21:吉兆か凶兆か
ハクアたちが出発して丸三日が経った夜。
新菜は侯爵邸から北にある平地でラオと対峙し、戦闘訓練に励んでいた。
下からラオの剣が迫る。
新菜は斜め下から斬り上げるように描かれた軌跡上に白刃を滑り込ませて防ぎつつ、十個の火の玉を想像した。
手のひらサイズの火の玉――上級魔法『
直撃すれば良くて重傷、最悪死んでしまう危険性があったが、新菜の師匠――ラオからは「殺すつもりで来て良いっすよ」と能天気な口調で言われていた。
(いけ!)
念じると、虚空から出現した火の玉はラオに殺到した。
四方八方、その全てが死角から襲い掛かって来たというのに、ラオは背中や頭頂部に目でもあるのか、最小限の動きで全弾を回避してみせた。
身体を捻り、半歩右に踏み出して、ただそれだけ。
足元で火の玉が弾け、派手に土埃を舞い上がらせるのにも構わず、何事もなかったかのように剣を振るってくる。
動揺する素振りすらない。
(全然通用しない……!)
必死で剣を捌きながら、新菜は奥歯を強く噛み締めた。
この世界で魔法を使うには定型文がある。
まずは『響け応えよ命のパルス』と空や大地を流れるパルスに呼びかけ、続いて『祈りを以て奇跡を成せ』と命じる。
そこから望む事象を唱えるのだが、新菜はトウカとの契約のおかげで長々と言霊を唱えずとも魔法を使うことができた。
魔法に長けた玄人でも発動呪文だけは絶対条件なのだが、新菜は無詠唱での魔法発動を可能にした。
もはやチート級、回避不可能な魔法攻撃であるはずなのに、ラオはこれまで一度も喰らったことがない。
いや、もちろん喰らわれては困るが、少しくらい動揺させてみたいのが本音だ。何せ新菜は動揺させられっぱなしなのだから。
重く鋭いラオの剣をどうにか連続で弾いていると、ラオが囁くように言った。
「
「!?」
聞いたことのない魔法に、全身に警戒が走る。
新菜は慌てて飛び退り、距離を取ろうとしたが、左足が縫い付けられたかのようにその場から動かなかった。
「わ、きゃ!」
結果として大きく身体のバランスを崩し、剣を持ったまま後ろにひっくり返る。
衝撃を覚悟して、硬く目を閉じる。
しかし、傾いた身体は地面に叩きつけられる前に、中途で止まった。
恐る恐る目を開ければ、まるでダンスの一幕のように、ラオが新菜の腰を抱いている。
彼との戦闘訓練は決して甘いものではなく、新菜はこれまで多くの痣や裂傷を負ってきたが、どれ一つとして程度の重いものはなかった。
どんな怪我でも数日で治った。
つまりそれだけ、ラオは気を遣ってくれていた。
なるべく新菜が傷つかないように努力し、危ないと判断すれば助けてくれる。
素早く駆け寄って支えてくれた、いまのように。
「大丈夫っすかニナちゃん」
「……はい。すみません。ありがとうございます」
新菜はラオに補助されて立ち上がった。
見下ろせば、左足に履いたブーツ、その半径三十センチほどの大地が凍り付けになっている。
さきほどのラオの呪文はこのためだったらしい。
「
戦闘で上がった息を整えながら訊く。
「そうっす。魔力消費は大きいっすが、やろうと思えば敵を丸ごと凍り付けにすることもできるっすよ。でもこんな感じで足止めにも使えるっす。便利な魔法っす」
ラオはブーツの爪先で新菜の左足の周囲の氷を数回蹴った。
氷が割れてようやく自由を取り戻した左足を引く。
雪の中に突っ込んだように足が冷たく痺れているが、被害としてはそれだけだ。
イグニスが買ってくれた固く頑丈なブーツが保護してくれたおかげで凍傷の心配もないだろう。
(……ううん。やっぱり最大の理由は師匠の手加減だわ)
本気であればラオはあの一瞬で新菜を凍り付けにすることだってできたはずだ。
触れた時点で負け。
認めるのは悔しいが、完敗である。
「……うーん。やっぱり師匠には敵わないです……」
刃こぼれしている剣を見下ろしてため息をつく。
昨日研いでもらったばかりなのだが、ラオと打ち合うといつもこう。
剣が脆弱、というより、ラオの攻撃が激しすぎるのだ。
「どれだけ頑張っても、師匠から一本取れたのは一回だけ。こんなことでわたし、ハクア様を守れるんでしょうか……」
絶対に誰にも負けないと誓ったのに、ラオにはどうしたって勝てると思えない。
「……もしも師匠レベルの人間がハクア様を狙って襲い掛かってきたらどうしましょう……」
「そんときは俺の出番っすよ。問題なしっす」
表情をどんよりと曇らせた新菜の肩を、ラオが慰めるように叩いた。
「大丈夫っすよ。ニナちゃんは武器を振るうことにためらいがなくなったっす。昨日、俺が不意打ちで用意した五人の部下に囲まれたときも全く怯えてなかったっす。来るなら来いやオラア! 返り討ちにしてやんぜゴルア! って凄い気迫だったっすよ」
「そ、そこまでは思ってませんでしたけど……」
巻き舌まで使ってそんな表現をされると、まるで新菜が頭の悪いチンピラのようである。
でも、ラオの言う通り、いきなり傭兵たちに取り囲まれたときは驚いたが、不思議と恐怖はなかった。
もしも自分の背後にハクアがいたらと仮定したら、負ける気が全くしなかったのである。いや、負けるわけにはいかなかったのだ。
新菜は彼らと全力を賭して戦った結果、勝利を収めた。
自分よりも体格の良い男たちを倒したのだ。
あの経験は新菜に自信と勇気を与えてくれた。
「気づいたっすかニナちゃん。あの五人、傭兵団の中でもかなりの手練れっすよ。この前ハクアさんを狙って襲って来た冒険者三人組なんて足元に及ばないっすよ」
「え。そうだったんですか?」
「ふふふー。まだ対戦相手の力量を図れる域までには達してないようっすね。本当のことっす。だから大丈夫っすよ。ニナちゃんは十分に強くなったっす。これまでよく頑張ったっす」
ラオは破顔し、くしゃくしゃと新菜の頭を撫でた。
「わ。ど、どうしたんですか師匠。なんか今日優しすぎじゃないですか」
「ハクアさんに言われたんすよ。ニナちゃんは女の子なんすから訓練とはいえあんまり虐めないでくれって。というわけで俺との戦闘訓練はこれで終わりっす。もう師匠って呼ばなくてもいいっすよ」
「ええー! 嫌ですよ、わたしはもっともっと強くならないと」
訴えたが、ラオは肩を竦めた。
「戦闘の基礎はもう教えたっす。あとは自分で学ぶべきことばかりっす。バトルメイドを目指すと言ってたっすが、ニナちゃんの本職はメイドでしょう? 命を張るのは俺らに任せるっす。なんのために俺たちがいると思ってるっすか。あんまり強くなられたら傭兵の立つ瀬がないっすよ。舞踏会までゆっくりするっす。これは師匠からの最後の命令っす」
こちらを見るラオの眼差しは優しかった。
いや、いつだってラオは優しく、面倒見も良い。
兄がいたらこんな感じなのだろうか――たまにそんなことを考える。
「……なんでラオさんが隊長なのか不思議だったんですけど、いまならなんとなくわかる気がします」
「へ? どうしたっすかいきなり」
「いいえ」
新菜は面食らった様子のラオに笑って首を振った。
ラオは首を傾げたが、すぐに思い直したらしく、ぴっと人差し指を立てた。
「頑張ったご褒美に朗報を教えてあげるっす。王都での用事は終わったから、オークリンデのギルド支部に寄ってから帰って来るって、イグニス様から連絡があったっす。明日の夜には着く予定とのことっす」
「本当ですか!?」
新菜は顔を輝かせた。
二日の滞在予定だったのに、一日延長になったから、何かあったのではないかとやきもきしていたのだ。
何かあればすぐにイグニスは連絡を寄越してくれるはずだから大丈夫。
そう言い聞かせてきたのだが、こうして無事とはっきりわかれば、やはり喜ばずにはいられない。
「あははははは。ほんっとニナちゃんってわかりやすいっすねー。いいっすねー」
「う……」
単純馬鹿と言われたような気がして、それを否定できない現実に渋面になっていると、けらけら笑いながらラオは続けた。
「陛下とギルド長と話はついたらしいっす。無事に交渉終了、陛下は証書を書いてくださったらしいっす。ハクアさんの存在を公表するのは貴族が集まる夏至祭の晩餐会って決まったらしいっすよ。夏至祭まであと一週間。一週間後には冒険者ギルドも手出しできないことになるっす。なにせ国王が背後についてるわけっすからね。まあ、それでも大金狙いの馬鹿がやってくるかもしれないっすが、いまのニナちゃんなら大丈夫っす。俺たちもいるっすからね」
「そうですね。きっと大丈夫ですよね」
努力を重ねた結果、皮膚が厚くなった両手を握り締め、何度も頷く。
もしもハクアがこの先狙われることがあれば、新菜はできる限りの敵を倒す。
それでも手に負えない敵はラオたち傭兵に任せればいい。
それで大丈夫――きっと大丈夫のはずだ。
「そうっすよ。ほらニナちゃん、上見て上」
「?」
ラオの人差し指の先を追って、空を仰ぐと、ちょうど星が流れた。
「わあ、流れ星!」
「前途が明るいってことっすよ、きっと。神さまもそう言ってるっす」
「そうだといいんですけど……」
(……でも、流れ星を吉兆か凶兆かで捉えるかは国や時代によって違うとか聞いたことがあるような……)
この世界では流れ星は吉兆らしいが、さてどうだろうか。
(……吉兆でありますように)
無意識に腹の上で手を組んでいた。
祈らずにはいられない。
本当は新菜だって戦闘なんてしたくない。
ただの平和を愛する一人のメイドでいたい。
たとえば木漏れ日の中、ハンモックの上でハクアとトウカが一緒に眠るような、そんな平和が一番良い。
「……あ、ハクア様たちが帰って来るなら、ミミも帰ってきますね」
新菜は思い出して呟いた。
トウカが溺愛している黒猫は、一体何を思ったのか、ハクアたちについて行ってしまっていた。
王都に着いたときに、荷物の中に紛れ込んでいるのをメイドが発見し、ちょっとした騒ぎになったそうだ。
ミミがいないと半泣きで屋敷中を探し回っていたトウカはその一報を聞いて怒っていた。
安心したのだろう、怒りながら泣く姿に新菜は苦笑して頭を撫でた。
この三日間、新菜はミミの代わりを果たすべく、トウカとずっと行動を共にしていた。
親鳥の後を追う雛のように新菜について回り、無邪気に新菜の手を引くトウカはそれはそれは可愛かった。
もう夜も遅く、トウカは今頃眠っていることだろう。
起きたらすぐにハクアたちが帰って来ると伝えたい。
きっとトウカは可憐な笑顔の花を咲かせ、ふわふわの尻尾を大いに振るだろうから。
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