04:小さな幻獣
「おれの家に住む上で、一つ大きな問題がある」
森の小道を歩きながら、ハクアがおもむろに切り出した。
「同居している幻獣の子どもだ。あいつは人間嫌い――というか、正確には人間を酷く怖がってる」
名前はトウカ。
そもそもの絶対数が少ない『幻獣』の中でもさらに稀少な『神獣』という種族の男の子。
彼は途方もない魔力の持ち主で、契約すればその魔力を人間に分け与えることができる。
欲深い人間たちは血眼になって彼を求めた。
逃げ回っていたトウカは違う森で暮らしていたところを捕えられ、オークションにかけられた。
彼を買った貴族はあの手この手で契約を迫ったが、トウカは頑として首を縦に振らなかった。
その貴族は卑しく粗暴な人間で、トウカの魔力を手に入れれば何をするかわからなかったからだ。
業を煮やした貴族はトウカを打擲し、逃げられないように魔力封じの鎖に繋いで檻に閉じ込めた。
ときには首輪をつけて見世物にし、ただのパフォーマンスで大魔法を使わせたり、魔物や竜を倒すように命じた。
横暴に耐えきれなくなり、トウカは決死の覚悟で逃げた。
そして、この森で行き倒れていたところをハクアが保護した。
一ヵ月ほど前の話だ。ハクアはそう締めくくった。
「……酷い話ですね……」
話を聞き終えて、新菜は俯いた。
そんな過去があれば、人間不信になって当然だろう。
ハクアが新菜を家に置くのをすんなり了承できないわけだ。
新菜はただ人間であるというだけでトウカを怯えさせてしまう。
「でも、お前はトウカに危害を加えたりはしないだろう」
ハクアの声に、顔をあげる。
「あいつも村人と挨拶程度の言葉なら交わせるようになったし、どうにか恐怖を克服したいと思っているようだから、人に慣れるための訓練相手になってやってほしい」
虹色の瞳が、真剣に自分を見つめる。
胸に熱いものが込み上げた。
ハクアが望みを託してくれた――その事実がただただ、嬉しい。
身一つでいきなり異世界に放り出されて心細かった。
誰も新菜を知らない、味方など一人もいない。
そう思って途方に暮れたが、ハクアは出会って間もない新菜を信じようとしてくれている。
「……はい。わたしがトウカくんの心の傷を癒せるかどうかはわかりませんが、できる限りを尽くします」
泣きそうになるのを堪えて、新菜は微笑んだ。
「同じ一つ屋根の下で暮らすわけですから、きっと慣れてくれますよ。染みついた恐怖はそう簡単に拭えないものです。焦らず気長に行きますね!」
ぐっと胸の傍で拳を握ってみせる。
いつまで居座る気だ、と突っ込まれるかと思ったが。
「よろしく頼む」
ハクアは茶化したりせず、真摯にそう言った。
「はい!」
新菜は大きく頷いた。
「あれがおれの家だ」
数分後、ハクアは緩やかな坂を登りながら、前方を指さした。
木々の間から見えたのは、なだらかな丘の上に建つ、木と石でできた家。
二階建ての家の傍には白い花を咲かせる大樹があった。
偶然にも、新菜が目覚めた場所にあった木と同じだ。風に花びらが散っている。
玄関の脇には木の柱があり、横に突き出した枝にランタンが吊るされていた。
柱の上には木彫りの鳥が鎮座している。
頭に角がある、丸い体躯のフクロウ。
印象としてはそんな感じだった。
(あれ? これ、ランタンじゃない?)
丸いランタンの中にはあるべき燭台がなく、代わりに手のひらサイズの宝石が据えられていた。
六角柱の、大きな水晶のような虹色の宝石だ。
宝石の台座に刻まれているのは幾何学模様のような、文字のような、不思議な紋様。時折紋様をなぞるように光が走っている。
「これはなんですか? 綺麗」
新菜は興味津々にランタンを覗き込んだ。
「
ハクアはランタンに手を触れた。
「これは魔導具の一種で、魔物を防ぐための結界維持装置。結界が張ってあるから、この丘は安全だ」
「便利なものがあるんですねえ」
感心していると、目の前の家から香辛料の香りが漂ってきた。
(カレーの匂いかな? おいしそう)
新菜は上体を起こし、鼻をひくつかせた。
腹の虫がきゅうと鳴る。
「ただいま」
ハクアが玄関の扉を開いた。
すると、小さな男の子がすっとんできた。
「おかえりなさい!」
(わあああああああ可愛い!!)
その子を一目見た瞬間、新菜の心臓は撃ち抜かれた。
年齢は五、六歳くらいか。
子供の頭には狐を思わせる、ふさふさの白い耳が生え、ズボンのお尻からは立派な尻尾が突き出していた。
主人の帰りを待ちわびた犬のように、ぶんぶん揺れている。
耳と尻尾は毛先から付け根にかけて金色のグラデーションがかかっていた。
髪は薄く金を混ぜたような銀で、額には三つ並んだ虹色の角があった。
左の角が一番小さい。右にいくにつれて大きく伸びている。
ゆったりした着物の丈は腰までしかなく、下には黒のズボンを履いていた。
履物は金色の装飾が施されたブーツ。
着物の帯には紐の飾りがついていて、膝近くまで垂れている。
笑顔だった子どもは、ハクアに続いて新菜を見るなり、固まった。
大きな金色の目が見開かれ、両耳がぴんと立つ。
「どうも、初めまして」
会釈すると、トウカはぴゃっと跳ねた。
踵を返し、全速力で逃げ、戸口の裏に隠れてしまう。
「その人、だれ!?」
「落ち着け。こいつはニナ。リエラの招き人だ」
「リエラの招き人……?」
トウカは戸口から顔を半分だけ出した。
耳は立ちっぱなしで、びくびくしている。
「今日からメイドとしてこの家に住むことになったから。仲良くしろよ」
「一緒に住むの!?」
トウカの声は悲鳴に近かった。
「大丈夫。こいつはただのメイドだ。お前に何かしたりしない。おれの判断が信じられないか?」
そう言われると弱いらしく、トウカは黙り込んだ。
「あの、トウカくん……でいいのかな? 初めまして。私はニナっていうの」
本当は『ニイナ』だが、ハクアがニナと呼んだのでそう名乗ることにした。
思い切って近づくと、トウカが身構えた。
トウカが逃げるギリギリの間合いを見計らって止まる。
新菜はその場に片膝をつき、小さなトウカと目を合わせた。
「わたしもあなたと一緒で、ハクア様に助けてもらったんだ。恩返しのためにも、これからメイドとして一生懸命頑張るね。でも、わたし、この世界に来たばかりで何も知らないの。だから、色々教えてくれると嬉しい。今日からよろしくね」
笑いかける。
でも、トウカの口元は引き結ばれたまま、緩む気配がない。
(仕方ないよね。これからゆっくりと溝を埋めていけばいいや)
楽観的に考えて立ち上がる。
これ以上トウカを怯えさせないよう、ハクアの後ろへ引っ込もうとしたところで。
「よろしく」
蚊の鳴くような、小さな声が聞こえた。
振り返ると、上目遣いで新菜を見ていたトウカは、すぐに目を伏せた。
小さな手がぎゅっと閉じられている。身体が震えていた。
「…………うん。ありがとう」
怖くて仕方ないだろうに、勇気を出して応じてくれた子どもに、新菜は微笑んだ。
頭を撫でたかったが、それは我慢した。
スキンシップは、彼が心を開いてくれてからだ。
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