その五
物忌みなんかするんじゃなかった。
「これはこれは…ようこそ大納言、物忌みだと聞いておりましたが…今度は方違えですか」
「は、はあ…まあ…」
よりによって右大臣本人に出迎えられ、しどろもどろで返事する。うう、腹が痛い。
「そういうことでしたら、どうぞごゆるりとお過ごしください。側仕えの童も休ませるとよろしい、後で水でもやりましょう」
「お、お心遣い感謝いたします…」
「いえいえ…では私はこれにて。少し所用がありますので。お相手できず申し訳ない」
どうぞどうぞ、むしろそっちの方がありがたい。なーんてことは口が裂けても言えない。相手は年下だが身分は上だ。優雅で社交的な印象に反して蹴鞠や楽にはあまり参加しないと聞く。それでいて右大臣にまで上り詰めたのだから大したものだ。いったいどんな手を使ったんだか。寝殿の正面から広廂へと案内される。
「裏で政敵を呪っていたとか」
「んーまあ、あり得ん話ではないな。このご時世多かれ少なかれ呪詛は皆やっとるし…って狭霧様!?いつの間に!?」
ばっと振り返ると水干姿の糞餓鬼が思案している。
「よし、この隙に色々探ってみるか…あ、大納言殿は言われた通り何食わぬ顔でくつろいでいてください。万一何かあったら控えている鬼も、いえ下男に合図を」
〜〜〜〜っ!
き、気のせいかしら、腹の痛みがだんだん増してきたような…。
「さっ狭霧様、くれぐれも無茶はなさらんでくださいよっ。右大臣にばれでもしたら私の立場が…っ」
馬鹿馬鹿馬鹿っ儂の馬鹿!ぬぁんでこいつが訪ねて来た時、何がなんでも断らなかったんだ!いくら家宝でも我が身には代えられんだろ!てゆーか適当に右大臣かもって言っちゃったけど、まさか使用人に成りすまして入り込むなんて何考えてるんだ
!?
「重々承知しておりますとも。ご協力感謝いたしますよ、大納言殿」
「…………っ!!」
あーーーーーーっ!腹がっ、腹が痛い!!
うずくまったまま動かないへのへのもへじを残し、渡殿へ出る。
なんだ、意外と人気がないな。わざわざ使用人の水干まで借りてきたのに拍子抜けだ。(普段僕が着ているのはもっと上等の狩衣だ)これなら思いのほか邸内をうろつける。ふっふっふっ見〜て〜ろ〜よ、成り上がりめ。この左の君がお前の企みを暴いてやるからな。
「塗籠に行ってみるか」
機密という点では寝所が一番怪しいが、さすがにそこまで危険はおかせない。
他なら迷い込んでしまったとでも言えばいい。
僕の愛らしさをもってすれば可能だろう。
足音を立てぬよう進む。邸内は異様に静かだ。
僕の邸じゃあり得ないな。
女房達のおしゃべりやら連日父上の催す宴のおかげで、華やかさと賑やかさでは都随一だ。
壁代や柱をみても、右大臣は地味なのがお好きらしい。…そういや草野も地味なのが好きだよなあ。
いくら文様のある衣をすすめても『落ち着かないんで』と決まって無地を着ている。悪趣味な奴らだ。
「もし、そこの童。ここで何をしておる」
げ、見つかった。ふいに背後からかけられた声に身を固くする。
「…実は、迷ってしまいまし、て…」
振り返って驚いた。そいつは、いや彼女は僕の真後ろにいたのだ。女房の格好なら布ずれの音くらいしてもいいはずなのに…ここは一体どーなってんだ。
「…もしや、大納言殿の付き人か?」
「は、はい。体調が優れないご様子だったので、どなたかをお呼びしようと」
つり上がった眉が美しい女人だが、性格がきつそうだ。ここは下手に出ておこう。
僕の可憐で健気な演技を見て、くるりと裾をひらめかす。
「ついて参れ」
「ほんっとに申し訳ない!」
へのへのもへじが頭を垂れて手を合わせる。なーんだ、元気じゃないか。付き人が大臣の邸内を勝手にうろついたあげく、塗籠に向かっていたところを見咎められ、あげく案内までさせた事態に些細なことは吹っ飛んだらしい。
「これにはよく、よぉおく言って聞かせまするので!ほれお前もお詫びせぬかっ!」
「ごめんなさぁい…どうしても大納言様が心配で」
肩を震わせ、ついでに瞳も潤ませる。これでどうだ。
「…右大臣より大納言のお人柄はよく伺っております。真面目で誠実なお方だと」
「で、ではっ」
「今回はそれに免じて不問にいたしましょう」
ため息をひとつ残して、女房は去っていった。
「あれが左の君か…」
[newpage]
今代の左大臣はたいそう優秀だと評判である。ま、儂のことなんだがな。
「今日の朝議もつつがなく終わりましたな、これも左大臣殿のお力あってのこと」
「いやいや、先の方々に比べれば儂などまだまだ。典礼は奥が深いですからな」
取り巻きの一人が手を揉まんばかりに褒め称えるのを、さらりと流して歩く。儂ほどにもなると、この程度の賛辞は聞き飽きてしまうものなのだよ。
「またまたご謙遜を。みな噂しておりますよ。左大臣はたいそう博識な上、立派なご子息に恵まれておいで。飛ぶ鳥落とす勢いの右大臣の出世もこれまでだろうとね」
誰だったかなーこいつ。たしか、へのへのもへじみたいな名だったと思うんだがなー。
「はっはっはっ!困りますなあ、そんな本当のことを言われては」
ま、いっか!へのへのもへじで!どうせ数多の取り巻きの一人にすぎんし。なーんてことをつらつら考えながら車に向かっていると、角から今一番目障りな奴が現れた。右大臣だ。
「これはこれは、ご機嫌麗しゅう左大臣殿」
「おや、右大臣殿。お珍しいですな、貴方の方から声をかけていただけるとは」
優しげな目元をしておるが、儂は騙されんぞ。こいつは絶対性格悪い。
「ふふ、そう警戒なさらないでください。単に世間話をしにきただけですよ」
「世間話?」
お前が世間話なんかするたまか。そうは思ったものの、表情には出さない。相手の思う壺だからな。だいたい、こやつは無駄を嫌う。何が目的だ。
「左様。実は我が邸にも侵入者がありまして」
「ほう、物騒ですな」
「まあ正体はただの子猫だったのですが、客人を招いている最中だったので焦りましたよ。万が一、大事を引っ掻き回されてはたまらない」
こりゃまた狭霧が何かやらかしたな。いいぞ〜もっとやれ。
「ははは、まあ子猫なら可愛いもんでしょう。右大臣殿は動物はお嫌いか?」
にやにや笑いながらあおってやる。目の端に、へのへのもへじの真っ青な顔が入るが知るか。
「そんなことはありませんが、しつけがなっていないのは困ります」
いつも仏像のような弧を描いたままの口が、少し歪む。ほほーう、ほんに珍しい。帰ったら狭霧を褒めてやらねば。
「わかったわかった。その子猫、この左大臣めがしつけ直してしんぜよう。まだお手元にいるのかな?」
「…いえ、親猫が乗り込んでくる方が面倒なのでね。早々に放ちましたよ」
「それは残念、さぞかし可愛かったろうに」
「愛らしいのは結構ですが、害なれば駆除も厭いませぬ…親猫諸共ね」
しずしず去っていく右大臣の背が見えなくなってから、腰を抜かしておったへのへのもへじが耳打ちしてくる。
「よ、よろしかったのですか?あんなに挑発されて」
「ふん、せいぜい身辺には気をつけよということでしょう…それより大納言、頼みがあるのですがよろしいかな?」
最後に笑うのは、この儂だ。
[newpage]
邸に戻ると、右近が出迎えた。
「…そのまま捕らえた方がよろしかったでしょうか」
「いや、単に捕らえるだけでは面白くなかろう。任せようじゃないか、“彼”に」
寝殿へ入り御簾を下ろさせる。左大臣、あなたが思っていらっしゃるほど私はあなたのことは嫌いではありませんよ。だからこそ、わざわざ忠告もいたしました。けれど。
「勝つのは、この私だ」
拍子抜けだ。
「あれほど外出禁止だっつったのに…はあ、まー何はともあれご無事で何よりです。じゃ俺は所用があるんで失礼します」
この間の怒りようが嘘みたいだ。
「なあ、どーなっとるん?」
「知るか…でも正直助かった。あの様子じゃ全部はばれてないようだし」
身分を隠して右大臣の邸に入り込んだとなれば、そりゃもうこの世の怒り方じゃないだろうな。分かったのも草野と同じく、右大臣も地味好みということくらいだ。
「そうかあ?愛想つかされただけちゃう?てっ」
「うるさい」
頭…は届かないので、かわりにすねを扇でぴしりと叩く。ほんっと無礼なやつ!
「懇切丁寧に話してやったのに、まだ分からないのか。一応あんなのでも僕の乳兄弟なんだぞ」
どれだけ呆れたって怒ったって、草野が僕に愛想つかすわけないだろ。この時までは、確かにそう思っていた。
その夜、妙に寝つきが悪かった。
「うう、ん…」
暖かくなってきてはいるものの、これはちょっと暑すぎやしないだろうか。息をするのもしんどい。
「んん…ああもうっ暑い!なんなんだこの暑さは」
掛けていた衣をはねのけて、体を起こす。開いた目に飛び込んできたのは、燃え盛る炎だった。
「……………え?」
「草野!ごほ、草野ーーーっ!」
立ち込める煙を避けながら、邸内を駆ける。火の周りが早い。くそ、せめて昼間なら消火できたかもしれないのに!調度品も、もう駄目だろう。気に入りの屏風も双六も火に巻かれた。燃える御簾を払いのけ、奥に進む。
「草野ー!どこだー!」
とっとと出てこい、何もたもたしてんだよ。早くしないと崩れるぞ。女房も下男も散り散りに逃げ出した。…っ父上だってあの方のことだ、きっとご無事だろう。あとは、僕達だけなのに。なんでいつもいつも肝心な時にいないんだ!
「…っ草野ー!」
「ここですよ」
「この馬鹿!今まで何してたんだよ!皆脱出した、後はもう僕達だけだ。さっさと逃げるぞ!」
無理やり引っ張っていこうと手をのばすと、逆にそれをつかまれた。
「俺達だけ、ですか…それは好都合」
「え」
痛いくらいに力を込められる。
「長かった…もう何年になりますかね、あなたと出逢って」
「はあ?確かに長いつきあいだけどなっ。このままじゃ…っあと少しでそれも終わるんだが!?」
「終わりませんよ」
腹に衝撃が加わり、息がつまる。倒れ込む僕を草野が片手で受け止めた。情けない話、その時ようやく気づいたんだ。草野の手に松明が握られていたことに。
「これが始まりです」
第一部 完
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