第四章 第三節「クリスマスイブ、そして実行」

 2037年12月24日(木)


 星野新は飯塚と二人でムーンランドの近くの居酒屋にいた。今日はクリスマスイブとあって、店内は幸せそうな顔をした男女でにぎわっていた。店内のテレビには地球型惑星フォーチュンに向かう無人探査船の特別番組が組まれ、午前零時発射に向けたカウントダウンがおこわていた。発射まで四時間を切った時、飯塚は星野に向かって荒い声を上げた。

「そんなんだからおまえはダメなんだ。悔しかったらかかってきてみろ」

星野も興奮した声で挑発した。

「ふざけんなよ。おまえに言われる筋合いはない。そっちこそかかってこい」

店内にいた人たちが一斉に二人に目をやった。飯塚が、「やってやろうじゃないか」と言って立ちあがって椅子を持ちあげた。星野も立ちあがると同じく椅子を持ちあげた。お店の店長が二人を止めに店の奥から駆け出してきた。飯塚も星野もそれに動じることなく、手に持った椅子を高々と振りあげるとお互いに向けて振りおろした。その瞬間、星野の目の前の飯塚が消えて手に持った椅子が空を切った。星野は椅子を握ったまま店内を見回す。店長も他の客たちも消え失せ、にぎやかだった店内には、テレビから聞こえてくる無人探査船の発射のカウントダウンの音だけが響いていた。

 まわりの人々が二人を不快に思ったため、セキュリティコードが働いたのだ。星野たちはオーシャンパラダイス号でかつて飯塚の部下だった山下誠司を消し去ったセキュリティコードを利用して透明人間になり、ムーンランドに侵入することをくわだてていたのだ。今頃、別のお店で瑞菜とチエ、ツキの三人が取っ組み合いのけんかをしている頃だった。星野はちょっとそれを見てみたいとも思ったが、女どうしのけんかは見ない方がいいと飯塚にさとされて、別々のお店で行動をおこすことにしたのだ。問題は五人とも別々のパラレルワールドに送られたのでお互いが認識できないことだった。

 星野は一人、居酒屋の外にでた。クリスマスのきらびやかな電飾と、鳴り響く明るい音楽とは対照的に、街は人が一人もいないゴーストタウンだった。星野はムーンランドに向かって走った。残りの四人がうまくいっているか不安ではあったが、確認する手だてがなかった。ムーンランドの前までくると守衛ロボットが入り口にたたずんでいた。彼はロボットの脇を通り抜けた。予定通り守衛ロボットは無反応なまま、ピクリとも動かなかった。星野はロボットの目の前で、事前に瑞菜が調べて用意した玄関ドアの解除コードを入力した。緊張で心臓の音が聞こえてきそうだ。少しして、ガチっと音がしてロックがはずれて、あっさりとドアが開いた。彼は建物内に入るとオペレーションルームに向かって走った。途中、いくつもの監視カメラを目撃したが施設内は静まり返ったままだった。

 オペレーションルームに入り、窓枠に似せてつくられたモニターで、エアロックの前の部屋に宇宙服形のロボットが六体あることを確認した。コントロールパネルを操作して、自分のスカルを量子コンピューターから分離して宇宙服形ロボットにセットするように指示した。ポケットの中から睡眠薬を取り出して口にいれた。スカルが量子コンピューターから切り離され、移動して宇宙服形ロボットに搭載されるまでの約一時間の間、彼らは無防備となる。途中で誰かが、彼らの計画に気づいても、外界との接続を絶たれた状態ではなにもできなかった。星野は覚悟を決めて睡眠薬を飲み干してベッドに横になった。

 星野が宇宙服に身を包んで目覚めた。ベッドから起きあがると、飯塚と瑞菜が既に起きていた。

「おはよう」

瑞菜の声がヘルメットの中に響いてきた。

飯塚が不安そうな声で、「チエがまだおきない」と言った。

「大丈夫。チエちゃんのスカルは予定通り、そのこの宇宙服の中にセットされているし、彼女の生命維持装置のデータも問題ないわ」

オペレーションルームに残ったツキの声がスピーカーから響いてきた。星野は瑞菜が呼吸していないのがツキにバレないか心配した。瑞菜があらかじめプログラムしておいたダミーデータが正しく働いているか不安だった。

 チエは目覚めるなり、「演技でもツキちゃんがあんなことを言うとは思わなかった。ほんとムカついたわ」と言った。星野は、女の子が三人でどんなけんかをしてセキュリティコードを作動させたか、気になったが時間がないので聞くのは後回しにした。四人はツキの指示に従ってハッチを抜け、月面に立った。二度目なので体が月の弱い重力になじんでいたが、宇宙での作業はチェックが欠かせず思いのほか時間がかかった。四人は月面車に乗り込み、発射の準備を進めているアルカディア号に向かった。既に二時間が経過し、発射まで残り二時間を切っていた。

 無人探査船は出発の準備を整えていた。地球上での発射と異なり、月面での発射のため妨害されることは考えにくかった。予定通り、監視用のカメラはあったが、監視員は一人もいなかった。瑞菜が監視カメラにダミー映像を仕込んでおいたので、だれも彼らの姿を捉えることができなかった。飯塚が瑞菜をほめた。

「瑞菜さんはすごいよ。よくこんな短期間でムーンランドの玄関ドアの解除コードを調べたり、ダミー映像をセットするなんて天才だね」

もちろん飯塚和也の持つネットワークの貢献は多大だったが、瑞菜は自分がAIだと知ってからサテライトシティ東京の量子コンピューターアスカと接続できるようになり、あらゆるデータにアクセスできるようになっていた。瑞菜はアスカと会話するというより、融合する感覚で相手の知識を自分の中に取り込むことができるようになったと星野に語った。

 月面車は計画より20分以上遅れ、ようやくアルカディア号の前に到着した。アルカディア号のハッチは地上27メートルの所にあり、宇宙飛行士が搭乗する予定がなかったのでエレベーターは取りつけられていなかった。星野がフリークライミングの要領で先にのぼり、ハッチの横にある格納式の通信ケーブルをワイヤーのかわりにして三人を引きあげる計画になっていた。星野はアルカディア号の側壁につかまり、手足の固定場所を探りながらゆっくりとのぼっていった。

 なんとかのぼりきって、ツキが遠隔操作でロックを解除した、ハッチを開けて中にもぐりこんだ。補修用ロボットの宇宙での船外活動のために、ハッチの左右に取りつけられた電動巻き取り式の通信ケーブルの一つを使って、飯塚とチエを引きあげた。瑞菜を引きあげている最中に、巻き取り機のモーターが鈍い音を立てて焼ききれた。もともと引きあげようにつくられていなかったのだ。弱いとはいえ地球の1/6の重力は人間の数倍も重いロボットを持ちあげるには限界があった。通信ケーブルの強度は調査済みだったが、巻き取りモーターの能力まで調べきれていなかった。瑞菜が10mほど下で宙づりになった。星野はもう一本の通信ケーブルを持って瑞菜のところまで降りていった。

 星野は新しいケーブルを瑞菜に接続し、自分は古いケーブルに接続し直した。瑞菜を先に引きあげてもらい自分はしたで待った。瑞菜を引きあげた直後にもう一台の巻き取り機のモーターも焼き切れてしまった。星野は自力で再びフリークライミングの要領でのぼらざるおえなかった。残り時間15分。じゅうぶん間に合うはずだった。

 しかし、いざのぼろうとして、右手に力を入れるとガキッという鈍い音と共にロボットの右腕が折れて、むなしく地上へと落ちていった。ヘルメットの中の警報音と混じって、瑞菜とチエの悲鳴が聞こえてきた。片腕を失って、フリークライミングでこの壁をのぼりきることが不可能なことを星野は理解していた。

「瑞菜さん。ごめんなさい。僕はいけそうにない」

瑞菜の悲痛な声が響いてきた。

「イヤ。一緒にいくって言ったでしょ」

「重力が弱いから、うまく落ちればロボットが大破してもスカルが脳を守ってくれる」

星野は冷静を装って言ったが、ロボットの重さを考えれば可能性はほぼゼロであることを知っていた。星野は「僕は死ぬのか」と考えた。思えば悪い人生ではなかった。彼らに出会い、人生を再び楽しむことができたし、こうやって冒険することもできた。

「シン、チエ、そして瑞菜さん。ありがとう」

星野がそう言ってロボットの体から通信ケーブルを取り外そうとした時、瑞菜の声が聞こえてきた。

「外さないで。星野さんは死なせない。私が必ず守って見せる」

瑞菜はそう言うと、星野につながったケーブルの反対はしのジョイントを、壊れた巻き取り機から引きだして自分のロボットに接続した。

「今から星野さんの脳の中にある記憶をすべて私の電脳に移し替えます。10分あれば間に合います」

飯塚とチエは瑞菜の言っていることが理解できず茫然としていた。

「飯塚さん。チエちゃんごめんなさい。今までだまっていて。私は人間じゃないの。私のスカルの中には人間の脳のかわりに小型の量子コンピューターが入っています。私はAIです。星野さんの脳の記憶、データをコピーしている間、私は動けなくなります。私の体とケーブルを支えていてください」

星野は、「シン、チエ。お願いだ。瑞菜さんの言うとおりにして」と叫んだ。

 10分後、通信ケーブルがはずされ、ハッチは閉じられた。ケーブルと一緒に宇宙服型ロボットが月面に向かって落下していく。ロボットは月面にぶつかり粉々になって大破した。


西暦2037年12月25日 午前0時0分。


 探査船アルカディア号は定刻通り、地球型惑星フォーチュンに向けて、ごう音と共に月面の粉じんを巻きあげながら飛びたった。

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