22:暗転
◆ ◆ ◆
陽が沈んだ夜、八時過ぎ。
侯爵邸から最も近い冒険者ギルド――オークリンデ支部の二階、第二会議室は宴会場と化していた。
この地一帯は葡萄の名産地でもある。
故にテーブルに並べられた酒瓶のうち、最も種類が多いのはワインだった。
ハクアの隣でイグニスは優雅にワインを飲みながら、支部長やその部下たちと談笑している。
アマーリエも愛想良く相槌を打っていた。
どう聞いても酔っぱらいの戯言なのに、二人は熱心に話を聞き、しょうもない自慢話を大げさに褒め称えている。
社交術に長けた二人は相手に気持ち良く話をさせるのがとても上手だ。
微笑みを浮かべて聞きたい情報を聞き出し、相手の心を掴んでするりとその内側に入り込む。
世間話をしていたはずなのに、いつの間にか話題は流れるように自分のことへと移り、ハクアは侯爵家のものなので狙う冒険者には容赦しない、命の保証もしないから覚悟しろといった内容に変わっている。
ほとんど脅し文句なのだが、二人が終始和やかなため、全く脅しに聞こえない。
支部長は「構わんよ。
イグニスとアマーリエが微笑みを交わし合う。
話は終わった。一件落着。
後はもう帰るだけ――恐らくそんなことを目で会話しているのだろう。
(……本当に凄いな、イグニスも、アマーリエも)
王宮でも彼らは国王相手に一歩も引かず、常に主導権を握っていた。
口下手なハクアはただ置物と化して彼らの交渉を見守ることしかできなかった。
「ありがとうございます、感謝致しますわ」
アマーリエはギルド支部長のゴブレットに酒を継ぎ足し、微笑んだ。
「おいおい、大げさだよアマーリエさん。侯爵様には世話になってるからなあ」
「……冒険者ギルドに貸しでもあるのか?」
小声で尋ねると「いや。個人的に」と同じく小声で返された。
どんな? という疑問が顔に出たらしく、イグニスはにやりと笑った。
「一つ教えておいてやろう。貸しはあればあるほどいい。弱みの把握は交渉術の基本だ。円滑に物事を運ばせられる。いざというときには、日頃の根回しが物を言う」
「……そうか」
したり顔で説かれたが、社交嫌いな竜には無縁の話だった。
もはや何も言うことはなく、黙ってハクアは紫色の液体に満たされたグラスを傾けた。
ワインに見えるが中身はただの葡萄ジュースだ。
ハクアは下戸で、飲むと大変なことになる、らしい。
酒を一口でも飲めば意識が飛ぶので全く記憶にないのだが、イグニスには酒を飲んだ翌朝「お前めちゃくちゃ可愛かった」と笑われた。
アマーリエやメイドたちからも何やら妙に優しくされた。
あの日以来酒は口に入れないことにしている。
可愛いとは一体どういうことか、意識のない間自分が何をしでかしたのか、考えるだけで恐怖だ。
「こういう席は苦手だろう。話はついたし、俺たちも早く切り上げるようにするから、先に馬車で待ってろ。酒の匂いだけで酔われても困るしな」
からかうように笑われた。
「下に護衛がいるから、一緒に行けよ」
「ここから西門までは目と鼻の先だろう。一人で――」
「いいから」
ぽん、と背中を叩かれた。
過保護だとは思う。でも、一方で、それが嬉しくもあった。
自分をこうまで気にかけてくれる人間なんて彼しかいない。
(いや、いまはもう一人いるか)
あと、小さな幻獣もだ。
「……わかった。じゃあまた後で」
「ああ」
「おや、ハクアさん帰っちまうのか?」
ギルド支部長が声をかけてきた。
部下たちの視線もこちらを向く。
「はい。一足先に失礼します。色々と、ありがとうございました」
ぺこ、と頭を下げる。
こういうときの礼儀くらいはわきまえていた。
何よりイグニスたちの顔に泥を塗りたくはない。
「おお。またいつでも立ち寄ってくれ」
赤ら顔のギルド支部長は片手を上げた。
「……はい」
愛想として頷き、ハクアは部屋を出た。
上着の隠しから布に包まれた
濃い茶色がかった眼鏡は瞳の色を隠す。
余計なトラブルを回避するための必需品だった。
ギルドの一階、酒場の隅で待っていた護衛は男女の二人組だった。
二人とも気さくな人柄だったため、それほど緊張することなくハクアは二人と夜道を歩いた。
馬車が待つ西門に向かって歩く道すがら、彼女たちの会話をハクアは聞くともなしに聞いていた。
オークリンデの街は規模に比べて活気がないと思っていたが、それはこの地を治めるエレシュ伯爵家が重税を課しているからだそうだ。
「なるほど、道理で住民の顔が暗いわけだ」
と、歩きながら男が言う。
「ほら、この前のお茶会に来てらしたでしょう? 全身を宝石で飾り付けた金髪碧眼の小柄な貴婦人。あれがミレーヌ様、エレシュ伯爵夫人よ。綺麗な顔してとんでもない浪費家らしいわ。性格も難ありで、粗相をしたメイドを身一つで追い出したとか。うちじゃちょっと考えられないわよねえ。夜に盗み食いしても許されたもの。ああ、あたしイグニス様に雇われて良かったわ」
「盗み食いってお前……というか、よくそんなこと知ってるな。どっからそんな情報仕入れてくるんだよ」
「ふふん。噂話は女性の得意技だって相場は決まってるのよ」
ハクアはちょうど道端ですれ違った男を観察した。
茶色の眼鏡越しに見る世界の中で、男は顔を伏せ、足早に歩いている。冴えない表情。
重税を課せられ、生活苦に喘いでいるのだろうか。
それとも、たまたま不幸なことでもあったのだろうか。
空を見上げる。
昨日は晴れていたのに、今日はあいにくの曇り空。星は見えない。
いまにも雨が降り出しそうだ。
(この前の満月の夜は綺麗だったな)
思い返して、口の端に微かな笑みが浮かんだ。
背に乗せて飛ぶと新菜もトウカも大喜びしてくれた。
冒険者に目撃されて大変なことになったが、もしこうなるとわかっていてもハクアはきっと飛ぶことを選択していただろう。
あんな幸せそうな笑顔を見せられて止めることなどできるわけがない。
新菜のリボンが結わえられた左手首に触れる。
無事に帰ってきてください。
彼女は祈るように、切実さすら感じる表情でそう言った。
不思議だ。森で出会って一ヵ月ほどしか経っていないのに、彼女はハクアにとってこんなにも大きな存在になっている。
庭で抱きしめたことを思い出して、急に恥ずかしくなってきた。
何故あんなことをしたのだろうか自分は――
「ハクア様!」
と。
耳に飛び込んできた声に、ハクアは驚いて顔を跳ね上げた。
先行していた護衛の男女も、びっくりしたように前方を見ている。
子犬が尻尾を振るように、嬉しさを満面に浮かべて駆け寄って来る少女。
いまはドレスでもお仕着せでもなく、そこらの娘が着るような服を纏っているが、見間違えるわけもない。
「――ニナ?」
愕然と名前を呼ぶ。
そのときには、新菜は息を切らして目の前に立っていた。
「ニナ、あなたなんでこんなところにいるの!?」
面識があるらしく、女がすっとんきょうな声をあげた。
明るく活動的な新菜が侯爵邸のあちこちに顔を出し、職種問わず色んな人間と交流を深めているのは知っていたが、彼女とも知り合いのようだ。
「外出予定が一日伸びたでしょう? 何かあったんじゃないかと、心配で心配で……エドさんにお願いして、馬車で連れてきてもらいました」
「無事だとイグニスから連絡はあっただろう」
困惑して言う。
「はい。それは聞きましたけど……ハクア様、怒ってます? やっぱりおとなしくトウカたちと待っていたほうが良かったでしょうか……」
新菜はしゅんとして、上目遣いにこちらを見た。
「いや……驚いたが、怒ってはいない」
それだけ自分を心配してくれたのなら、むしろ嬉しいことだ。
「そうですか、良かったです!」
新菜は両手を胸の前で合わせ、本当に嬉しそうに笑った。
「……仕方ない子ねえ」
その笑顔に気が抜けたらしく、男女が顔を見合わせ、苦笑した。
「ほらほらハクアさん、何ぼーっと突っ立ってるんですか。女の子がわざわざ迎えに来てくれたんですよ? 竜とはいえ、ここは男としてガツンと行かなきゃダメでしょう」
女がハクアの後ろに回り、ぐいぐい背中を押してきた。
口調から面白がっているのが伝わって来る。
「ガツンって。何を」
「さすがに俺たちも空気読みますよ。待ってますから、どうぞ二人で話してきてください。ほら、あそこ公園があるじゃないですか。デートには打ってつけですよ。行ってらっしゃい。イグニス様たちが来られたらちゃんと伝えておきますから」
「デートって、別にそんな」
「わあ、ありがとうございます、エルダさん、レイさん。ハクア様、行きましょう! これまでどうされていたのか、王都で王様とどんなお話をされてきたのか聞きたいです!」
新菜は上機嫌でハクアの手を取り、引っ張った。
たった四日会わなかっただけだというのに、そんなに寂しかったのだろうか。
「わかった。行くから引っ張るな」
ハクアは眼鏡を外して上着の隠しに入れ、新菜に手を引かれるまま公園へ行った。
公園といっても遊具などは何もない、ただ緑が広がる整備された空間だった。
門の傍のベンチではカップルが愛を語り合っていたが、園内に人影はない。
「イグニス様たちはどうされたんですか?」
並んで歩きながら、新菜が尋ねた。
「まだギルド支部で話してる。話はほとんど終わったし、すぐ来るはずだ」
「そうですか。だからハクア様はお一人で行動されていたんですね。王都はどうでした? 王様ってどんな方でしたか?」
「王都は街が綺麗だった。国王は思っていたほど怖くなかったな。正直に言うと、王宮に入った瞬間に王国軍に包囲されて一斉攻撃を受けるんじゃないかと疑っていた」
「あはは、ハクア様ったら心配性ですね。そんなことイグニス様たちが許されるわけないでしょう。ハクア様は愛されてるんですから」
新菜は園内を進みながら笑ったが、ハクアはその笑みが気になった。
遠くの星に焦がれるような、決して手に入らないものに憧れるような、そんな胸を突く雰囲気があったから。
「ニナ? どうかしたか?」
「いいえ。何も。お話の続きを聞かせてください」
新菜はにっこり笑ってそう言った。
「そうだな、アマーリエは王妃似だと初めて知った。目の色や雰囲気が同じだった。きっとアマーリエも将来ああなるんだろうな――」
園内を進んでいくにつれて、上機嫌だったはずの新菜の様子が目に見えておかしくなった。
弾むような足取りで歩いてたはずの歩調が遅くなり、思い詰めたように顔が強張っている。
王都で新菜への贈り物を買った、という話題を振ろうかと思ったのだが、それどころではないらしい。
「……なあ、どうしたんだ。何かあったんだろう? 悩み事があるなら話してくれ」
どうにも気になって、ハクアは問い質した。
新菜が足を止めた。
ちょうどそこは園内の歩道が交差する場所で、向かい合って立つ二人の左手には丸い噴水がある。
噴水の中央には女神像。
女神の足元から水が噴き出す構造らしいが、いまは噴き上がる水もなく、ただ、溜まった水が風にゆらゆら揺れているだけだった。
葉っぱがいくつか水面に浮いている。
「おれには話せないことか? イグニスやアマーリエのほうが話しやすいなら、あいつらに頼んで――」
「いいえ」
新菜は俯いて、静かに否定した。手が握り締められている。
「……ニナ?」
呼びかけにも新菜は答えない。
風が吹いて、水面に波紋が広がり、ポニーテイルにした彼女の黒髪が揺れる。
「……じゃあ、おれにできることはないか? 何でもいい。してほしいことがあれば遠慮なく言ってほしい」
どうにか笑顔を取り戻したいと、ハクアはこのとき必死だった。
新菜のことに全神経を取られていた。
だから、気づかなかった。園内に誰もいない違和感に。
いつの間にか二人を取り囲む複数の人影に。
「では、お願いです。いますぐここから逃げてください」
新菜は瞳を潤ませ、いまにも泣き出しそうな顔でそう言った。
「……え?」
全く予想外な言葉を聞いて、ハクアが当惑すると同時。
背後から衝撃を受けた。
身体の芯を揺さぶるような、激しい衝撃が胸を貫く。
投擲用のナイフで刺された、と脳が理解した頃には、吸い込まれるように地面に膝をついていた。
新菜が悲鳴をあげた。
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