそういう日常のどうでもいい情報や、見逃してしまうような当たり前の風景を知ることが必要なんだ」

「なぜ必要なんですか?」

「俺が作家だからだ」

「へー…………。…………え?」

 そこで彼女は言葉をつまらせて、懐疑的な顔でこちらを見てきた。

「意外か?」

「はい…」

 そんなに意外とは、一体俺はどういう人間で彼女の中で認識されていたんだ…?

「そうか。でもな、こんなんでも飯食うには困らないくらいには稼げている」

「つまり、女性を見ているだけで稼げる仕事だと?」

「違う! それだとまるで、俺が『女性を観察するのが趣味の変態作家』みたいに聞こえるだろうが」

「変態というか、不審者ですけどね」

「人を犯罪者に仕立てようとするな…!」

 彼女は恐れというものを知らないらしい。それどころか、こちらを恐怖させる程に時に鋭利である。

「お前、俺のことをバカにしているだろ…」

「いえいえ、そんなことないですよぉー」

 うん! バカにしているな!

 しかし、彼女は続く。

「バカにしているかどうかは置いておいて、本当におじさんが、何を見ているか気になっていたんです。これだけは嘘ではないですよ」

 一転、神妙に彼女は言った。

「そうか……。だがな、バカにしているかどうかはそこら辺に置いておかず、ちゃーんと敬意をはらいなさい、お嬢さん? あと、おじさん呼びはやめろ」

「あっ…、バレました?」

「バレバレだ」

「そうですか。じゃあ何歳なんですか? お・じ・さ・ん?」

 コイツ…! 嬉しそうにおじさん呼びしやがって…!!

 ジリジリと湧く怒りは、大人のよゆーというやつで一旦呑み込んだ。

「今年が25の年だ」

 そう言うと、彼女はあからさまに、わざとらしい驚きの顔で口を手で抑えていた。

「意外とお若いんですね。私のちょうど10こ上ですか」

「そうだ。意外と若いんだ。だから、……っ?!」

 今、衝撃の事実をサラッと言わなかったか…?

 俺はさらに言う。

「ちょっと待て、今何つった?」

「え? 意外とお若いんですねって…」

「違う! その後!」

「ああ、私のちょうど10こ上ですね、って?」

 つまり、

「中学生…?」

「はい。そうですけど?」

「嘘だ」

「嘘じゃありませんよ。…ほら!」

 そう言って彼女は、学生証をスカートのポケットから出して見せてきた。

 こんな嫌味な中学生がいてたまるか!と、思いながら、学生証を確認すると、ちゃーんと中学生であった…。

 そっと学生証を返し、思う。

「世も末だ……」

 思ったことがこぼれる。

 最近の中学生コワイヨォ…。

「え? 今失礼なこと言いませんでした?」

「お前が言うか!」

 彼女は白々しくとぼけた。

「そんなに怒らないで下さいよ。おじさん」

「佐々木だ。俺は佐々木慎」

 名前を言うと、彼女はピンとこないような顔でいた。

「えーと…、詐欺師の真似事さん?」

 だめだこりゃ……。

 俺は眉間をつまむように手をついた。その後、大きくため息をついて立ち上がった。

「どこか行くんですか?」

「タバコだ。不本意だが、また戻って来る」

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