第二部その二
子の刻。
再び僕は引きずられてどこかの部屋に連れてこられた。
畳がしかれ、奥には裳が掛けてある。
裳着をとり行う部屋だ。
「ではまず、参列頂いた方々からのお祝いのお言葉でございます」
御簾の向こうで参議が恭しく祝辞を述べ、歌を詠む。
さすが右大臣に近しいだけあってどいつもこいつも上流貴族ばかりだ。
へのへのもへじが来てることを期待してたが、この面々じゃ望みは薄いな。
がっつり父上側だし。
「次は中納言殿」
「小紫の姫におかれましては、ご機嫌麗しく…」
儀式はつつがなく進んでいく。
目の前には右近、背後には草野がいてとてもじゃないが抜け出せない。
どうしよう、このままじゃ本当に姫として生きる他なくなってしまう。
父上が消息不明な今、僕には何の後ろ立てもない。
この後ろ立てというのが大事で、いくら貴かろうと後見がなければ庶民に毛が生えた程度の生活しか望めない。
いや、場合によっちゃ下級役人よりみじめだろう。
なんせ食う物、着る物にすら困るのだから。
それに比べたら、このまま草野の所へ身を寄せて安穏と過ごすのも悪くない。
調度品もお付きの女房も最上、そこらの貴族の娘より厚遇されている自覚はある。
んでもってこれまた僕はそこらの姫よりずっと可憐だ。
草野がとち狂うのも無理はない。
だからここで姫として、かしづかれて暮らすのもけして悪くないんだ。
…悪くは、ないんだけど。
右近の目を盗み、草野をちらっと見る。
相変わらずやる気なさげな顔だ。
とてもあの火事を引き起こした張本人とは思えない。
その上、右大臣につくなんて。
…父上はご自分の取り巻きよりもあいつを信用していた。
それが間違いだったとは思えない。
なーんか、裏がありそうなんだよな。
僕を…その、すっすっ…あれなのも信じがたいし。
いや、草野はぞんざいな振りしてその実かなり僕を甘やかしてきた。
そのくらいは僕だってわかるさ。
でもだからって、すべてを捨ててまで僕に固執するものだろうか?
「それでは裳をこちらへ」
しまった、もう後がない…!
ゆっくりと裳が近づいてくる。
裳を身につけてしまえば、後戻りできない。
どうしよう、僕は、どうしたら。
「その儀、ちょい待ちー!」
「!」
この声は。
「な、なな…!」
雷鳴のような音と共に僕ら目がけて木片が降り注ぐ。
「狭霧様!」
草野が手をのばしてくるが間に合わない。
ぎゅっと目をつぶった僕の頭上に降ってきたのは、最近嫌というほど聞いた声だった。
「よ、迎えに来たで。お姫さん」
「鬼擬き…」
太い腕が僕を木片からかばう。
相変わらず髪はぼさぼさで、無地のぼろをまとっている。
助けに、来てくれたのか。
「ひぃぃいい!」
「お、鬼!鬼だぁあああ!近衛は何をしておるっ」
公達が我先にと逃げ出す中、刀を取った草野が鬼擬き目がけて斬りかかる。
「あっ…ぶな!ほんま物騒やな〜自分」
「いね、鬼」
本気で斬り捨てようとしてる草野に対して、鬼擬きは片手の小刀だけで応じている。
「狭霧様、こちらへ」
右近に話しかけられてはっとした。
「あ…」
とっさに動けずにいると、さらに詰め寄られる。
「さ、お早く」
「だーかーらーちょい待ちって」
右近の手が届く前に、反対側へ引っ張られ視界がひっくり返った。
「え、え?」
「狭霧様!」
御簾や壁代が舞い散る中を草野が追いかけてくる。ものすごい形相だ。
お前そんな顔できたのかってくらい。
「よっしゃ飛ばすで暴れんときや!」
それに引き換え、こちらは変わらなさすぎて安心していいのか悪いのか。
地味この上ないとはいえ、それなりの調度品の数々を土でも蹴飛ばすかのように壊していっている。
うわーあれなんか螺鈿飾りの碁盤じゃないか。
今日の余興に出してたのかな。
捕まったら鬼擬きのやつ、本当に殺されるかもなあとぼんやり考えていると、ぐんぐん草野との距離が開き出した。
正装とぼろの差が出たな。
とうとう草野を振り切ってしまうと広廂に着いた。
おお!これで逃げられる。
と思ったらまたもや視界がひっくり返った。
「おい?鬼擬き…!」
なぜここまで来て止まるんだと睨みあげれば、鬼擬きの方がむすっとしている。
「名前」
「は?」
「だから、わいの名や。教えたったやろ?呼んでみ」
名前。鬼擬きの名前。
そーいや聞いたよーな、聞いてないよーな。
視線をさ迷わせる僕を見て、奴は耳をほじくった指にふーっと吹きかける。
「呼ばんなら、このままや」
何ぃー!?冗談じゃない、あれだけ怒り狂ってる草野へ引き渡されてたまるか!
「今そんなこと言ってる場合じゃ…!」
あわてて説得しようとすると、邸の奥の方で、ばりばり、がっしゃんと音がする。
そして、その音は確実にこちらに向かっている。
げぇ、最悪だ。
「ほれ、早よせなあの恐い兄ちゃんがもうすぐ来るで?」
言われなくともわかってる。
でも、なんでそこまでこだわるかな。
いやいや、考えてる場合か狭霧。
「…っあーもー分かったよ!呼べばいいんだろ呼べば!」
「ついでに可愛く『助けて』からの上目遣いもつけてくれたら嬉しいんやけど?」
この野郎…後で覚えとけよ。
「…助けて、[[rb:赤銅 > しゃくどう]]」
にっと笑った口から鋭い牙が見えた。
目を開けると、そこは洞穴だった。
「…………………は?」
言っとくが木材で補強されてる、なんてこともない。
本当に熊がいるようなただの洞穴だ。
「こ、ここに…住めと?」
左大臣の一人息子であり、左の君とまで謳われた…この僕に?
「ええとこやろ〜」
ここでぶちっときた。
「ど、こ、が、だ!この馬鹿!こんなとこ住めるか!僕は貴族だぞ!せめて屋根のあるとこにしろ!」
ぎゃんぎゃん騒げども、いかんせん僕の背は奴の腰辺りまでしかないので、当の本人はどこ吹く風だ。
「そんなん言われてもな、自分お尋ね者の自覚あるんか?今頃草の根わけて探されとるで。ほんまはとっとと京を出た方がええんやけど」
そこでちらりと視線をよこされる。
「父上と再会できるまでは絶対に京から離れない。それに…」
「それに?」
「…草野の目的が知りたい」
立派な邸、元右大臣付きの女房…数え出せばきりがないが、どれも一介の従者には身分不相応なものだ。
それに、主人である左大臣と僕への裏切り…。
草野は物でつれるような奴じゃない。
何か、何か別の理由があるはずだ。
それが分かるまで…僕は。
「んじゃ洞穴で我慢やな。まあ当分は大丈夫やろ、山狩りでもされん限りは見つからんって!」
「………………しかたなくだからな」
耐えろ、耐えるんだ狭霧。
あの光源氏も一時は京から離れたじゃないか。
きっと高貴な者ほど運命に翻弄されるんだ、うん。そう言い聞かせている横で赤銅が何かを見つけて手をあげる。
「お、そういやあいつも紹介しとかんとな。おーい、こっちやこっち」
「あいつ?」
こんな所に他に人がいるのか?赤銅が手を振る方を見るが誰もいな
「呼んだかー?」
い!?
じっ地面からなんか出てきた。えっと、泥だらけで小さめの。
「……………………竹の子?」
「人だ!失礼な奴だな」
竹の子がしゃべった。
いや、ずいぶん汚いが童のようだ。
僕よりふた回りも小さい。
「……ん?」
この、こしゃまっくれた顔…どっかで見たよう、な。
「ああー!お前っあの時の道案内!」
僕を山奥で置き去りにした張本人だ!賊らしき影を見たとか適当なこと言いやがって!
「いやーあの時はどうもどうも」
僕が叫んだとたん、こいつも気づいたのかころっと態度を変える。
あの後どれだけ僕がさ迷ったと思ってるんだ。
「赤銅、この餓鬼は何だ」
「姫さんだってそんな変わんねーじゃん」
豆粒みたいなくせに口の回る奴だ。
にらみつけても怯むどころか舌を出しやがる。
こいつ……。
「まーまー、そんな怒らんでもええやん。それよか用、この姫さんしばらくここで匿うことにしたから面倒みたってや。な!」
「ふん」
「誰が」
あちゃー…という赤銅の声を無視して僕の洞穴生活が始まった。
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