亜矢と眺めたサッカー部の練習
十二月に入ったばかりの頃だったと思う。あの日予想した通り僕達四人は一緒にいることが随分と少なくなっていた。玲未は就職することに決めて放課後に残らなくなった。亜矢も塾に通い出して残らない日も出てきた。奏太と僕だけが相変わらずの日々を過ごしていた。
その日は奏太が風邪で学校を休んでいた。僕は塾のない亜矢と二人で教室に残っていた。いつもいる元野球部の三人もいない。大人しい二人組の女子が大人しく勉強しているだけだった。放課後になると一気に冷え込む。僕は制服の上からコートを羽織り、亜矢はそれに加え膝にブランケットをかけていた。
「なんか、可哀想だね」
そんな時亜矢がぽつんと呟いた。
「何が?」
夕日が差し込む教室で、僕は窓際に座っている亜矢に聞き返す。
「いや、サッカー部が試合してるんだけど、なぜかゴールを決めた子が先生に怒られてるから」
「あーそういうこと」
僕は手を止め、亜矢の前の席に座ってグラウンドを見下ろす。三年は三階の教室なのでグラウンド全体が見下ろせた。
「小林ってそういうやつなんだよな。フォアザチームっとかなんだか言ってさ。自分勝手なプレーしたらすぐ怒るんだよ」
「小林先生ってそんな人なんだ。そういえば亮ってサッカー部だったもんね」
「そういえばってどういうことだよ。確かにほとんど補欠だったけどさ。もしかして怒られてたのってあの9番のやつ?」
「うん。一人でがーっと行ってゴール決めたんだけどね」
「あいつ二年の衛藤ってやつなんだけど、うちの学校じゃ飛び抜けてうまいんだよ。でもいつもヘラヘラしてるやつだから小林に嫌われてるんだよ」
「ふーん。大変なんだねサッカー部も」
「まあね」
その後僕達二人は無言でサッカー部の練習を見ていた。今度は衛藤がパスをして11番の玉乃がゴールを決めた。小林は嬉しそうに頷いている。どうやらレギュラー対控えらしく、実力差が激しい。レギュラー組が次々とゴールを決める。そのほとんどが衛藤のゴールかアシストだ。あいつももっと強い高校に行けば活躍できたのにな、なんてことを思う。
「勉強しないの?」
隣で同じようにグラウンドを眺めている亜矢にそう声をかけた。
「亮こそしないの?」
「うーん。なんか今日はそういう気分じゃないかな」
「私も」
亜矢は頬杖を着きながらグラウンドを見ている。そしてそのまま僕を見ずに返事した。
「奏太がいないと静かすぎるね」
「そうだな。玲未もいないし」
「そだね」
嫌じゃない沈黙が流れる。部活動の声や音、そして教室で勉強している二人組の文字を書く音だけが響く。
「そういやさ、玲未に彼氏がいるって本当?」
「え、聞いたことないけど?」
「そっか。じゃあ木口の勘違いか」
「どういうこと?」
「なんかさ、木口が見たって言うんだよ。玲未が男と二人で歩いてるのを。結構年上だったらしいんだけどさ」
「そうなんだ。私は聞いてないけどなあ。それっぽい話もないし、そんな雰囲気も感じなかったけど」
「じゃあたぶん気のせいか」
「まあ玲未もあんまり自分の事話すタイプでもないしわかんないけどね」
「まあな」
「そういえば奏太はどうなの。新山さんの件」
「あーあれね。なんか無理っぽいって」
僕が笑いながら言うと亜矢もあははと笑った。
「なにそれー。せっかく一般受験に変えたのに」
「本人は別に新山のためじゃねーしって言い張ってるけどな」
「案外そうかもね。奏太って案外本音がわかんないとこもあるもん」
「そうかー?」
グラウンドでは控えチームがようやくゴールを決めた。まるで公式戦のように輪になって喜んでいる。そして小林は早く戻れと怒鳴っている。
「でも大丈夫なのかな」
「なにが?」
僕はいつのまにか声に出していたらしい。なんの脈絡もなくそう言い出していた。
「玲未のこと。就職するって言ってたけど大丈夫なのかなって。ちゃんと考えているのかとか、無理してるんじゃないかとか思っちゃって」
「そだね。でも大丈夫じゃない。玲未しっかりしてるし。もしさっきの話が本当ならその彼氏が支えてくれてるよ」
「そうだといいけど」
少し間が空いた。その間に衛藤がもう一点決めた。小林は満足のいく形だったのか腕組みをしながらうんうんと頷いていた。
「亮ってほんと優しいね。そんなに玲未のことを心配してさ」
「優しさだけが取り柄だからさ」
冗談のつもりで言ってみたけれど亜矢は笑わなかった。
「なんであんな奏太がモテるのに亮は彼女できないんだろうね」
「それはこっちが知りたいよ」
二人はずっとグラウンドを見ながら顔を合わせることなく話し続けた。それが居心地良かった。グラウンドでは控え組の生徒がシュートを外した所で練習が終わった。日もだいぶ暮れ薄暗くなっている。教室の二人組の女子生徒も帰る準備をし始めた。
「本当にもう終わっちゃうんだね。高校生」
「どうしたんだよ急に」
僕はその時初めて亜矢を見た。横顔が夕日に照らされて僕は少し見とれてしまった。亜矢はそれに気づいてるのかわからないけれど相変わらずグラウンドを見続けた。
「別にどうもしてないよ。最近思うんだよね。もう楽しかったあの日々は戻ってこないのかなって」
「まだ三ヶ月もあるじゃん。早くない?」
自分もそう思っていたくせに同意するのがどういうわけか恥ずかしくてそう言ってしまった。センチメンタルな自分を知られることが照れ臭かった。
「早いのかなあ。なんかもう終わっちゃったような気分になるんだよね。みんな次のステージを決めていって取り残されていくような感覚というかさ。玲未も就職するからもう一緒に残って勉強することもないだろうし」
「大げさだって」
「そうかなあ。亮は感じない? 逆らえない流れに流されて離れ離れになっていくような感じ」
「うーん。わかんないこともないけど」
「でしょ?」
僕はこんな曖昧な同意しか出来ない。けれど嬉しかった。自分だけじゃないと知れた。けれど、僕もそう思ってたんだよ、と告白するにはもう遅かった。
下校時刻を告げるチャイムが鳴る。部活も片付けに入っていく。教室にはもう僕達二人しかいなかった。
「卒業したからって別に一生の別れじゃないんだしさ。会いたくなったらいつでも会えるんだから」
「そだね。うん。そうだ」
亜矢は自分に言い聞かせるように頷きながら言った。
「じゃあそろそろ帰るか」
「そだね。今日全然勉強してないや」
亜矢はようやくグラウンドから目を離し、そう言って笑った。
「たまにはいいでしょ」
「そだね」
そう言って微笑む亜矢の顔は、夕日に照らされてとても魅力的だった。少し悲しみを抱いている方が女性は綺麗に見える。それはきっとこういうことなんだろう。僕はそんなことを思った。もうすぐ高校生活が終わる。もう四人で放課後に残って笑い合いながら勉強することもない。そしてもうすぐ別々の道をそれぞれ歩む。寂しいことだったり悲しいことがそこら中にある。でもそんな哀愁や、二人だけの教室や、いつもより魅力的で吸い寄せられそうな亜矢の横顔が心地良くもあった。その心地の良さは、木枯らしに吹かれても寒さで体の芯から冷え切っても消えることはなかった。
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