05:私はもふもふしたいんです

 昼食にと振る舞われたトウカお手製のカレーは、とても複雑な味がした。

 ありていに言えば、まずかった。これが食べ物だとは信じがたいほどに。

(これは……)

 一口食べて、新菜は硬直した。

 悪寒が背筋を突き抜け、頬を嫌な汗が伝う。


 空腹であるが故に大抵のものはおいしく感じられるはずなのだが、おいしいとはお世辞にも言えない。脳も身体も全力で拒否しようとし、鳥肌すら立った。

 具の野菜は大きさがばらばら。

 大きいものは火が通っていないらしく芯が残っている。


 肝心のカレーも、強い香辛料の匂いこそすれ、コクが全くない。

 水で薄く伸ばした粘土を食べているようだ。

 一体何をどうしたらこんな味になるのだろう。

 カレーで失敗するというのはなかなか珍しいことでは……


(バカっ!)

 そこまで考えて、新菜は激しく自分を罵った。

(この世界にレトルト食品なんてないのよ! こんな小さい子が香辛料から何から調合して、頑張って作ってくれたものに文句をつけるなんて人道にもとる行為よ、最低よ! これでまたトウカが人間不信になっちゃったらどうするの! ここは人間代表として、笑顔で完食するのがわたしの使命よ!)


「おいしいね!」

 新菜は努めて笑顔を作った。

 抗おうと震える手を無理矢理に動かし、カレーを掬って口に入れ、咀嚼する。

 ときには強引に水で飲み下しつつ、一連の動作をひたすら繰り返す。


「……無理に食べなくてもいいんだぞ?」

 表面上は笑顔を保ちながらも、どんどん悪くなっていく新菜の顔色を心配したらしく、ハクアが言った。


 ここは屋敷の一室、厨房に隣接した居間。

 長方形の木製テーブルで、ハクアと向かい合っている。

 本来ここはトウカの席なのだろうが、トウカはハクアの隣にちょこんと座っていた。脚の長い、子ども用の椅子に座る姿がなんとも可愛らしい。


「おれもこの味に慣れるまで時間がかかったからな。口に合わないなら素直に残せ。寝込まれるほうが厄介だ」

「寝込んだりなんてしませんよ! 大丈夫です! せっかくトウカくんが作ってくれたんですから、きちんと全部いただきます!」

 トウカも様子が気になるらしく、食べながらちらちらとこちらを見ている。

 心配してくれているのだ。彼を虐待した人間と同じ人間である新菜を。

 トウカもハクアと同等か、あるいはそれ以上に優しい子だ。

(――なら、ここで食べきらなければ平岡新菜の名がすたるってものよ! 見ていて天国のお母さんたち!!)

 新菜は瞳に闘志の炎を燃やし、どうにかこうにか最後まで食べきった。


(やった! 偉いわ新菜。これは間違いなく拍手喝采、スタンディングオベーションものよ! お母さん、見て! あなたの娘はやり遂げたわ……!!)

 偉業を噛み締め、コップの水を一気に煽り、口の中のものを全て胃に流し込む。

 胃がギュルギュルと奇怪な音を立てているが、聞こえないふりをした。


「ごちそうさま。おいしかったよ、ありがとうね」

 新菜は笑ったが、その顔面は蒼白だった。脂汗がびっしりと額に浮いている。

「うん……」

 トウカは何か言いたそうな顔をしながらも、カレーを頬張った。

 一方でハクアはすでに食べ終えていた。

 罰ゲームのようなカレーを顔色一つ変えずに完食するとは、さすがである。


「ハクア様、落ち着いたところで質問いいですか?」

 テーブルの中央、花瓶に活けられた花を見ていたハクアが、こちらを向く。

 開け放った窓の外から高い鳥の鳴き声がした。


「そもそもここはどこなんでしょう?」

 トウカが目をぱちぱちと瞬いた。

 そんな基本的な情報も知らないのか、と思っているようだ。


「エストア大陸の東側に位置するレノン王国。天然資源や温暖な気候に恵まれた豊かな国だ。ちなみにこの世界で天然資源といえば主に光石のことを指し、光石の産出量は経済の指標となる」

「光石はパルスの結晶……パルスってどこにでもあるものなんですか?」

「ああ。パルスは生命と魔力の源だ。万物に宿り、パルスの流れは絶えず空や大地を循環してる。パルス測定器に映るほど強いパルスの流れをパルスラインと呼び、この『神秘の森』の下にもいくつか走ってる」

 ここは神秘の森という場所らしい。初めて現在地を知った。


「わたしにもパルスは宿ってるんでしょうか?」

「当然。この世界に来た瞬間から、お前にも宿ってる」

 ハクアは水を一口飲んで言った。


「パルスが魔力の源なら、わたしにも魔法が使えたりするんでしょうか? さっき適当な呪文を唱えても何も起こらなかったんですが」

 ポーズまでつけて全力でRPGのキャラになりきっていたことは秘密である。


「適当な呪文じゃ魔法は使えない。ちゃんと手順を踏む必要がある。それに、人間が単独で魔法を使うことはできない。エルフみたいにうまく魔力を魔法に変換できないから、無理に使おうすると暴発するぞ。人間が魔法を使うときは、杖やアクセサリーといった指向性を与える制御用の魔導具が必須だ……まあ、魔導具なしでも人間が魔法を使う方法があるにはあるが」

 ハクアは意味ありげな視線をトウカに送った。

 居心地悪そうに、トウカが身じろぎする。


 そのやり取りで直感した。

 トウカと契約すれば、人間は膨大な魔力を手に入れられる上に、魔導具なしでも魔法を制御できるのだ。


(なるほど、トウカが狙われるわけね)

 ハクアの目は人間にとって宝石のようなものだ。

 大変に美しいが実用性はない。


 対してトウカは見る者の庇護欲を掻き立てるような、見た目にも可憐な希少生物。

 愛玩動物ペットとして侍らせれば、注目の的となり、さぞ飼い主の虚栄心を満たすことだろう。

 加えて実利までもたらすとなれば、大枚をはたいてでも欲しがる人間がいるのは道理といえた。

 

「パルスが局地的に集中する場所は、通常じゃ考えられないような天変地異が起きやすい。リエラの招き人が現れるのはまだ可愛いほうで、雷が延々と落ち続けたり、火山が噴火し続けたりする。魔物も活性化するらしくて特に凶暴なのが多いから、無闇に森に入るのは勧めない」

「あの、それならどうしてこんなところに住んでるんですか? 人と一緒に暮らすのが難しいという事情はわかりますが、何も危険な森の近くで暮らす必要はないのでは?」

 窓から吹き込んできた風が三人の髪を揺らす。

 トウカの狐耳、その右耳だけがぴくりと動いた。


「パルスラインが走っているからといって、悪いことばかりでもない。地中からは良質な光石が採れるし、地表では作物が豊かに実る。ここにしかない貴重な植物や動物もいる。おれは人間にそれを売って生計を立ててるんだ」

「あ、そうなんですか。じゃあ近い方が便利ですね」

 ハクアが摘んでいた薬草も、売るためのものだったのかもしれない。


「森では稀に、幻獣も生まれることがあるしな。こいつみたいに悲惨な目に遭う前に、安全なところへ逃がすか、信頼できる保護団体に預けたいんだ」

 その言葉を受けて、トウカに目を向ける。

 トウカはちょうど食べ終えたところで、水を飲んでいた。

 カレーが桜色の唇についている。拭ってあげたい衝動に駆られた。


「幻獣ってパルスから生まれるんですか?」

「幻獣同士が子を成すこともあるが、基本的にはパルスから自然発生する。人間は虹色の角が一本で獣型なら幻獣、二本以上あって人型なら神獣と呼んで区別しているが、形が違うだけで本質は同じ幻獣ものだ。だからおれは神獣でも幻獣と呼ぶが気にするな」

「はい」

「参考までに言うと、神獣の魔力の強さは角の数に比例する。文献に残る角の最大数は五本、女神が従えた伝説の神獣ラグナーシュ。そいつは山を吹き飛ばして海を割ったらしい」

「凄いですね……」

 山を吹き飛ばす。海を割る。もはや天災規模の魔法だ。

(じゃあ、三本角のトウカが本気になったら、どれだけのことができるんだろう?)

 好奇心が疼いたが、口に出さないくらいの分別は持っていた。

 余計な質問をしてトウカに警戒されるのは嫌だ。


「幻獣が人間と契約を結ぶことで得る利点は?」

「ない。利点があるのは人間だけだ」

 ハクアの回答は至極あっさりとしていた。


「……それじゃ幻獣は一方的に魔力を搾取されるだけなんですか?」

 目をぱちくりさせる。それではあまりにも不公平のような。


「そうだな。だが、幻獣は不思議と人間に友好的なのが多い。人間が酷いことをしない限りは懐いてくれる……ここに酷いことをされまくって見事に人間嫌いになった奴が一匹いるが」

 トウカは身を縮めた。しょんぼりと狐耳が垂れている。

 それを気にしたらしく、ハクアがトウカの頭を撫でた。

 無表情とは裏腹に、優しい目と手つきで。


 トウカはくすぐったそうに目を細め、頬をほんのり薔薇色に染めた。

 ふさふさの尻尾が、ぱたぱた揺れる。ハクアを出迎えたときのように。


(ああああああ可愛いいいいい!!)

 トウカの子犬の如き愛らしさは新菜の脳天を直撃し、危うく鼻血を噴くところだった。

(いいなあ、いいなあ、わたしにもあんなふうに笑ってほしいなぁ)

 無垢な笑顔を向けられるハクアが羨ましくて仕方ない。

 ここに黒板があれば爪でぎーっとやりたいくらいだ。


(わたしも絶対トウカと仲良くなってみせる! そしてその暁には、あの耳と尻尾を思う存分もふもふさせてもらうのよ!! あの艶やかな毛並み、申し分のないもふもふっぷり! もふもふ! もふもふ!! ああっ、撫で回したいこの指で極上の毛並みを堪能したい……!!) 

 新菜は鼻息を荒らげ、テーブルの下で両手をわきわきと動かした。

 新菜にとって、パルスとか神獣とか契約とか、そういう小難しい話はどうでも良いことだった。


 一目見たときから、新菜はトウカの愛くるしさ――引いてはもふもふの狐耳と尻尾の虜になっていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る