来世でまた逢えるのなら、今度は君と何を話そう

星崎ゆうき

第1話:泣いている瞳の裏側で

 岐阜県、高山市。北東部に飛騨山脈を擁し、槍ヶ岳や穂高岳などの山々を望むこの地は、日本の原風景を残す街などと言われ、国内外から観光客も多い。


 JRの高山駅から東側にしばらく歩くと、大小複数の寺がひしめく古い街並みが見えてくる。毎年、8月になると僕はここを訪れるのだが、歩く道はいつも決まっている。東山白山神社に続く石段を上り、寺と寺のあいだに張り巡らされた細くて狭い路地を抜けていく。


「今年も暑いな……」


 岐阜の夏は暑い。特に四方を山に囲まれたこの高山は典型的な盆地であり、日本全国でも屈指の猛暑地である。


 僕はペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲み干すと、今登ってきた石段をゆっくりと振り返った。石段の両脇を杉の木々が囲み、眼下には飛騨の小京都、高山の街並みが見渡せる。汗でぬれた頬に、スッとあたる弱い風が心地よい。


 神社仏閣を縫い合わせるように続くこの道は東山遊歩道と呼ばれる。ところどころに残される石畳や、苔むした階段、僕はそんな歴史を感じさせる情緒をたっぷり含んだこの道が嫌いじゃない。ただ、先に進むにつれて、僕の心にじんわりと、でも確実に鋭い痛みを帯びてくるのがわかる。


 僕に何かできることがもう少しあったのではないか……。いや、それはただの利己主義的な考えなのだろうか。そんな自責と後悔が入りまじった複雑な思いが消えることはない。おそらくこれから先もずっと。


 今から5年ほど前、高校二年生の時だったから、僕たちは十七歳やそこらだった。僕にはいろいろと厄介な家庭の事情もあり、栃木県足利市という北関東でも内陸の小さな町から東京は練馬区へ引っ越すことになったのだ。


 フリーライターの仕事をしていた兄が練馬区に住んでいたこともあり、当面はそこで生活することになっていた。高校の転入にあたり、いろいろと面倒な手続きがあったが、兄が一通りやってくれていたので、僕は転入試験に集中することができた。


 彼女と出会ったのは、転入先の高校に、初めて登校する日の前日だった。その日は、新宿、渋谷と並ぶ、山の手三大副都心の一つ、池袋に向かう途中だった。兄から池袋に、わりと大きなプラネタリウムがあると聞いて、是非行ってみたいと思っていたのだ。


 僕は小さいころから星が好きだった。そんなことを言うと、友人からは「お前はロマンチストだな」なんて、からかわれてしまうのだが、夜空に瞬く小さな星たちを眺めていると、自分が透明になって、まるで天空に吸い込まれていくような感覚になる。夜空は、ただそれだけでたくさんの物語を生み出しているんだ。僕はそんな物語の世界に入り込むのが大好きだった。小学校時代、図書館で借りてくる本は、星座の本ばかりで、親はそのたびに「たまには小説でも読みなさい」と言って、ため息交じりにあきれ顔を僕に向けたのをよく覚えている。


 当時、栃木県にはプラネタリウムがなかったわけではない。ただ、なんとなく小学生向けの科学館、というイメージが強くて、夜空の風景をゆっくり楽しむ、というようなものではなかった。


 僕の兄が住んでいたのは、練馬区でもやや埼玉県よりだろうか。首都圏の喧騒から外れた、静かな住宅街だった。この辺りは高野台と呼ばれる地区で、昭和の匂いが残る古い団地も多く、東京のベッドタウンという印象だった。


 最寄駅である練馬高野台駅は急行列車が通過してしまう小さな駅だったが、僕は各駅停車が嫌いではなかった。線路が繋ぐ駅と駅の間隔はとても短く、そしてどこまで行っても住宅が広がっている東京郊外の街並みはとても新鮮なものだった。


 池袋までの切符を買うため、自動券売機の前に立って財布を取り出すと、ホームから列車の発車を知らせるベルが鳴っているのが聞こえた。この駅のホームは高架線路上に作られており、自動改札から列車に乗車するには、やや急勾配な階段を登らなければならない。とても間に合いそうになかった。


 僕はあきらめて次の電車を待つことにした。改札を抜け、ホームに出ると、電車が行ってしまった後だからか、それとも平日の昼間だからだろうか、人影はほとんど見当たらなかった。僕はホームの柱によりかかり、次の電車がやってくる時刻を確認するため、駅舎の天井から釣り下がる電光掲示板に目を向けた。


「次は急行列車の通過か……」


 ふと視線を電光掲示板の下に向けると、自分と同じ歳くらいの女の子が立っていた。彼女も僕の視線に気づいたのか、こちらに顔を向ける。


 背は低く小柄で、髪は肩よりもやや長いかもしれない。後ろで束ねているので、ちょと良く分からない。ただ、こちらを向いたその大きな瞳には涙があふれているのがはっきりと分かった。


――泣いている?


 彼女が視線を僕から外したちょうどその時、駅のアナウンスがホームに流れ始めた。急行列車が通過するのだ。次の瞬間、彼女がホームの線路側へ向けて、ゆっくりと歩きだすのが分かった。まるで列車が通過するタイミングを見計らっていたかのように……。


「おいおい、冗談よせよ、まじかよ」


 線路に飛び降りる……そう直感した。


「おい、お前何してんだっ!」


 気づけば、僕は叫びながら、彼女に駆け寄っていた。そのまま彼女を後ろから抱きかかえるようにして、ホームの内側に引っ張る。反動で足がもつれて、二人で転んでしまった。


 その直後、スピードを落とすことなくホームに入り滑り込んできた急行列車が、僕たちの目の前を通過していった。運転士も気づいたのであろう。発せられた警笛の音が、ホームに響き渡っていく。先頭車両が押しのけた空気は強めの風圧を維持して、僕たちの前髪を揺らした。


「ああ、ご、ごめん。これは、その……」


 涙にぬれた大きな瞳で僕をにらみつけていた彼女は、ほどなくして無言で立ち上がり、速足に駅のホームを立ち去ってしまった。


結局この日、僕はプラネタリウムに行かなかった。

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