マイグレーション(移住)

坂井ひいろ

はじめに。

 西暦2037年。地球人類の平均寿命は76歳に達し、中でも先進諸国の高齢化は深刻で平均寿命は100歳をこえていた。世界人口は87億人を突破し、地球温暖化による気象変動と都市化がもたらす砂漠化で、食糧の不足は慢性化していた。人類は工場で生産したバイオ原料を加工して人工食材をつくりなんとかしのいでいた。しかし、国連の試算では2050年には平均寿命は新興国を含めて84歳に達し、地球の人口は100億人をこえることが確実視されていた。

 さしせまる問題をうけて、国連は宇宙コロニーや火星のテラフォーミング、地底都市や海洋農場など荒唐無稽とも思える計画を真剣に議論した。しかし、宇宙開発は爆発する人口の増加に対応できる時間的なめどが立たず、地底や海洋開発はさらなる地球環境の破壊につながる恐れが否定できなかった。

 国連は量子コンピューターの飛躍的な進歩を後押しにして、スピリッツ社が発案した『サテライトシティ計画』の推進を採択した。同計画は、増え続ける老齢人口の対策として、65歳に達した人から生きたまま脳を取り出し、量子コンピューターに接続することで、電脳空間の中に築いた仮想都市に移住させるという大胆なものであった。

 肉体を維持する必要がないので、エネルギーとなる食糧と酸素の消費をおさえることができた。また、増え続けるごみ問題や生活のための物資の生産の低減にも役立っとされた。高齢化による医療費や介護の問題も合わせて解決できた。不要となった肉体の一部は移住者の同意をえて、臓器移植を待つ患者に提供された。

 移住者には肉体を失う代償として、仮想現実社会の中で若さと不老の肉体をえて脳が寿命をむかえるまで、病気や事故とは無縁の第二の人生を満喫することが約束された。当然のことながら個人の心情や宗教的な見地から反対意見も多く、移住は自由な意思に基づく選択制とされた。各国の政府は移住者が脳死に当たらないことを理由に、家族への年金の継続的な支払いと相続税の先延ばしを認めて移住をすすめた。

 テロなどの破壊活動や天変地異の影響を避けるため『サテライトシティ』と呼ばれる施設は月面『静かの海』に建造された。月面は大気がないので量子コンピューターの電源となるソーラーエネルギーのロスを軽減するのに都合が良かった。巨大な量子コンピューターを核に『サテライトシティ』は世界の主要都市名に合わせて複数個の施設が建設されており、それぞれ『サテライトシティ東京』などの都市名で呼ばれた。

 2021年にテストモデルの開発がスタートし、2027年に実用実験が終了。2030年には第一次月面施設の建設が完了し、ニューヨーク、東京、パリの三カ所が稼働を開始した。2037年現在、『サテライトシティ東京』の居住者は約150万人に達し、65歳以上の人口の約4%が電脳空間で暮らしていた。各都市へは、1日に1000人が移住して規模の拡大がおこなわれていた。

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