第二章 第四節「サラ」
2037年08月24日(月)
星野新は飯塚和也の家に招かれていた。飯塚和也のマンションは星野の住んでいるマンションのすぐ隣にあった。飯塚は彼のタブレットの中のAIに「サラ」と名づけて彼女と会話していた。星野は尋ねた。
「カズ。なにやっているの」
飯塚はタブレットをのぞき込みながら言った。
「チエの誕生日がもうすぐなのでプレゼントをつくろうと思って」
「なにを贈るの」
「掃除するもの」
こちらの世界ではモノづくりを趣味とする人が多い。それは自転車だったり、家具だったり、日用品だったりとありとあらゆる物がつくられていた。星野は興味津々で尋ねた。
「魔法のホウキでもつくるの。魔女が空を飛ぶものとか」
飯塚は笑った。
「チエは空なんか飛ばないよ。あいつは自分の足で地面を蹴ってただ走り回るだけ。他にはなにもしないんだよ。本当に。チエの部屋にいったことないだろ」
星野たちがパーティをしているときに、今度はチエの家でやろうという話がなんどもでた。しかし、その度にチエは料理ができないとか、部屋が汚いとか、かたくなに断った。飯塚は思い出し笑いをしながら続けた。
「一度、酔っぱらったチエを家まで連れていったことがあるんだけど、部屋に入ってビックリしたよ。まさにゴミ御殿。チエが前の世界でどんな暮らしをしてたのか見てみたいものだよ」
星野は驚いた。
「まめで世話好きな感じだから意外だな。でも、それなら掃除道具なんてあげてもしないんじゃない」
「道具じゃないよ。掃除機だって。電気屋さんに売ってる。しかも全自動」
「家電製品ってデザインとか、設計とか、いろいろな人が集まって、複雑な部品をたくさん使って大きな工場でつくるものじゃないの。そんなの一人でつくれるの」
飯塚は得意そうに答えた。
「今の時代はAIがサポートしてくれるから、家具でも家電でも自動車だって素人でもつくれるんだよ。それにこちらの世界は仮想現実なので、高い部品や貴重な材料でもなんでもそろうし。どうせならあちらの世界で売れるくらいの掃除機をつくろうかなと思って。そこで見ててみな」
星野が口をポカンと開けていると飯塚はタブレットの中のサラとの会話を再開した。
「全自動掃除機に必要な構成部品を教えて」
サラが答えた。
「掃除機部分に必要なのは、ゴミを吸うための吸い込み用のファンとそれを回転させるモーター、ゴミをためるダストケースと吸い込み口です。全自動ですので車輪などとエネルギー源になるバッテリーが必要になります。あとはゴミを識別するセンサーと制御用のAI基板といったところです」
飯塚は続けた。
「あんまり大きいのは邪魔なのでバレーボールくらいの大きさがいいな。入る部品を選んでくれる」
サラは一瞬にして部品を選びだして答えた。
「かしこまりました。それならこんなところです」
タブレットの画面にモーターやらバッテリーなどの電気部品が現れた。タブレットの中のサラが続けた。
「一番小さくなるようにレイアウトしますね」
飯塚は同意した。
「任せるよ」
画面が目まぐるしく切り替わり、サラは最適なレイアウトを求めて検討を進めているようだった。数分たってサラは言った。
「できました」
飯塚と星野は画面をのぞき込んだ。そこには、現実世界で見たことがあるような、平べったい円形のゴキブリみたいな掃除機ができあがっていた。飯塚はそれを見て言った。
「つまらないね」
星野も同意した。
「これなら電気屋で十分だ」
飯塚はなにかを思いついた。
「猫のぬいぐるみが掃除機を押して歩くなんてどうだろう。ペットのためならチエも部屋を片づけるんじゃない。チエは自分のことはやらないけど根っからの世話好きだから喜んで掃除すると思うよ」
星野は、「猫ね。チエちゃんらしいんじゃない。やんちゃで」と言った。
飯塚はタブレットに向かってサラに尋ねた。
「自律歩行型の猫型ロボットの構成パーツを教えて」
タブレットの中のサラは心得たとばかりに飯塚の願いをかなえた。
「四足のそれぞれの関節、首、尻尾にサーボモーター、リチウムイオン充電池、赤外線検知付CCDカメラ、超音波センサー、音センサー、臭気センサー、加速度センサー、スピーカー、AI用マイコン基板ってとこです」
星野にはなにがなんだかわからなかったが、飯塚は理解しているようだった。飯塚はつけ足した。
「また、ありきたりなロボットができそうだから、いやし機能が欲しいな。ヒーターとぬいぐるみの毛皮を追加してくれないか。あと、洗える防水機能」
サラはそれらの部品の候補と設計要素を瞬時に探し出して、次の質問をした。
「どんな猫にしますか」
飯塚は少し考えてから答えた。
「うーん。あんまり毛足が長いと汚れたモップみたいになるのでアメリカンショートヘアの子供なんてどうだろう。骨格に合わせて各部品をレイアウトしてみてくれない」
サラは作業を進めた。
「小さすぎて電池の容量が不足します。動きにもよりますが、約一時間で電池が切れます。電池の容量をあげると重すぎてモーターがもちません」
それを聞いて飯塚は星野に尋ねた。
「さあどうする。サラが助けを求めているよ。人間様の知恵の出しどころだね」
星野は飯塚に急にふられて困ったが猫が器用にスケートボードに乗る動画をテレビで見たことを思い出した。
「それならスケートボード型の掃除機にして、猫ロボットを上に乗せれば動かなくて済むんじゃない」
飯塚は感心した。
「今日のシンはさえてるね。スケボー型。面白そう。チエもスケボーが通れるように部屋を散らかさなくなりそう。部屋を汚させないための掃除機なんて発想が新しいじゃん」
星野はなるほどと思った。
「確かに。掃除機のために部屋を片づけたら、掃除機はやることがなくなって、それこそ猫のように遊ぶだけだね。これは今までにない発想だから、リアルの世界でもヒットするんじゃない」
飯塚はサラに指示を出した。
「それで決まり。スケボー型の自走式掃除機をつくって」
サラは部品のレイアウトを瞬時に計算し、飯塚との数回のやり取りで、わずか30分たらずでデザインと設計を終えた。続けて、飯塚はサラに指示した。
「物理シミュレーションで性能と強度、危険性を検証して」
サラはタブレットの中にできあがった掃除機と猫型ロボットを、仮想の部屋や環境でテストして性能を測定した。階段から落としたり、ぶつけたりして耐久性や強度を測定し、壊れた部品でけがをしたり感電しないか検証し、数字で記録を取って飯塚に伝えた。飯塚は記録を見て彼女への指示を追加した。星野は興味深そうに飯塚とサラとのやり取りをのぞき込んでいた。サラはひととおり計算を終えた。
「これで問題なさそうです」
飯塚はサラをねぎらって、「できたね。お疲れさま」と言った。サラは、「はい。有難うございます。完成しました」と答えた。
星野はサラの抑揚のない声が、少し興奮しているように感じて不思議に思って飯塚に尋ねた。
「AIに達成感とかあるのかな」
飯塚は腕を組んで考えた。
「今のAIは人間と対話しながら自分で学習しているから、きっと人間のような感情があると思う」
星野はそれを聞いて答えた。
「AIが自我を持ったら人間を滅ぼすと恐れている人もいるけど、ちゃんと教えてあげる人がいたらきっと良いパートナーになれるよね」
飯塚は、「AIの教師。新しい職業だね」と感心した。星野は飯塚のタブレットの中のサラに、「カズは良い教師かい」尋ねた。
サラは少し考えるそぶりをしてから、「はい。とても。少し意地悪ですけど」と答えた。星野と飯塚はそれを聞いて笑った。サラもそれに合わせて笑った。
飯塚はタブレットの中のサラに指示した。
「設計データを地下の共同ラボに送って、3Dプリンターに部品をつくる指示を出してくれる。あわせて、モーターや電池、マイコンなどの汎用部品の発注と転送もお願い」
サラはうれしそうに、「もう手配済です」と答えた。
飯塚が、「さすが、気がきくね」とほめると、サラは、「どういたしまして」と答えた。
「シン、部品ができるのを地下のラボに見にいくよ」
飯塚はタブレットを抱えてソファーから立ち上がり、玄関へと駆け出した。星野は慌てて彼の後を追った。
エレベーターで地下三階まで降りると、ワンフロアーの全部が巨大な工場になっていた。飯塚が説明した。
「手前の3Dプリンターがプラスチック用。真ん中が金属用。奥が基板用だよ」
二人はまずプラスチック用の3Dプリンターに設置された窓をのぞき込んだ。溶けたプラスチックがチューブから絵を描くようにして送り出されていた。何層にも絵を重ねることで、だんだんと立体ができあがっていく。星野は初めて見る光景に驚いた。サラが説明をしてくれた。
「掃除機のボディをつくっているところです。プラスチックを重ねてつくるので表面がピラミッドみたいにギザギザになってしまいます。ひととおり形ができたら、サンドブラストという小さなセラミックの粉を吹きつけて、表の凹凸を削って滑らかにします。それが終わったら塗装などの表面加工をしてできあがりです。昔は幾つかの工程にわけてやっていましたが今はすべて全自動です」
飯塚と星野は、部屋の中央に置かれた金属の3Dプリンターの窓ものぞいてみた。基本の構造はプラスチックと同じだったが、火花を散らしながら赤く溶けた鉄が流れ出て、重ねられていくさまはよりダイナミックなものだった。最後に一番奥の基板用の3Dプリンターの窓をのぞくと少し様子が違った。大きな印刷機の中を1平方メートルほどの薄いフィルムが左右にいったり、きたりしていた。出てくるたびに違った模様が印刷され、何層にも重ね刷りされているのがわかった。サラが解説してくれた。
「掃除機と猫型ロボットを制御するコンピューターをつくっています。昔は電子部品をハンダでつけていたけど、今は導電素材や半導体、絶縁素材などをマイクロカプセル化して基材に印刷します」
星野がサラに尋ねた。
「こんな大きなシートがロボットの中に入るの」
サラは得意そうに答えた。
「見ててください。もう直ぐ印刷が終わって炉に入ります。炉の熱でシートが100分の1に縮んで、さまざまな材料がくっついて焼き固まります」
印刷を終えたシートがベルトコンベアに運ばれて、炉と呼ばれる装置の中に吸い込まれていった。飯塚と星野が反対側に回ると、わずか1センチ四方に縮んだ小さなチップが機械から吐き出された。星野は子供が手品でも見ているように興奮した。
「カズ、すごい。これじゃあ人間の仕事がなくなって、みんなが失業だ」
飯塚が笑いながら言った。
「そうでもない。最後に組み立てるのは僕たち二人だから」
星野は急に冷静になった。
「組み立てるってまさか。それで僕を呼んだの」
飯塚はニヤリと笑った。
「その通り。部品点数が多いので一人で組み立てるのは大変なんだ。大量生産じゃないから一々、組み立てロボットを配置してプログラミングしてたんでは時間がかかるし、細かくてデリケートな組みつけは人間様のお仕事さ」
二人はサラの指示に従い、できあがった部品を集めて回り、組みつけ作業をおこなった。飯塚はともかく、星野は生まれてこの方、業務用の電動ドライバーなんて使ったことがなく、悪戦苦闘しながら、慣れない作業は深夜まで続いた。最後のネジをとめて飯塚が言った。
「よし完成」
星野は、「自分でつくるってなんかいいね」と言った。
飯塚は道具を片づけながら答えた。
「ああ。これが本当の魂のこもった贈り物だ。チエの驚く顔が目に浮かぶよ」
星野はモノ作りの醍醐味を味わうと共に職人も悪くないなと思った。その時、まるでタイミングを見計らったようにサラが告げた。
「お二人ともお疲れさま。軽い夜食とコーヒー、お風呂の準備をしておきました。
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