プロローグ

西暦2037年07月07日(火)


 星野新(ほしのあらた)は渋谷駅のハチ公口を出て空を見上げた。青く晴れ渡った空に、吸い込まれるように天空へと続く一本の巨大なタワーがたっていた。星野はこれから肉体を捨てて新たな世界に旅立つこととなっていた。彼はそのタワーに向かって一歩踏み出した。

 スクランブル交差点の向こうのセンター街は相変わらず若者たちでにぎわっていた。星野は昔を懐かしみながら、人混みを避けて歩道の端を歩いて道玄坂をのぼっていった。ほんの数十メートル歩いただけで息が弾んで立ち止まった。

「もう、早く」

振り向くと二十代の女の子が同世代の男の子の手を引いて駆け出すところだった。彼女の肩が彼にぶつかってよろめいた瞬間にメガネが飛んだ。

「おじさん。ごめんなさい」

彼女はそう言うとメガネを拾って星野に手渡し、ちょこんとお辞儀をしてから、男の子の手を引いて弾けるように走り去った。星野はメガネを掛け直すと、側にあったショーウインドーに映り込んだ自分の姿を眺めた。薄く細くなった髪の毛が汗で頭皮にはりつき、地肌がのぞいて見えた。額に刻まれた深いしわ。重力に逆らえなくなった頬。干からびたミカンの皮を思わせる凸凹した褐色の肌。白髪の混じったひげ。

「随分とくたびれたものだ」

星野はため息を一つついてから再び歩き始めた。

 道玄坂を進んだ先に一軒の鰻屋があった。『天然うなぎ』と書かれたのれんと高級そうなたたずまいにちゅうちょしたが思い切って店の戸を引いた。鰻の脂と甘辛いタレが焼けるなんともいえない香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか」

中から元気な声が聞こえてきた。和服に身を包んだ少しふっくらした女将に促されて店の奥のカウンター席に着くと、同じような年代の男が一人、先に座っていた。

 ファッションにうとい星野でもわかるくらいの高級なスーツに身を包み、凛とした雰囲気は男が成功者であることを暗示していた。男は星野を一べつすると彼が右手に抱えていた封筒に目を止めた。男は星野に会釈をすると、今では貴重品といえる牛革のかばんを持ち上げて、開いて中を見せた。星野と同じ封筒がチラリとのぞいて見えた。

「お仲間ですね」

そう言うと、男は胸の内ポケットから本革の名刺ホルダーを取り出して、一枚抜き取って星野に差し出した。星野の目は名刺にくぎづけになった。

『iネットホールディングス株式会社 代表取締役会長 飯塚和也(いいづかかずや)』

 男は経済ニュースを毎日のようににぎわす常連で、ITの学生ベンチャー企業から一人で身を起こし、今では金融、家電、自動車、不動産まで手広く手掛ける日本屈指の一大企業のトップ経営者となった人物だった。

「まあ、こんな肩書はもうなんの役にも立ちませんが」

飯塚は照れ臭そうに星野と同じように髪が薄くなった頭をなでて、「始めまして。飯塚和也と申します。」と名乗った。

星野は慌てて、「あ、えーと。星野。星野新と申します。新しいと書いてアラタと読みます」と答えた。飯塚は人懐こそうな笑顔をつくった。

「星野さんですか。ここで出会ったのもなにかの縁です。あちらの世界にいったら、ぜひ、よろしくお願いします。できたら下の名前でアラタさんとお呼びしてもよろしいですか」

星野は裏返りそうになる声をなんとかこらえて答えた。

「あ、いえ。私なんかで良ければ、こちらこそよろしくお願いします」

飯塚はカウンターの向こうの店主に声を掛けた。

「取りあえず天然麦芽のビールを一本とグラスを二つ」

飯塚は星野の方を向いて続けた。

「新さんはビールで良かったですかな。お代の心配はいりません。どうせあちらの世界ではこちらのお金は使えません」

今の時代、天然ものの食材は庶民の口にはめったに入らないものとなっていた。星野はもう5年以上、天然もののビールは口にしていなかった。

「あ、はい。それでは遠慮なく」

炎天下の中、坂道をのぼってきたのでうれしい申し出だったし、ここで断るとせっかくの門出が気まずいものになりそうに思えた。

 女将が奥から冷えたグラスとビール瓶を運んできた。

「お二人とも今日、ご出発ですか」

飯塚はグラスにビールを注ぎながら答えた。

「ええ、本物のビールとは今日でおわかれです」

トクトクと音を立てながらこはく色の液体がグラスを満たし、無数の泡が生まれて白い層を重ねていく。飯塚はグラスを一つ星野に差し出した。

「それでは乾杯といきますか」

星野はグラスを受け取った。

「はい。新しい旅立ちに」

「乾杯」

お互いのグラスを軽く触れさせた。コツンと心地よい感覚が手に伝わる。二人はグラスを口元に運ぶと一気に飲み干した。冷たさが喉を伝い、ほろ苦さが鼻を抜けた。

「ふー」

二人同時に声を漏らした。

「昼間のビールは格別ですな。新さん」

星野は上唇についた泡を舌先でなめた。

「ええ、本当に。この感覚が向こうの世界でも味わえるか心配です」

飯塚は笑顔を絶やさず、それに答えた。

「最近のテクノロジーはあなどれません。仮想現実とは感じさせないくらいリアルだと、先にいった知合いが言ってました。食はとても繊細な文化の一つで、初期のシステムでは食の再現をおろそかにしたので、移住者の活力が低下して廃人ならぬ、廃脳になってしまったものが続出したそうです。今では『サテライトシティ』のニュースで一番人気はグルメ情報です。心配は要りません」

飯塚はカウンターの奥で鰻を焼いている主人に目をやった。炭火の上で爆ぜる鰻の脂とタレの音が心地良かった。

「まあ、ここの主人の鰻はあちらでは食べられませんが。料理人のちょっとしたコツや長年の感はその人にしか理解できないこともあるようです。仮想現実とはいえ、あちらの世界でも料理人は、とてももてはやされています」

星野はもう一口、ビールで口を潤した。

「飯塚さんのお話を聞いて少し安心しました。正直、食べる楽しみが失われたらと、とても不安でした」

飯塚もビールを一口飲んだ。

「堅苦しい言いかたは止めましょう。和也で結構ですよ。新さん。」

二人はビールを追加し、焼き立ての鰻をさかなに、しばらく世間話に花を咲かせた。

「和也さん。あなたほどの地位があれば、わざわざリスクを冒してあちらにいかなくても、こちらで十二分な暮らしができると思うのですが」

星野はアルコールのせいか、人懐こい飯塚の性格のせいか、いつもなら初対面の人には尋ねたりしないプライベートに立ち入った問いかけをしてしまったと反省した。しかし、飯塚は思いのほか、素直に答えた。

「いやー。お恥ずかしい話ですが、この年になって生きるということが良くわからなくなりまして。世間から見れば多少なりの財産もありますし、人に誇れる仕事もあります。しかし、昔のような情熱がないのです。これが老いるということなのか、人生に満足してしまったと言いますか。新さんから見ればぜいたくな悩みですよね」

星野はまったくだと思い、ついつい意地悪な質問を追加してしまった。

「和也さんの奥さんは女優の小野寺楓(おのでらかえで)さんでしたよね。実は私、楓さんファンでした。婚約記者会見の時はやけ酒をあおったくらいです。彼女を悲しませるのは正直、許せません」

飯塚はビールのグラスを見つめながら語った。

「はい。実は楓にすすめられて今日のことを決断した次第で。このことは娘夫婦もマスコミも知りません。結婚当時は私も若かったし、野心もありました。マスコミが言うような彼女の父親の財力に引かれた訳では決してありません。しかし、マスコミがはやし立てれば立てるほど、私は仕事で見返したくなって。気がつけば世間で言うところの仮面夫婦です。妻は妻で家を空けることの多い仕事でしたし、彼女なりに女優の仕事に情熱を注いでいたので、次第にお互いの話す話題がかみ合わなくなってしまいました。共通の趣味でもあれば良かったのですが、お互いに仕事が趣味みたいなものでした。お恥ずかしい限りです」

見ず知らずの自分に秘密を話す飯塚に、星野は興味本位で質問したことが恥ずかしくなった。

「立ち入ったことを聞いてすみません。私も同じようなものでして、定年退職した途端、家に帰ると机の上にこれが乗ってました」

星野はカウンターの上に置いた封筒を示して話を続けた。

「情けない話です。私は和也さんと違って生きることで精いっぱいでした。妻や娘に残す財産もありません。せめてお金に困らない生活だけでも残して楽させてやりたくて。私のくいぶちが減って、家族に年金が支払い続けられるならあちらの世界も悪くないと思いました。皆さんは、どんな気持ちであちらに旅立たれたのでしょうか。正直に申しますと、まだ、私は気持ちの整理がついておりません」

そう言い終えると星野はグラスに残ったビールを一気に飲み干した。飯塚は星野の空いたグラスにビールを注いだ。

「新さんは正直ですね。皆さん、それぞれ生きてきた事情や思いを抱いてあちらの世界にいかれたと思います。ドラマみたいな人生ではないにしろ、六十半ばも生きていれば思い残すことも多々あるでしょう。私は新しい世界についたら、今までの人生のすべてを忘れて、もう一度人生をやり直そうと思っております」

星野は飯塚に尋ねた。

「私もやり直したいとは思うのですが、なにをしたら良いのかわかりません。飯塚さんはあちらでなにをなさいますか」

飯塚は星野に向き直って、星野の目を見据えた。

「冒険です」

「はい?」

星野は思わず聞き返してしまった。飯塚はビールを一口飲んでから自分に言い聞かせるかのように語った。

「冒険です。文字通り危険を冒すという意味です」

星野は飯塚の姿や経歴から推測してたずねた。

「新しい事業を始めるということですか」

「いいえ、事業はもう懲り懲りです。もう十分に世の中のために生きました。これからは自分のために生きます」

星野は飯塚の冒険がどんなものか知りたくなった。

「よろしければどんな冒険かお聞かせ願えませんか」

飯塚は首を横に振りながら答えた。

「残念ですが今は内緒です。話してしまったら冒険ではなくなります。いずれ、その時がきたらお話しします。必ず」

星野は飯塚がなにかとてつもない野心を抱いているのかもと思ったが、自分にはなんのお手伝いもできそうにないだろうとも思った。飯塚は重苦しい空気をふっきるためにあえて明るく言った。

「いゃー。しかし、その前に命がけの恋をしてみたいものです」

星野は恋と言う言葉に思わず口に含んだビールを吹き出しそうになってたずね返した。

「命がけの恋ですか」

飯塚は真剣なまなざしできっぱりと宣言した。

「はい。恋です。私の人生で『生きている』と実感できた唯一の時間でした」

飯塚の言葉で星野の脳裏を忘れ去られた思い出がめぐり、何十年かぶりに胸が高鳴った。星野は思わず口にだした。

「私もそうします」

飯塚もそれに答えた。

「それが良い。お互いに恋のライバルになるかもですね」

飯塚は星野のグラスにビールをたすと乾杯をうながした。

それからしばらく二人は彼らの時代の恋の失敗談で盛り上がった。



 星野新は飯塚和也と共に『サテライトゲート東京』と呼ばれる施設のエントランスに立っていた。エントランスは窓を多く取り入れた明るく開放的な場所で、百数十人程の人でにぎわっていた。館内放送が受付の開始を告げていた。

「ようこそ。『サテライトゲート東京』へ。まもなく本日1:00よりの受付を開始します。ご出発のかたは申込用紙に書かれたゲートナンバーに従い受付カウンターにお並びください。手荷物などは持ち込めません。あらかじめ処理カウンターにお渡しいただけますようにお願いします。お見送りのかたは当エントランスより中にははいれません」

二人はそれぞれの封筒から申込用紙を引き出して確認した。飯塚が星野にたずねた。

「私はゲート『D』です。新さんはなにゲートですか」

星野は自分の申込用紙を示して、「私は『J』です」と言った。

「それではあちらに着くまではおわかれですな。では、のちほど」

星野は飯塚に深々と頭を下げてお礼をした。

「ええ、和也さんに出会えて決心がつきました。ありがとうございます」

二人はわかれのあいさつを済ますと、それぞれのゲートに向かい列に並んだ。

 星野は十数分待たされた後に受付を終えた。ゲートを抜けて指定された部屋に入るとカウンセリング担当の女性が待っていた。彼女はスラリとした体形で一見、二十歳代なかほどに見えたが、首元のしわが三十過ぎを物語っていた。彼女は星野に軽く会釈をした。

「初めまして。星野新さんですね。私は宮内遥(みやうちはるか)と申します。これから星野さんのカウンセラー兼、技師を務めさせていただきます」

彼女のハッキリとした口調は自信に満ちていて星野に安心感を与えた。宮内は星野の様子をうかがってから続けた。

「少しお酒をお召し上がりのようですので、まずはこちらのアルコール分解剤をどうぞ。かまないようにゆっくり口の中で溶かしてください。1分程で酔いがさめます」

宮内は白い錠剤を手渡してくれた。星野はそれを口に含んだ。意識が澄んでいくと、急に恥ずかしくなった。

「あ、あまり気にしないでください。こちらにいらっしゃるかたは大概お酒を召しあがってこられますので。酔いが落ち着きましたら施設の概要と今後の手順を説明させていただきます」

おそらく宮内の性格なのだろう。宮内は腕時計を見つめながら時間を計った。

「『サテライトゲート東京』は厚生労働省、経済産業省、スピリッツ社からなる共同体が運営する医療施設です。『サテライトシティ』に移住されるかたの人体モデリングデータの作成と大脳、小脳、延髄の摘出をおこないます。取り出した脳は『スカル』と呼ばれる生体維持コアに格納します。『スカル』には小型の量子コンピューターが搭載されており、脳以外の星野さんの人体データはこちらにすべて記録します。それが終わったら『スカル』は隣接する『渋谷軌道エレベーター』で大気圏外へと運ばれ、専用のシャトルで月面の『静かの海』に建造された『サテライトシティ東京』に向かいます。『サテライトシティ東京』に到着したら施設の中核となる量子コンピューター『アスカ』に接続されて移住は完了です」

宮内は一息置いてから続けた。

「データの作成と脳の摘出、『スカル』への格納とセッティングで1日、軌道エレベータでの移動に1日、シャトルで月までの移動に4日、月での『スカル』の接続作業に1日、合計でちょうど1週間かかります。現実空間ではこのスケジュールですが、仮想空間上で星野さんは明日の朝、『オーシャンパラダイス号』という客船の船室で目覚めます。月までの移動の間はゆっくりと船旅を楽しんでいただくことになります。仮想空間上ですが世界最大の客船で、とてもぜいたくな体験ですよ」

 宮内は脇に置かれた、海上に浮かぶリゾートホテルのような客船の模型を指さした。模型には金属の銘板がそえてあった。


[オーシャン パラダイス号]

全長:366m 全幅:49m

客室:1000室

   全室ロイヤルスイート、面積50m2、

   キングサイズベッド、バルコニー付。


 星野は至れり尽くせりだなと感心したが、宮内があまりに自信満々に説明するので少し、反抗したくなった。

「月までの宇宙旅行を楽しみにしていたのですが」

宮内は動じることなく続けた。

「中にはそうおっしゃるかたもいます。しかし、実際の宇宙旅行は退屈なものですし、はじめての宇宙空間は人に不安を与えます。また、この船旅は脳が仮想空間での新しい体に慣れるためのリハビリを兼ねています。実際の移動にともない脳は若干の振動や加速の影響を受けます。脳は繊細な器官ですので船酔いに似た感覚になるそうです。以前はコールドスリープで運んでいましたが、この間に悪夢を見られるかたが多くいらっしゃいました。移住後の新しい生活のスタートが台無しになってしまうとのご意見から導入されました」

星野はわがままを言ったことを反省しながらも、このシステムが移住者のことをしっかり考えていることに安心した。

「勝手なことを申しましてすみません」

宮内は笑顔をつくった。

「いいえ、貴重なご意見をありがとうございます。冒険心の強いかたには宇宙旅行のプログラムも検討する価値がありそうですね」

宮内は手に持ったタブレット端末にメモを書き込んだ。

「では、そろそろ始めさせていただきます。まずはこちらの3DCTスキャナーを使って星野さんの身体を計測して記録を取ります。産毛の一本一本まで正確に記録します。外側だけでなく骨格や臓器といった内部もマイクロメートル単位で測ります」

宮内は部屋のかどに設置されたドア前まで星野を案内した。

「中の脱衣場で着衣を全部脱いで籠に入れてから、奥のCTスキャン室へお進みください。メガネをはずすことも忘れないでください」

 星野はうながされるままに脱衣場に入って服を脱いだ。中は四面、鏡張りで星野は自分の老いを目に焼きつける羽目になった。スピーカーから宮内の声が聞こえてきた。

「服をお脱ぎになりましたら隣の部屋にお進みください。中に入りましたら、足元のマークの上に足を乗せて、腕を軽く横に開いて立ってください。よろしいですか」

星野は素直にその言葉にしたがった。

「はい。OKです」

 星野は宮内が外のモニターで、このだらしなくなった身体を見ながら指示をだしていると思うと気恥ずかしかった。スピーカーから宮内の声が響いてきた。

「では計測を開始します」

宮内が言い終わると同時に、パシャっという音とともに室内が一瞬光った。

「はい。終了です。では服を着て戻ってきてください」

星野はあまりにあっけなくて拍子抜けしたが、気を取り直して服を着ると宮内のもとに戻った。宮内は「驚いたでしょと」言う顔をした。

「はい。お疲れさまです。最後に遺伝情報を取りますのでこちらの綿棒を口にくわえて、頬の裏を数回こすってください」

 わずか5分とかからず作業は終わり、目の前の大型モニターには等身大の星野の姿が映しだされていた。星野はこんなにまじまじと自分の姿を見たことがなかったのでかなり気恥ずかしかった。宮内は事務的に話した。

「では申込用紙の記載事項を確認しながら、移住時の体をデザインしていきます。移住後に変更することも可能ですが、精神的な負担や脳の生理的な負担が大きくなります。ご希望は、今、遠慮なくおっしゃってください」

宮内は手にしたタブレットを操作しながら続けた。

「年齢は二十歳でよろしいですね」

宮内がタブレットの年齢の所を指でスライドすると大型モニターの中の星野の姿があっという間に若返っていった。それはまさに二十歳の星野の姿そのものだった。宮内がタブレットの中の自分の姿を回転させるとモニターの中の二十歳の星野も回転した。星野は目を丸くしながらモニターを覗き込んだ。宮内は星野の反応を確認して言った。

「その様子でしたらかなり正確に再現できてるようですね。直しておきたい場所はありますか。例えば今風の若者みたいに足を長くしたいとか、色白にしたいとか。体毛をなくしたいとか。ホクロやアザ、やけどの痕なども消せますし、歯の矯正は仮想空間での健康維持にも役立ちますのでおすすめですが。あまり極端な修正を加え過ぎると脳が拒否反応を示しますので適正範囲はこちらで調整します」

星野はあまりのことに言葉に詰まった。

「あっ。いや。驚きました。コンプレックスはいっぱいあるのですが、なにをどうしたら良いのか。なにか参考になるものとかありませんか」

宮内は困った様子もなく言った。

「わかりました。現代の標準体形と標準顔をベースに星野さんの個性を生かしながら、約七割の男女が好感をいだき、約三割の女性が特別な好意をいだくように統計的な手法を交えて補正します。あまり均一に標準に近づけすぎると個性がなくなってロボットのように見えますのでところどころ調整します。まずは体から。手足を少し長めに変更します。脳が身体感覚を取り戻せるように3センチに止めておきます。特に思い入れがなければ右手の火傷痕と左脚の手術痕は消しときます。肌のキメを整えて体毛は少し薄めにしましょう。色白すぎると女性っぽく見えますので健康的に感じるようにわずかにメラニンを加えて日本人らしい色合いに調整します」

星野は宮内の手際の良さに感心した。

「次に顔ですが鼻と耳の形はとてもきれいなので全体のバランスを保つ程度にして置きます。現代風にあごを少し小さくして、歯並びを矯正します。まぶたを二重にして、目はもう少し開き気味に。目じりをわずかにあげると目に力がつきます。まつ毛をちょっと長めにすると女の子の好感度がアップします。髪の毛は細いとベッタリするのでほんの少し太くして、ボリュームを3パーセントほど下げます」

宮内がタブレットを操作する度にモニターに映し出された二十歳の星野の姿は変化していった。宮内は彼氏の洋服を選ぶかのように星野の体を変えていった。星野は人の体で遊んでいるんじゃないかと思ったが、彼のコンプレックスを的確に捉えていたので、素直に任せることにした。宮内が少し興奮気味に話すのが心地よかった。

 宮内が操作を終える頃には星野が思い描いていた理想の姿がモニターの中に立っていた。宮内は自信満々だった。

「どうですか。とても魅力的ですよ。星野さんの素材がとても良いからです」

星野はお世辞だと思いながらもまんざらではない気持ちになった。

「ありがとうございます。移住が楽しみになりました」

宮内はほほ笑みを浮かべた。

「こちらこそ。そう言っていただけるのがなによりです。あちらについたら運動をされると良いですよ。脂肪は落とせますが、小脳に負担がかかるので筋肉量はここではあまり増やしてません」

星野は深々と宮内にお辞儀をした。

「そうします」

 宮内は壁時計に目をやって言った。

「そろそろおわかれです。こちらをお飲みになってください」

宮内は青い錠剤を二つ星野に手渡し、医療用のベッドに彼を誘導しながら続けた。

「これを飲んだらこちらに横になってください。すぐに眠りにつきます。次に目覚めた時は仮想現実世界の住人です」

星野はベッドに体を横たえると錠剤を口に含んだ。宮内は子供でもあやすような優しい目で星野の顔を見つめた。

「お休みなさい。よい旅をお祈りしています」

「ありがとう。お休みなさい」

星野は言い終えると静かに寝息をたてはじめた。

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