卒業式の夜

 冬休みを越え、入試も終わり、春を迎えた。無事僕も亜矢も奏太も合格した。最も第一志望に受かったのは亜矢だけで、僕と奏太は滑り止めに滑り込んだ形だったけれど。玲未は結局就職が決まらず、とりあえず近くのファーストフード店でバイトを続けながらいいところを探すと言っていた。

 あの十二月の日に亜矢が言っていたように、僕達四人の高校生活は卒業式を待たずして終わりを迎えていたらしい。玲未が放課後残ることを止め、亜矢が塾に通い出し、四人が揃う回数が大きく減った。奏太とは相変わらずよく一緒にいたけれど、それだけじゃ物足りない。本当はまた四人でくだらない話をして笑い合いたい。けれど僕には大きな流れに逆らうことは出来ず、ただ日々が過ぎていくのを見ていることしか出来なかった。玲未から相談をされることもなかったし、自分から話をしようと誘うことも出来なかった。亜矢に聞いても、私も知らないんだよね、という答えが返ってくるだけだった。あまり元気があるようには見えない玲未の後ろ姿を見るだけの日々が続いた。

 そんな僕達の高校三年生の冬だったけれど、最後にもう一度だけあの日々が戻ってきた瞬間があった。それが卒業式の夜だった。卒業式が終わりクラス単位での打ち上げが昼に行われる。その後自然と四人が集まって、せっかくだからみんなで晩御飯を食べようということになった。そう言いだしたのは奏太だったけれど、僕も同じ気持ちだったし、亜矢も玲未も同じ気持ちだったと思う。四人以上の人間が集まって何かをしようという時は、たいがい一人は乗り気で無かったり、別になんでもいいからそれでいいよ、というスタンスの人がいる。けれどその時の僕達は全員が感情を共有していたような感覚があった。

 とりあえず駅前のファミレスに四人は入った。安くて長時間滞在できて最適だったのだ。

「タイプじゃないってなんだよ。男として見れないは言い過ぎだろー」

卒業した解放感も手伝って、昔みたいに笑い合いながら奏太をからかって笑った。

「私は昔からそう思ってたけどね」

「私も」

玲未の言葉に亜矢も便乗する。

「え、へこむんだけど」

奏太は大げさに目を見開いて亜矢と玲未を交互に見ていた。その様子を見て僕は微笑む。なんだか幸せになる。

「何笑ってんだよー」

奏太に肩を押される。

「いやさ、なんかこういうの久しぶりで楽しいなあって」

「それ私も思った。自然と笑顔になるよね」

「え、人がいじられてるのを見て自然と笑顔になるってひどくない?」

それを聞いて三人が笑う。亜矢と玲未が並んで笑っている姿を見るだけで僕は良かった。亜矢に比べると玲未が少し悲しそうな目をしていたことが引っかかったけれど。

「亜矢も二年後には保育士かー」

 玲未が遠くに視線を預けながら言った。

「順調に行けばだけどね」

「でも絶対似合ってるよ。子供と遊んでる姿目に浮かぶもん」

「そんで子供にからかわれて怒ってる亜矢まで想像出来るわー」

「ほんと奏太は一言多いんだから!」

亜矢と奏太の夫婦漫才のようなやりとりに目を細めてジンジャエールを飲み干す。

「ちょっと飲みもん取りに行ってくる」

そう言って僕は立ち上がった。テーブルの上は食べ終えた料理の皿が並び、ドリンクバーでジュースを飲みがながら話をし続けていたところだった。

「じゃあ私も行こうかな」

そう言って目の前の玲未も立ち上がった。四人掛けのソファー席で窓際に奏太と亜矢、通路側に僕と玲未が座っている。

「じゃあ俺もコーラお願い!」

「しかたないなあ」

「亜矢もなんかいる?」

玲未にそう聞かれた亜矢は、コップに残っていたカルピスを飲み干して言った。

「オレンジジュースかな」

「おっけ」

 二人で店内中央付近にあるドリンクバーコーナーへ歩いていく。

「亮は何飲むの?」

奏太の分のコーラを注いでいると、玲未が話しかけてきた。

「んー。口の中もう甘ったるいから烏龍茶でいいかな」

「そっか。私も烏龍茶でいいや」

奏太の分をそそぎ終わり、自分の烏龍茶を注ぐ。

「色々ありがとね」

「え、何が?」

「この三年間色々話聞いてもらったなあって思って」

「そんなの全然いいのに」

玲未に場所を譲って横で待つ。注いだばかりの烏龍茶を一口飲んでみる。少し苦い。

「卒業してからもいつでも相談乗るから」

「ありがとう」

玲未はコップから目を離し僕を見て微笑んでくれた。やはりその笑みは悲しみを孕んでいた。いつから玲未はこんな笑い方をするようになったのだろう。

 席に戻ると亜矢が笑い転げていた。

「え、なんでそんな笑ってんの?」

僕と玲未は席に着きながらそう尋ねた。

「いやさあ、俺大学入ったら何かしらサークルに入ろうと思ってるわけ」

奏太がそう話し出す。亜矢は目尻の涙を指で拭っていた。

「んでサークルって言ったらさ、たぶん一発芸とかさせられそうじゃん。通過儀礼というかそういうやつでさ。それでモノマネ練習してんだよね」

「モノマネ?」

「誰の?」

僕と玲未がほぼ同時に聞く。

「ラクダ」

そう言って奏太はラクダのモノマネらしきものを始めた。顔をしわくちゃにさせて口をもぐもぐさせている。もはや意味がわからなかった。特に似てもいないし、変顔をしているだけだ。

「は?」

玲未が表情をぴくりともせず突き放した。けれど奏太はくじけない。ひたすらそのモノマネを続ける。そうしているうちになんだかおかしくなって笑いがこみ上げてくる。玲未も顔を背けて笑いを噛み殺していた。

「だからその強引さが反則だって」

亜矢がそう言ってまた笑っていた。

 ただ一通り笑い終えると急に冷静になってくる。そうすると少しも面白くない。いや、もともと面白いわけではない。それは亜矢も玲未も同じようで、三人が冷めた目で奏太を見ていた。奏太もさすがに気がついたようで、そのモノマネを止めた。

「よく考えたら面白くもなんともないね」

亜矢がそう言うと玲未が追い打ちをかける。

「よく考えなくても面白くない」

「勢いと強引さだけで、クオリティもくそもないしな。第一実物のラクダ見たことないし。似てるかどうかすらわかんない」

僕がそう言うと奏太は深いため息をついた。

「じゃあもう一個のやつしかないか」

「もう一個?」

亜矢がそう聞くと奏太は澄ました顔で答えた。

「ウシ」

「はいはい」

「ほとんど一緒じゃん」

「わかったわかった」

三人で呆れる。

「いや、こっちは鳴き声つきだから!」

そういってウシのモノマネを始めた。ほとんどさっきと同じ表情を作って、今度はもーもーと鳴いている。僕と玲未と亜矢は顔を見合わせると呆れかえってため息をついた。

「ちょっとトイレ行ってくるわ」

僕がそう言って立ち上がると、亜矢も玲未も立ち上がった」

「私も」

「私もトイレ」

取り残された奏太は二秒くらいウシを続けていたが、諦めたのか立ち上がって追いかけてきた。

「ちょ、ひどすぎだろー」

 馬鹿なことで馬鹿みたいに笑った夜だった。店内にはある程度の客がいたけれど、そんなことを一つも気にせず騒いで笑った。今だったら周囲からどう思われるか気になってそんなことは出来ない。けれどあの頃はそれが出来た。いや、あの四人ならそれが出来た。まるで世界には四人しか存在しないような感覚。同じ世界を共有して、四人の間には感情の齟齬なんてない。絶対的な安心感がそこにはあった。一度それが失われていた分、余計に僕はその幸せを噛み締めていたような気がする。その幸せの輝きが強い分、影は濃くなることも知らずに。

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