07:メイドの助言
新菜がハクアと出会って五日になり、生活にも慣れてきた。
この家には新菜たちが暮らす母屋の他に菜園と鶏舎、納屋がある。
納屋は物置としても使われているが、主な用途はハクアが森で取って来たものの保管庫だ。家の備蓄として自ら取ってきたものもあるが、ほとんどは頼まれて採取したものらしい。
今日はイグニスが来るから、と言ってハクアは昼食が終わるなり納屋へ行き、客間に昆虫の標本や薬草などを運んできた。
「この壺は厳重に密封されてますけど、何が入ってるんですか?」
薬草の束や球根の詰まった袋などに混ざって置かれたのは、縄で縛られた、一抱えほどもある壺。
壺の蓋には錐で開けたような小さい穴がいくつかある。
屈んで耳を近づけると、何やらごそごそと動くような音がした。
「蛇だ」
瞬間、新菜は脱兎の勢いで逃げ、壁に背を押しつけた。
蛇が大好きという女子はそういないだろう。新菜も苦手だ。
心臓がばくばく言っている。
「なんでそんなものを!?」
「この蛇は神秘の森にしか棲息しない希少な種だ。美容や健康に良いとかで、高値で取引されている」
「……何匹入ってるんですか?」
「十匹」
「うわあああ……」
壺の中を想像して、新菜は身震いした。
ハクアとともに居間に戻ると、トウカが椅子に腰かけ、テーブルに伏していた。
狐の耳も尻尾も、覇気なく垂れている。退屈らしい。
「紅茶でも飲む?」
「飲む!」
トウカは起き上がって言った。
元気の良い返事に笑い、ハクアの分と共に淹れる。
ハクアはその紅茶を飲みながら、本を広げた。
この竜は博識で文字の読み書きができる。
異世界転生のお約束とでもいうべきか、新菜は会話はできてもこの世界の文字は読めなかった。
教えてほしいと頼むと、ハクアは嫌な顔一つせず了承してくれた。
夜になり、新菜の手が空くと「じゃあ昨日の続きから」と講座を開いてくれる。
(面倒見がいいよね、ハクアさんって)
この五日間、寝食を共にするようになって彼の新たな一面も知るようになった。
まず彼は朝が弱い。
起き抜けにぼーっとしている顔は密かに可愛いと思っている。
照れると不機嫌そうな面持ちになるというのも、この最近で知った。
あと、ハクアは昼寝も好きだ。
三日前、近くの村に食料品の買い出しに行った際、新菜はハンモック用の布を買った。
庭の木にハンモックを設置して以来、そこが彼の昼寝の定位置になった。普段は目にすることのない、子どものように無垢な寝顔を見て密かに笑ったものだ。
「何を見てる?」
ハクアが本から視線を上げた。
「ああ、いえ。ええと、イグニス様――オルハーレン侯爵はこの家をハクア様に与えた方で、十年ほど前からのお付き合いになるんですよね。アマーリエ様はこの国の王女様で、降嫁して侯爵夫人になられた。確か、イグニス様が二十歳で、アマーリエ様が十九歳でしたっけ」
以前に教えてもらったことを復習する。
イグニスとハクアは神秘の森で出会った。
人間に追い回され、森で休息しているところを
ハクアはこの家で暮らしながら、侯爵家の領地である森に異変がないか日々見回る。
ときにはイグニスが必要とするものを狩り、その代価として金をもらう。
それがハクアの生活だった。
「そうだ」
ハクアが簡潔に肯定したとき、ぴくりとトウカの耳が揺れた。
「イグニスたちが来るよ。馬車の音がする」
耳を澄ませても、聞こえてくるのは枝葉が揺れる音だけ。
トウカは常人よりも遥かに耳が良い。
「ぼくも出迎えたほうがいい?」
「いや、待っていても構わない。ニナは来い。紹介する」
「はい」
ハクアと一緒に、外へ出る。
やがて、二台の馬車が丘の前で止まった。
馬車は両方とも二頭立ての上等なものだった。
側面に睡蓮の花と草を組み合わせたオルハーレン侯爵家の紋章が刻まれている。
先頭の馬車のほうが少し大きく、装飾も立派だ。
その馬車の御者が下り、恭しく馬車の扉を開けた。
最初に下りてきたのは赤髪赤目の青年、イグニス。
ハクアよりも少し長身で、精悍な顔立ちをしている。
彼が纏う外套に派手な装飾はないものの、袖口や襟元の刺繍が細やかだ。
足元の革靴も汚れ一つなく、よく磨かれている。
身に着ける全てのものが高貴な身分を示していた。
彼はその綺麗な革靴で土を踏むや否や、馬車に向き直り、続いて下りようとしていた金髪の女性、アマーリエを手助けした。
一切の淀みのない、実に自然な動き。常に彼はそうしているらしい。
二人の手首にきらりと光るものを見た。イグニスは左に、アマーリエは右に、銀色のブレスレットを嵌めている。
アマーリエは白磁のような肌を持つ、華奢な美女だった。
緩やかに波打つ金色の髪。若草色の瞳。
紺碧のドレスは要所要所にフリルがあしらわれ、ドレープが見事なラインを描いている。
胸元で煌くのは連なる真珠だ。
(すっごーい、美男美女だぁ……)
後方の馬車の扉が開き、メイドと男性の使用人が二人ずつ出てきた。
四人は申し合わせたかのような動きで侯爵夫妻の後ろに控えた。
ハクアの隣で緊張しながら立っていると、イグニスはこちらを見て目を見張った。
「お? なんだ、知らない
イグニスの第一声はそれだった。
貴族らしからぬ、気安い友人に対するような物言いである。高慢なところはどこにもない。
「リエラの招き人だ。森で魔物に襲われているところを助けた。行く当てが見つかるまでメイドとして住まわせることにした」
「まあ、リエラの招き人」
アマーリエは鈴を振るような声音で言い、その白い指で口元を押さえた。
「そいつは凄いな。おとぎ話だとばかり思っていたが、実在するのか。初めて見るぞ」
二人はしげしげと新菜を見つめた。
使用人たちも好奇に満ちた視線を送ってくる。
動物園のパンダにでもなったような気分だなぁ、などという思いはおくびにも出さず、新菜は最上級の笑みを作った。
「初めまして、オルハーレン侯爵、侯爵夫人。ニナと申します」
腹の上で手を重ね、腰を折って一礼する。
主の友人に失礼があってはいけないと、新菜は気を張っていた。
「名を知ってるってことは、俺たちのことはハクアから聞いてるのかな?」
「はい。ある程度、ではありますが」
「こいつ無口だからなあ。言葉を引き出すのも大変だろ」
からからとイグニスが笑う。新菜は曖昧に笑った。
「ところで、ちっちゃいのはどうした? 中か?」
イグニスは辺りを見回した。ちっちゃいの、がトウカの愛称らしい。
「ああ。中で話そう、上がれ」
ハクアは銀色の髪を翻し、丘を上り始めた。
(『上がれ』って……)
爵位制度のあるこの王国で、侯爵といえば公爵に続く上級貴族。
それなのに命令形。そもそも彼にこの家を与えたのはイグニスだ。
(そりゃあ、年功序列でいうならハクアさんが一番上だし、竜に人間が作った爵位制度や礼節を説いたところで意味がないのかもしれないけど、でも命令形はちょっと……)
長い付き合いになる侯爵夫妻は全く気にしていないようだが、侯爵夫妻の後ろに控える年若いメイドの不満を新菜は見逃さなかった。
同じ使用人として、彼女の心情はわかる。相手がたとえ国王であろうと、敬愛する主人に冷たく命令されたら反感を覚えずにはいられない。
明るい人が友人に「上がれよ」と笑って言うなら命令形でもさして気にならないだろうが、ハクアは無愛想で、声にも抑揚がないからどうしても冷たく聞こえてしまう。
(でも本当は、実直で誠実で、優しい竜なのに)
そのことをわかってほしい。
彼女に、いいや、彼女だけではなく全ての人間に。
たとえ誰にだろうと、ハクアが嫌われるのは嫌だ。
新菜は急ぎ足でハクアの横に並んだ。
後に続く侯爵夫妻たちに聞こえないよう、小声で言う。
「さっきの、家に上がれ、っていう言い方は良くないですよ。ハクア様は淡々と喋るから、冷たく命令してるように聞こえるんです。侯爵家のメイドさんが悲しい顔をされてましたよ」
本当は怒っていたのだが、新菜は嘘をついた。
ハクアはその性格上、他人に怒られるよりも悲しまれるほうが堪える。
「そんなつもりは……」
案の定、ハクアはわずかにうろたえた。
「ええ、侯爵夫妻はハクア様の性格をよくわかっておられます。咎められることもないでしょう。でも、これからは『上がってくれ』という表現を使うのはどうでしょうか。そのほうが柔らかいし、依頼する形になりますから言われても嬉しいと思うんです」
イグニスの話をするとき、虹色の目は優しかった。
大事な友達なんですね、と言ったら、ハクアは否定しなかった。
トウカと同じく人間嫌いなハクアだが、イグニスとアマーリエは彼にとって特別なのだ。彼に友人と思える人間がいることを新菜は嬉しく思っていた。
できることならずっと良好な関係を保っていてほしいし、彼らに仕える侯爵家の使用人からも好かれていてほしい。
つまりこれは、新菜の願いにも似たわがままだ。
ハクアは表情を変えなかったが、玄関の前で急に身を反転させた。
後に続いていた侯爵夫妻や使用人たちが止まる。
「さっきの台詞、言い直して良いか」
「? ああ」
不思議そうな顔で、イグニス。
「さっきの言い方は……その、冷たく聞こえたなら悪かった。どうもおれは口下手で、誤解を招きやすいらしい」
ハクアは詫びるように目を伏せ、玄関の扉を開けた。
「この際だから言っておく。お前たちが来るのは楽しみにしてるんだ。口には出さないが、トウカも同じ気持ちだと思う。だから、上がってくれ」
侯爵夫妻は唖然とした。
さきほど不満を覗かせていたメイドも、他の使用人たちと揃って目をぱちくりさせている。
数秒して、イグニスは噴き出し、アマーリエは上品に笑った。
その後ろでメイドも笑っている。
ハクアに対する評価が上方修正されたと判断し、ほっとした。
「どうしたのですかハクア、あなたがそんなことを言うなんて」
「森で変なキノコでも食ったか。それとも季節外れの雪でも降らせる気なのか」
イグニスが茶化すように笑う。
「でも、気持ちが聞けて嬉しいよ。お前はなかなか本音を話してくれないからな。俺も領主としての仕事に追われる日々の中で、この家を訪ねるのは楽しみの一つだぞ。なあ、アマーリエ」
「ええ。種族は違えど、あなたは私たちの大事な方ですから」
ハクアが困ったようにこちらを見た。
お前に従ったらなんか変な空気になったとでも言いたげだ。
新菜は背後で手を組み、にっこり笑った。
それを答えの代わりとしよう。
だって新菜はちっとも自分の発言を後悔していないのだから。
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