第四章 第四節「旅立ち」

 2037年12月25日(金)


 星野新は探査船アルカディア号の量子コンピューターの中で目覚めた。正確にいうと意識がそこにあるというだけで彼自身は存在しなかった。星野の記憶は瑞菜の電脳である量子コンピューターから、彼の遺伝子情報とスキャンデータをもとに、アルカディア号の量子コンピューターの中に構成された電脳に移されていた。アルカディア号の量子コンピューターに接続されているカメラやセンサーのすべてが星野の五感につながっていた。

 星野は飯塚と瑞菜、チエを乗せて宇宙空間を飛行していた。操縦しているという感覚はまったくなかったが、彼が一度こうしたいと思っただけで巨大なアルカディア号の船体は彼の思い通りに動いた。まるで人間が歩行を意識しなくても歩けるのと同じだった。それだけではなかった。アルカディア号の量子コンピューターに記録された膨大なデータを、携帯端末なしで思いのままに瞬時に呼び出すことができた。船体の構造から内部のあらゆる機器の状態まで理解できた。探査船アルカディア号の量子コンピューターは彼の頭脳、巨大な船体は彼の体になった。この船がすべて問題なく機能していることを彼は理解した。

 星野は船内カメラを操作して搭乗員である三人の様子を見た。三人のスカルを乗せた宇宙服型のロボットとアルカディア号の量子コンピューターが通信ケーブルで接続されていた。星野は通信ケーブルからデータを読み込み、三人のスカルや生命維持装置に問題ないかを確認して、三人に呼び掛けた。

「瑞菜さん。シン。チエ。無事かい」

瑞菜の声が、「星野さん。良かった。本当に良かった」と答えた。

飯塚は、「シン。心配したよ。君は今、『アルカディア号』の量子コンピューターの中にいるのかい」と尋ねた。

「シンが生きている。シン。心配したんだよ」チエの泣きじゃくる声も聞こえてきた。

飯塚の声が、「ここは真っ暗でなにも見えない。うえもしたもわからない」と言った。

「みんなが無事で良かった。ちょっとまってて」

 星野はそう言うと、アルカディア号の量子コンピューターに記録されたオーシャン パラダイス号の三次元データを探し出してバーチャル空間をつくり出し、アルカディア号の360度全天船外カメラからの映像と合成した。全長366メートル、全幅49メートルのオーシャンパラダイス号の船体が宇宙空間に浮いていた。

 星野たち四人の意識はオーシャンパラダイス号のそれぞれの船室のキングサイズベッドの上に瞬間移動して、バーチャル空間上の肉体をえた。

「やっぱり床がある方が落ち着くな」

 星野はベッドの脇に置かれた携帯端末を持って立ちあがり、バルコニーの向かった。外に通じるドアを開けてバルコニーにでた。そこには海はなく、うえもしたも夜空で、地球が星々の間に浮いていた。仮想現実なので宇宙空間にでても普通に呼吸できた。こうして置けば、現実世界でのアルカディア号と同じリアルな映像で進行方向の星座やいん石など運行上の障がい物などを確認できると思った。なにより宇宙旅行のだいごみがあじわえた。星野は携帯端末を操作し、三人に自分の部屋にくるように連絡をとった。身支度を整えて彼らを待った。

 10分ほどして、部屋のチャイムがなった。彼がドアを開けると、飯塚とチエ、瑞菜の三人がパーティ用の衣装に身を包み、笑顔で立っていた。星野の顔を見るなり、チエが子供のように彼の首に飛びついた。

「シン。シン。良かった」

飯塚と瑞菜は顔を見合わせて笑った。飯塚が、「ぼくらも」と言うと二人とも抱きついてきた。しばらく四人は塊になって抱き合い、再開を喜んだ。窓の外には星々の中に青く輝く地球が浮かんでいた。彼らは地球をバックに記念撮影をした。

アルカディア号は、まだ月との衛星軌道を周回していたので、通信圏内にあった。星野は携帯端末を経由してアルカディア号の通信ネットワークを使って、月面のサテライトシティ東京の量子コンピューターにアクセスして、ツキに電話をかけた。電話のコールのなる時間がとても長く感じられた。数コールしてツキが電話にでた。星野はツキの映像を部屋の大型モニターに映しだした。ツキは星野の顔を確認し、みんなを見て言った。

「星野さん。良かった。みんな、無事だったのね」

彼女の瞳には涙があふれ、今にもこぼれ落ちそうだった。

「僕はこうしてみんなとアルカディア号にのっている。僕の脳は・・・」

ツキは涙をこらえながらも彼の言葉を遮って言った。

「その先は言わないで。出発前のやり取りは聞こえてました。私は皆が生きていればそれで充分です」

星野は、瑞菜がAIだったことや自分の脳が死んでいることを理解したうえで、「生きていると」言ってくれたツキに感謝した。星野はアルカディア号の量子コンピューターの能力と通信能力を駆使して、サテライトシティ東京の量子コンピューターにつながるツキのスカルに接続した。星野の姿が彼の部屋から消え、大型モニターに映し出されているツキの後ろに突然現れた。飯塚も瑞菜もチエも目を丸くしてモニターを見た。星野は後ろを振り返って驚くツキを抱えた。星野の背中には天使のような白い大きな翼があった。彼はその翼を広げるとツキを抱えたまま羽ばたき、窓をすり抜けて空に飛びだした。二人は光となって宙を飛び、オーシャンパラダイス号の彼の部屋のバルコニーに降り立った。

「すごい。どうしてこんなことができるの。私のスカルは月面にあるのに」

星野は言った。

「僕はアルカディア号の量子コンピューターそのものだから。アルカディア号と月面との通信がたもたれている間の約一時間、ツキはここにいることができる。時間がきたら僕がまたサテライトシティまで送り届けるから」

「ようやく五人そろった。みんなでパーティをしよう」

飯塚に促され、五人はオーシャンパラダイス号のロビーに向かった。ツキは、ピアニストとしての生活の切っ掛けとなったグランドピアノに座り、今晩のコンサートで奏でる予定の曲を弾いた。飯塚はチエと、星野は瑞菜と踊った。ロビーの窓の外には広大な宇宙が広がっていた。

アルカディア号は月の周回軌道を離れて、スイングバイによる加速のための軌道へと向かった。ツキとのわかれの時が近づきつつあった。リアルタイムの相互交信はできなくなるが、アルカディア号が太陽系をでるまではビデオレターやメールのやり取りはしばらくできる。ツキは皆にメールを送ることを約束した。星野は通信状態が不調になる前に、きた時と同じように光となって彼女を送り届けた。

 アルカディア号は月の引力によって加速し、地球に向かった。地球の引力を使って再び加速し、太陽系の惑星に次々に接近しながら、スイングバイによる加速を繰り返す予定になっていた。太陽系を飛びだす時には人類史上最速の宇宙船となっている。火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星。まだ誰もいったことのない世界を旅することができるのだ。2.7光年先の惑星フォーチュンにつくまでは300年以上かかることになる。アルカディア号の量子コンピューターと一体となった星野はすべてが順調であることを理解していた。旅は始まったばかりだ。星野は地球に近づくまでしばらく眠りにつこうと提案した。

 四人はアルカディア号の仮想空間であるオーシャンパラダイス号のそれぞれの部屋に向かった。チエが、一人で眠るのは寂しいと言い出したので、飯塚が彼女を誘って彼の部屋に向かった。星野は瑞菜に尋ねた。

「僕と一緒に寝てくれないかな」

瑞菜は一言、「はい」と答えた。

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