第一章 第二節「船上」

2037年07月09日(木)


 星野新は飯塚和也と共に『オーシャンパラダイス号』の上部デッキにいた。スイミングプールの横に並んだデッキチェアでくつろいでいた。降り注ぐ太陽の光と体をすり抜けていく潮風が心地よかった。船内では、そのあまりの巨大さに船上にいるという実感が持てなかったが、こうして大海原に囲まれていると自然の雄大さを感じることができた。

 プールではしゃぐ女の子たちの姿を横目で見ながら星野は言った。

「和也さん。女の子はどうしてああも簡単に仲良くなれるものでしょうか。それに見た目は二十歳でも中身は六十半ばのおばさんかと思うと不思議な気分です」

飯塚も彼女たちの動きを目で追った。

「女性の方が環境適応能力やコミュニケーション能力が高いと聞いたことがあります。外見が年老いたからおばさんでいたのかもしれません。若返ればそれを受け入れて心もすぐに若さを取り戻すのでしょうね」

星野はプールの反対側でなん度もお辞儀を交わしながらあいさつしている二人の男の子の方に顔を向けた。

「そうかもしれません。男は駄目ですね」

飯塚もそちらを見てほほえみを浮かべた。二人はしばらくまわりの人々を観察して過ごした。初めはバラバラに上部デッキにやってきた人々も、時間がたつにつれていくつかのグループになった。それぞれが話し相手を見つけて安心したかったのだろう。開放的な空間は仲間を探すには打ってつけといえた。星野はなにもかも計算されつくされていることに感心した。

「和也さん。ここは本当に素晴らしいです。食事も船内の設備も快適です。昨日の晩は何十年ぶりにゆっくりと眠ることもできました。メガネもいらないし体も軽い。本当に若返れて良かったと実感しました。でもなにか物足りなさを感じます。ぜいたくな悩みにも思えますが、なんといいますか」

飯塚は手を組んで、両腕を頭の上に大きく伸ばした。

「新さんも私もまだまだ心が年老いたままなんだと思います。この船旅は自分の過去を見つめ直す良い機会として準備されたものだそうです。こうしてのんびりしているといろいろなことを思い出します」

星野はデッキチェアに寝そべり、青い空に流れる雲を見つめた。

「そうですね。毎日あくせく働いて、人生の意味など考える暇もなく気がつけば老人になってました。大きな病気もせず、事故や災害にもあわず、ある意味、幸せな生活だったのかもしれません。和也さんの人生はどうでしたか」

飯塚も同じように空を見上げた。

「私も新さんとそれほど変わらないと思います。多少ぜいたくな暮らしはしましたが、お金がある暮らしはすぐに慣れてしまいます。今、思えば将来に不安を抱え、必死になって生きていた若い頃の方が夢があったように思えます」

星野は起きあがった。

「夢ですか。そうですよね。男は夢と冒険ですよね」

飯塚はそれを聞いて立ちあがった。

「夢と冒険。それにはまずは恋からでしたね」

そう言い終えると飯塚はプールに飛び込んだ。バシャッと大きな水しぶきがあがった。飯塚はまるで水生動物さながらの無駄のない動きで反対側のプールサイドまで泳ぎ切った。できる男はなにをしても様になるなと星野は思った。飯塚はプールからあがると二人組の女の子達に声をかけた。彼女たちの楽しそうな声がここまで聞こえてきた。話題も豊富で、人懐こい飯塚の性格なら打ち解けるのも容易いだろうと星野は思った。

 飯塚はすぐに女の子、二人を引き連れて戻ってきた。二人ともアイドルになれるくらいの美人だった。もっともここにいる女性は全員が美人といえたし、男性も全員が美男子といえた。飯塚は彼女たちに星野を紹介した。

「こちらは星野新さん」

星野は心の準備が整っていなかったので慌てて深々と頭をさげてしまった。

「星野新と申します。よろしくお願いします」

言い終えた途端、星野は先ほどのサラリーマンのあいさつと同じだと気づいた。星野の頬が恥ずかしさで赤らむのを見て、皆がどっと笑い一気に場がなごんだ。ショートヘアで瞳が大きく、小柄な小動物みたいにいかにも活発そうな女の子が言った。

「アラはちょっと言いにくいので「シン」って呼んでいい。和也さんは「カズ」で良いよね。私は上坂智恵(かみさかちえ)。「チエ」って呼んでね」

言葉遣いまで二十歳の子と変わらない。この子は本当に六十半ばのおばさんだったのかと星野は驚いた。チエと名乗った女の子がもう一人の女の子を紹介した。

「えっと、この子は北条月(ほうじょうつき)だから「ツキ」。さっき会ったばっかだけど」

チエは言い終えると楽しそうに声を出して笑った。チエの言い方は少し乱暴だったが、不思議となじんでいて、外見からすればむしろ自然だった。北条月と紹介された女の子は笑顔で二人に会釈をしたがまだどことなくぎこちなさを残していた。飯塚は星野の顔を見て、ウインクして見せた。星野はすぐにその意図を理解した。ツキと呼ばれた女の子は、腰まで届きそうな長い黒髪で鼻筋の通った色白の美人だった。飯塚と結婚する前の若き日の小野寺楓に似ていた。飯塚が、星野の好みを理解して二人に声をかけたのだとすぐにわかった。

 軽いあいさつを済ますと六人はしばらくウォータースライダーやビーチボールなどで遊んだ。星野は若者言葉を使うのは最初はかなり気恥ずかしかったが徐々に慣れてきた。三十分ほど遊ぶと、不思議と学生時代の記憶がよみがえり、バイト先の仲間と話す感覚になっていた。気がつけば彼らは大した意味のない会話でも声をあげて笑っていた。こんな風に心から笑ったのはいつ以来だろうか。星野には思い出すことができなかった。なにがそんなに楽しいかと自問しても答えはなかった。意味なんてない。ただ笑いが込みあげてきた。若返った体がそうさせるのかもしれないと思ったが、今は考えることを放棄して楽しむことにした。

 四人は遊び疲れておなかがすくと、船上での海鮮バーベキューにいった。ホタテにサザエ、岩ガキにアワビ。新鮮な食材が次から次とでてきては網の上で踊った。極めつけは顔より大きな伊勢海老の鬼殻焼きと豪華な食材が彼らのおなかを満たした。照りつける太陽が肌を焦がし、冷えたビールが喉をうるおした。星野は食材がまだ自由に手に入った頃のテレビCMだなと思った。もちろん貧乏学生だった星野にはそんな体験とは無縁だった。

 四人は昼食を済ますと船内のレジャー施設に向かった。カラオケにダーツ、ビリヤードと遊び回った。夜になったら正装に身を包んでディナーショーを楽しみ、ダンスの輪に加わった。年代物のワインと本格的なフランス料理、本物のオーケストラや一流のイリュージョニスト。星野にとってはどれも初体験で刺激に満ちていた。彼らは酒の勢いも借りて大いにはしゃぎ回った。とても現実離れした一日だったが、一度たりとも仮想現実であることを意識することはなかった。すべてが完璧なほどリアルに再現されており、若返った体はそれに答えた。

 夜の十二時を回った頃、四人は興奮した体を鎮めに甲板へとでてきた。潮風が心地よかった。街明かりに邪魔されることがないので、天の川の星々がクッキリと見えた。彼らはしばらく両手を伸ばして天空を見つめた。急に大声で飯塚が海に向かって叫んだ。

「これからが本当の始まりだ」

彼らもそれに続いた。甲板に並んだ彼らの心は少なくとももう、老人ではなくなっていた。

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