第1話

「……閑静な住宅街で、非常に痛ましい事件が発生しました」

 爽やかな朝を台無しにするように、テレビの中のニュースキャスターは神妙な面持ちで台本を読んでいた。

 閑静な住宅街で発生した坂崎家一家殺人事件についての報道だった。

 第一発見者は家主である坂崎浩平の姉、江藤しずえだった。全く連絡が取れなくなった坂崎家に不審に思ったしずえが、合い鍵を使って中に入ったところ発覚した。

 それよりも前に急に欠勤するようになった浩平の会社、学校に来なくなった絵里の通う高校も異変に気付いていた。しかし自宅に鍵がかかっていた事で発覚が遅れたという事だった。

 テレビ画面が現場付近の住宅街からの中継に切り替わった。閑静な住宅街。先日加奈子が父親と一緒に歩いた道が写っていた。

「物騒ね」

 テレビ画面に目を向けながら、加奈子の母親、佐藤幸子が眉をひそめていた。彼女は茶碗を持つ手を止めて、すっかりテレビに意識を集中させていた。

「あなたも気をつけなさいね。しばらくお父さんの所に行くのやめたほうがいいんじゃない?」

 そう言って彼女は加奈子の方を見た。加奈子はトーストをかじりながら「大丈夫よ」と笑った。

「そんな怪しい所に行かないし、何かあったらお父さんが守ってくれるよ」

「守れるわけないじゃない。あんなヒョロヒョロの人が。危なそうなら父さん盾にして逃げなさいよ?」

「あはは、はーい」

 加奈子はトーストを食べ終え、牛乳を飲み干すと、手を合わせて立ち上がった。

「じゃあ準備して行くね」

「寄り道しないで帰って来てね。こっちにも変な人がいるかもしれないし」

「心配しすぎだよ。まあ、できるだけ早く帰って来るね」

 加奈子は笑みを浮かべながらそう言うと、歯を磨くために洗面所の方に向かった。

 リビングを出て母親から見えない所に来たところで、彼女は小さくため息をついた。先ほどまで相貌に浮かべていた笑みはフッと消え去った。

 母親は加奈子と佐藤が殺しを行なっていることを知らない。父からの教えで、例え家の中でも快活な女子高校生を演じなければならない。そのため、家でも母親と一緒の時はいつものこのように若干無理をして接しなければならなかった。

 歯を磨きながら、加奈子はぼんやりと先日の仕事のことを思い出した。

 父は加奈子のあの時「七〇点」と呟いた。一応八〇点以上が合格点と言われている。

 彼女は生まれてこの方一度も合格点を取ったことがない。最高得点は半年前の仕事で七五点だった。

 早く次の仕事来ないかな。そう心の中で呟きながら、加奈子はうがいをした。


 加奈子にとって人を殺すことは日常生活、歯を磨くことと何ら変わらないことだった。

 物心つく前から母親には内緒でナイフを握らされていた。

 はじめは動物の解体からだった。加奈子もなんとなく覚えているのが、近所の野良猫を父親の言葉に従いながらパーツに分ける作業である。どこに刃を立てれば無駄な力を入れずに切断できるのかを、丁寧に教えてもらったのを覚えていた。

 最初に人体にナイフを入れたのは、小学三年生の時だった。まずは遺体の解体から。人体のどの部分を刺せば声を挙げずに、痛みを感じずに殺すことができるのかを、細かく教えてくれた。

 初めて人を殺したのは小学五年生の時だった。頭ではどのようにすれば良いのかわかっていたが、最初はうまくいかず、ずいぶんと痛い思いをさせてしまったことを今でも覚えている。

 最初の仕事は「二〇点」だった。もがき苦しんでいるため、見かねた父親が楽にさせていた。

 それから加奈子は父親の仕事を手伝うようになっていった。父親は月に二、三度ほどのペースで仕事を持ってくる。それが誰に依頼されたものなのかは加奈子は知らない。ただ、父親から声がかかった時に、父親に言われた通りの役割をこなすだけ。そこに感情などは存在しなかった。

 ただ、合格点を取りたい。それだけを加奈子は考えて仕事をこなしていた。

 幼い頃からつけられていた点数であり、彼女にとって何よりも重要な指標であった。

 いつか合格点を取りたい加奈子はそれだけを考えて、次の仕事を心待ちにしていた。

 つまらない日常を過ごしながら。

「そろそろ行かないとじゃない?」

 階下からそんな声が聞こえていた。時計を見ると七時半をもう少しで超える頃だった。もう家を出る時刻である。

「はーい」

 加奈子は部屋の姿見をチェックした。歯磨きを終えた彼女は身支度も全て終えて制服に着替えていた。

 姿見に写る自分は、どこからどう見てもごく普通の女子高校生である。表情をその相貌に写していないことを除いて。

 最後に無表情の顔に表情を付ける。笑みを浮かべると、これでようやくごく普通の女子高校生になった。

 寝室を出たら、夕方またこの部屋に帰って来るまでこの表情を続けなければならない。

「よし」

 加奈子は小さく気合を入れて寝室を後にした。

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