帰り道
「キミちゃんってさ。和食が、好きだよね」
9時前には、自宅の最寄り駅を降り、少し冷える夜道を、二人で帰っていた。妻が出し抜けに、会話をふる。
「うん、まぁ。でも、そればっかり食べたいとか、思うわけじゃないけど」
妻の手料理は、基本的に洋食だ。"白いご飯に、焼き魚と味噌汁" というシンプルな献立さえ、かなり珍しい。
『何を言いたいのだろう』と、隣の彼女を見ると、妻はトコトコと、少し歩く速さを増して、僕の前に出る。
「私、知ってたんだ。でもずっと、意地悪してた。キミちゃんがきっと、言ってくれるんじゃないかって、期待したりして」
「何を?」
僕は妻に追いついて、尋ね返す。
若菜は、気のせいか気鬱そうな表情を浮かべ、僕ではなく、まっすぐに前方を見つめている。脇の二車線を走りぬける車のヘッドライトが反射し、妻の瞳が、きらりと光る。
「私ってね、あんまりいい人間じゃないの。キミちゃんみたいな良い旦那さんなんて、ずうっと、縁が無いような、そういう悪い人間のはずなの」
妻は、先日の"悪い女" 発言の説明をしていた。たぶん、そうだ。
「いや、僕だって、まさか自分が結婚するとは、思わなかったし。若菜はまさに好みのドンピシャで、初めて会った時は、"価値観変わった" と思うくらい、衝撃だったよ」
人間、生きていれば、分不相応な幸運にあずかる時が、一度はあるのかもしれない。それが僕にとっては、間違いなく、妻との出会いだった。
僕は右腕を伸ばすと、彼女の左手を取る。外気に負けない妻の手は温かく、僕は、少し気まずい思いをしながら、彼女の横顔を見つめた。
僕の視線に気づいたのか、若菜は視線を上げ、僕の目を見返す。
「だからキミちゃんは、私に勿体無いんだ。私みたいにひどい嫁、他にはいないのに」
妻の言葉は、どこか自嘲的で、根拠のないものに思えた。それでもそれを言う若菜の目が、あまりにも真剣で、僕は、返す言葉を見つけられなかった。たとえそれが彼女の思い込みでも、僕にとって彼女は、最良の妻だ。
朝目覚めて、夜眠るまでの間、家事のことは不器用なりに、一生懸命、工夫してこなし、僕はあまり不満を感じたことは無い。二人で話をしていても、妻の明るさにはいつも、元気付けられている。助けたいと思い、事実、助けられている。
だからこそ、もう一か月前になるあの夜のことを、僕は、どうしても信じられなかったのだ。
「若菜が、そんな風に思ってるなんて、僕は知らなかった。だから…なの? 一人で、君が死のうとしたのは、そういう理由?」
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