28:死者の伝言/地下牢にて
「昨日は私たちの帰りが気になって眠れなかったのでしょう? 有事に備え、着くまで仮眠を取っておきなさい」
アマーリエのアドバイスを受け、新菜はフィーネと掛布を共有し、しばらく眠っていた。
馬車の上部には結界維持装置があり、後方の馬車には頼もしい護衛が乗っているため、魔物に襲われる心配はせずに済んだ。
ふと目を覚ますと窓の外はまだ暗く、アマーリエやフィーネは瞼を閉じていた。
壁にもたれかかったフィーネの頭の猫耳を見て、連想するのは侯爵邸に残したトウカ。
まだ彼は昨日起きたことを知らず、幸せな夢の中だろう。
自分が拾って来た猫が実は敵のスパイで、ハクアが攫われたと知れば、どれほどショックを受けることか。
でも、ハクアを救出した後に真実を明かすならば、まだショックは少なくて済む。和解の機会だって生まれる。
(トウカのためにも絶対にハクアさんを助けなきゃ)
意を固めていると、何の前触れもなくフィーネの瞼が開いた。
目が合う。
フィーネは咎められたように身を縮め、目を伏せた。
後悔と自責の念に駆られているらしく、この子はいつもびくびくしている。
出会ったばかりのトウカのようだ。
「……そんなに怯えなくてもいいよ。もう怒ってないから」
気づけばそう言っていた。
ハクアはフィーネを許したという。
傷つけられた当人がそう言うのなら、新菜がどうこう言う筋合いはない。
「……ごめんなさい、です」
蚊の鳴くような声でフィーネは言った。
面と向かって直接謝られるのは初めてだ。
「うん」
新菜は頷いた。
フィーネとのわだかまりは、それで終わりだった。
感情はどうあれ、終わりにするべきだった。
窓の外を見る。
窓は濡れていくつも滴が垂れているが、雨は止んでいた。
東の空が少し明るい。もうすぐ夜明けだ。
馬車は平原を抜けて森の街道を走っていた。
辺りには鬱蒼と茂る木々が立ち並び、遠くになだらかな稜線が見え――
(――ん?)
近くから遠くへと視線を移動しかけた新菜は、気になる現象を目撃し、急いで目を戻した。
左手に乱立する木々。
そのうちの一本の木の下に、白い何かがいる。
ぼんやりと白く光る、長細い発光体のような――あれは。
新菜は目を見開き、跳ねるように立ち上がった。
アマーリエの隣に膝をつき、御者台に繋がる小窓を開けて叫ぶ。
「止めて、止めてください!!」
「ど、どうされたんですか」
「いいから早く!!」
怒鳴るように叫ぶと、馬車は徐々に速度を緩めていった。
後方を走っていた馬車も気づいて止まりつつある。
「ニナ? 一体どうしたのです?」
叫び声で叩き起こされたアマーリエが、目をぱちくりしながら言う。
フィーネもおろおろしていた。
「すみません、理由は後で!」
馬車が止まり切るのを待つのももどかしく、新菜は扉を開け放って飛び降りた。
身に纏っているのは重たいドレスではなく、戦闘用の軽装だ。
鍛え上げた身体は新菜の意思を反映し、目的地まで速やかに動いた。
木の下の白く淡い発光体は、変わらずに輪郭を揺らめかせている。
人型ですらない。ただの細長い、白く淡い何かだ。
それでも新菜は確信していた。
「エルマリアさん? あなた、エルマリアさんなんでしょう?」
エルマリアらしき白い人型を見たという話は誰にもしていない。
言ったところでハクアを混乱させるだけだと思ったからだ。
あの日以降、新菜は白い人型を目撃することはなく、半ば夢として処理しかけていた。
でももう夢ではないらしい。
彼女がこのタイミングで現れたことには意味があるはずだ。
「わたしに何か伝えたいことがあるんですよね? ハクア様がどこに連れ去られたか知ってるんですか?」
口早に問いかけた後で、新菜は顔をしかめた。
(違う。順序が逆だ)
問い詰める前に謝らなければならない。
エルマリアは新菜にハクアのことを託したのに、新菜はその場におらず、ハクアを守れなかった。
エルマリアが新菜に失望し、怒っていても全く不思議ではない。
「ごめんなさい、守ってほしいと頼まれたのに、守れなくて。次は必ず守ってみせます。だからどうか教えてください」
懇願すると、白い発光体から、ある方角に向かって一本の太い線が伸びた。
これが人間だったら、手を伸ばした状態なのだろう。
しかし方角だけ差されても、候補地は無限にある。
(どうしよ……あっそうだ、地図!!)
どうしてもっと早く思いつかなかったのだろう。気が利かない自分の頭が恨めしい。
「ちょっと待っててください。アマーリエ様、地図ありますか!?」
新菜は引き返し、止まった二台の馬車の前で護衛たちと話していたアマーリエに尋ねた。
運良くあった大陸地図を持ち、再び発光体の元へ戻って広げる。
「どこかわかります!?」
発光体は地図を眺めてしばし考えているようだった。
縋る思いで見つめていると、発光体が動いた。
《ここ》
白く細い線が、地図のある一点を差した。
レノン王国の東端の森。
東に海を臨むこの場所は、貴族の別荘地だと家庭教師に習った。やはりミレーヌは家に帰ることなく隠れているようだ。
《ヴィラン伯爵の、別荘。ハクアは、地下牢に、囚われている》
「ヴィラン伯爵? 誰ですそれ?」
知らない名前だ。
ミレーヌの縁者を脳内に列挙してみるが、全く心当たりがない。
《ミレーヌの、浮気相手。あいつらは、あさっての満月を待って、ハクアの目を奪い、そのまま船で、国外へ、逃げる、つもり》
「うわあ……」
ミレーヌはどこまで罪を重ねれば気が済むのだろう。
宝石好きのミレーヌは恋人時代からアルベルトに散々貢がせていたらしいが、いざとなったら夫を捨てて浮気相手と逃げるとは。悪女ここに極まれりだ。
《絶対に、許さないで。ハクアを、助けて》
その声は切実な熱を帯びていた。
「はい。必ず」
新菜は表情を引き締め、頷いた。
居場所さえ割り出せれば後はどうにでもなる。どうにかしてみせる。
「ありがとうエルマリアさん! 貴重な情報提供感謝します!!」
地図を胸に抱き、急いで馬車に戻ろうとした新菜だが、
《待って》
儚い声に引き留められ、振り返った。
「なんですか?」
一秒が惜しい。新菜は走り出そうとする足を懸命に抑えた。
《頼みたいことが、あるの。全てが終わったら……ハクアを連れて、アヴァン帝国の、ルーネ村の、シュゼットという女性を、訪ねてほしい。ハクアは一つ……大きな……とても、大きな勘違いを……しているから……私は、どうしても……ハクアに……伝え……》
白い発光体は、徐々に輪郭を失い、消えた。
(……アヴァン帝国。ルーネ村のシュゼットさん)
新菜はその伝言を心に刻んだ。
後回しになるが、ハクアに再会できたら伝えよう。
――いいや、必ず再会してみせる!
「ハクア様の居場所がわかりました!!」
新菜はアマーリエたちに叫び、地図を広げた。
◆ ◆ ◆
身体が妙に熱い。
閉じ込められ、行き場を失くした炎が縦横無尽に体内を駆け巡っているよう。
気持ち悪くて吐きそうだ。
頭蓋が割れるように痛む。
この痛みと熱は尋常ではなかった。熱くて痛くて苦しい。
身じろぎすると、頭上で金属の音が鳴った。鎖が触れ合うような音。
どういうわけか、動けない。
手首と足首、さらに首にも違和感がある。何かで拘束されている。
(……何……どうなってる……ここは、おれは)
熱でうまく頭が働かない中、起きろと本能が声を大にして叫んでいる。
「あら、やっと起きたの?」
すぐ近くで、がしゃん、という音と、女の声がした。
足音が聞こえて、顎を掴まれた。
そこでようやく目が覚めた。
目を開いた瞬間、この世で最も見たくない女の顔が視界いっぱいに広がっていた。
「おはよう、私の宝石」
女は――ミレーヌは身を屈め、ハクアの目を見つめて言った。
恋人に言うような甘い台詞だが、彼女は本気でそう言っている。
ハクアの目に挨拶しているのだ。これは私のものだ、と。
超至近距離で目を覗き込む、ねっとりとした眼差しは夢に出そうだった。とびきりの悪夢に。
「……っ」
ぞっとした。
不気味な女から意識を逸らすべく、現状把握に努める。
どこかの地下牢のようだ。
空気は黴臭く、湿っていた。
両腕を頭上で交差させられている。
左手首に巻いていたリボンはなく、両手首と両足首には鉄の輪を嵌められ、壁に繋がれていた。
左手の壁には燭台がある。
ハクアの正面にはミレーヌ。その後ろには護衛らしき、屈強そうな二人の男。
さらにその背後には厳然と外と中を隔てる鉄格子。
ハクアが完全に拘束されているため、わざわざ鍵をかける必要はないと判断したらしく、鉄格子の扉は開いていた。
身体が知らない子ども服を纏い、五歳くらいに縮んでいるのはすぐにわかった。
胸を刺され、生命の危機を感じた本能がエネルギー消費を抑えるために反射で身体を縮めたのだろう。
そうなると人間の形態も解け、竜本来の姿に戻らなければおかしいが、恐らくそれを阻んだのが、いま首にかけられている輪。
魔力封じ――パルスの働きを強制的に止める特殊な首輪。
竜の姿に戻れば運搬が困難になる。それを良しとしなかったミレーヌが首輪でパルスを狂わせたから、身体がこんなに熱いのだ。
正常な働きを阻害されたパルスが悲鳴を上げている。
ハクアは荒れ狂うパルスを鎮めるべく息を吐いた。
パルスが円を描いて回るイメージを浮かべる。
次第にパルスはイメージ通り、一定方向へ流れるようになり、異様な身体の熱も収まっていった。
背中から刺された胸の傷はまだ痛むが、堪えきれないほどではない。
火照った身体の熱もかなり下がった。
「こ……」
言いかけて、咳き込む。
喉は乾ききっていたが、声は出せそうだ。
「……ここは、どこだ?」
子どもの姿になったため自然と声も高くなり、自分でも変な感じがした。
とにかく情報が欲しい。
いま何日か、あれからどうなったのか。
フィーネは無事に逃げ切れたのか。
服の礼を言うつもりはなかった。
そもそも服のサイズが合わなくなったのはこいつのせいだ。
「教えてあげる義理はないわね。それに、知ってもしょうがないわよ。どうせあなたはあさって死ぬから」
ということは、あさってが満月。今日は襲撃された日の翌日。
いまは夜なのか、朝なのか。
首が動く範囲で見回しても、窓がないため判断できない。
「……じゃあ、せめて時間だけでも教えてくれ」
「そうね。とっくに昼を回ったわ。よく寝てたわよ、あなた。時々酷く魘されてたけど。怖い夢でも見てたの? だとしたらどうしてかしらね? こんな可愛らしい子どもになって。可哀想に」
ミレーヌは顎に指を当て、くすくす笑った。
(……悪趣味な女だ)
ここまで腹立たしい人間には久しぶりに会った。
この女と喋っていると嫌悪感しか生まれない。
ミレーヌは急にハクアの左手、壁際の燭台に手を伸ばし、取り上げた。
何をするつもりなのだろう。ハクアは動けない。
嫌な予感に、身が強張った。
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