27:いま助けに行く
「……わたしはハクア様が好きです。大好きです。でも……」
新菜は言葉を切り、俯いた。
「竜と人という種族の違いを気にしているのですか?」
「……はい。どうしたって、わたしは人間で、ハクア様より先に死んでしまいます。またハクア様は独りになってしまう」
人と竜では時間の流れ方が違う。
たった十年共に過ごしただけでイグニスは子どもから大人へ変わったと、ハクアが零したことがある。
ハクアは時々酷く寂しそうな顔をする。
どんなに愛しても自分は竜で、置いて行かれてしまう――根底にあるのはそんな思いだろう。
新菜はどうすることもできない。
どんなに頑張って長生きしたところで、ハクアが死ぬより新菜の寿命が尽きるほうが早い。
「そんなの簡単なことですよ。ニナがハクアの子どもを産めばいいんです」
何でもないことのように、実にあっさりとアマーリエは言ってのけた。
「…………っとえええええええ!?」
奇声を上げ、新菜は大きくのけぞった。
「こ、こ、子どもって」
真っ赤になって口をぱくぱくさせる。
アマーリエは何をそんなに驚くのか、といわんばかりの平然とした態度で続けた。
「そうすればもしニナが死んでもハクアは独りにはならない。もしその子が死んでも孫が。さらにその子どもが。ハクアの家族になるでしょう?」
「…………」
「ハクアに家族を作る。それはニナにしかできないことだと思いますけれど」
「……………………」
「まあ、参考程度に考えておいてください。これはまだ未来の話です。まずはハクアを救出しなければ、未来そのものが失われてしまいますから」
「あ。そ、そうですよね。まずはハクア様を助けないと」
まだ赤く染まった顔を何度か縦に振り、ぺちっと頬を叩いて気合を入れる。
「ええ。……ニナはイグニスとハクアが出会ったときの話を聞いたことがありますか?」
唐突と思える話題の切り替えだったが、新菜は頷いた。
「……少しだけ。人間に追いかけられ、疲れて森で休憩しているときに、偶然イグニス様と出会ったと」
「それは嘘ではないですが、肝心なところが抜けていますね」
窓の外の雨脚は弱まっている。
もうすぐ止むかもしれない。
「肝心なところ?」
「ええ。――そのときハクアは瀕死の重傷を負っていました」
「……え」
そんな話、ハクアにもイグニスにも聞いたことがない。
フィーネも気になるのか、アマーリエを見つめていた。
「地面が赤く染まるほどの血を流していたと。もちろん全ては人間の仕業です」
沈痛な面持ちで、アマーリエは語る。
「イグニスはいまにも死にそうな竜を見つけて、大丈夫かと声をかけました。するとハクアは息も絶え絶えに懇願したそうです――『殺してくれ』と」
言葉が出ない。あまりにも衝撃的過ぎて、頭の中が真っ白だ。
ハクアは「休憩していたところをイグニスに見つかって逃げようとした」と言っていたが、あれは真っ赤な嘘だったのだ。恐らくハクアは新菜がショックを受けると思ったから事実を伏せた。
「いまでこそハクアはイグニスに全幅の信頼を寄せていますけれど。保護した当時は本当に苦労したそうですよ。突然癇癪を起こして暴れる、ありとあらゆる家財道具を破壊する、叫び出す。中でも家宝の壺を壊したことは大事件だったそうです。家から叩き出そうとする両親を宥めるのが大変だったと」
「…………」
信じられなかった。ハクアにそんな過去があったなんて。
「それでもイグニスが頑なにハクアを守ろうとしたのは、ハクアが泣くから。眠るとハクアは何度も魘されて、悲痛な声で泣いたそうです。独りぼっちの竜をここまで追い詰めたのは人間なんだから俺がどうにかしないと、とイグニスは苦笑していましたが、私は正直、ハクアに嫉妬していたんですよ。会ってもイグニスが話すのはハクアのことばかりで」
遠い昔を懐かしむように、アマーリエは目を細めた。
「あの二人の関係性は、なんと説明したら良いのでしょうね。種族を越えた唯一無二の親友。あるいは兄弟でしょうか。とにかく、特別な絆で固く結ばれているのですわ」
アマーリエの顔から笑みが消え、憂いが覆う。
「こんなことになって、イグニスはどれほど心を痛めていることでしょう。自分を責めていることでしょう。それは私も同じです」
そんなのアマーリエたちのせいじゃない。悪いのはミレーヌだ。
そう言うのは簡単だったが、口先だけの慰めなどなんの意味もない。
だから新菜は口を閉ざしたまま、振動に身を任せ、雨と馬車が走る音を聞いていた。
「――ですから、ミレーヌを始め、伯爵家の皆さまには存分に報いを受けてもらいましょう。幼い幻獣を唆したこと。私たちの大事な友人を傷つけ、拉致したこと。侯爵家を侮ったこと。全てを後悔させます」
にっこりと。
「この件に関わった者はただ一人の例外も許さず、絶望の淵へ叩き落とします」
アマーリエはその美しい顔に慈母のような微笑みを浮かべて自身の首に親指を向け、びっと横に引いた。
言われなくてもわかる。これは首を掻っ切る仕草だ。
王女らしからぬこの振る舞いは、一体誰に習ったのだろうか。
その背後に猛吹雪の幻影を見て、新菜は震え上がった。
(アマーリエ様って、この世界で一番怒らせちゃいけない人なんじゃ……)
侯爵家のメイドから、アマーリエは王女でなければ宮廷魔導師団の筆頭の座を狙えたほどの大魔法使いだと聞いたことがある。
考えてみれば、夫であるイグニスも誰一人倒せなかったワイバーンを倒してみせた人だ。
エレシュ伯爵家は終わったも同然なのではないだろうか。二人の怒りの業火に焼き尽くされる未来しか見えない。
「そのための準備は整っていますからね」
アマーリエは背後を一瞥した。
後続の馬車に乗るのはラオを始めとした、侯爵家の精鋭だ。
「ですが、ハクアを助けるのは他の誰でもない、あなたですよ、ニナ。私たちは総力を挙げて援助しますが、主役はあなたです」
アマーリエは新菜の手を優しく握った。
「愛しい者を己の手で取り返しなさい。不断の努力の成果を見せるのはいまです」
アマーリエは新菜の手の皮が何度も傷ついては修復を繰り返してきたことを知っている。
戦闘以外でも、新菜がメイドとして役に立てるよう、色んな人間と交流し、その技を教わって来たことを知っている。
何故ならば、彼女はイグニスと共に、ずっと見守ってくれていたから。
新菜はアマーリエを尊敬していた。
その美しく洗練された立ち振る舞いを、元王女という身分を鼻にかけない気さくな人柄を。
刺繍や乗馬、礼儀作法を根気よく教えてくれた、厳しさの中にある優しさを。
「――はい」
新菜はエメラルドの瞳をまっすぐに見返して、大きく頷いた。
アマーリエが微笑んで頷き返し、手を離す。
(待っていてください、ハクア様。いま助けに行きます)
もう胸に迷いはなく、怯えも恐れもない。
たとえどんな敵が立ち塞がろうとも倒してみせる。
だから。
(どうか、無事でいて……!)
ブレスレットを握り締めて、心の底から祈った。
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