8月1日(土)

 目がさめるとまず感じたのが胃もたれだった。昨日の送別会で飲み過ぎたせいだろう。ついに無職になった開放感や、孤独感。そんなものよりも二日酔いという感覚がまず僕の中にやってきた。なんともいえない中途半端さ。すっきりしない。

 僕は起き上がるのを諦めてしばらく布団の中で過ごすことに決めた。今日は土曜日だ。いや、もはや土曜日なんてものすら関係ない。僕はもう別に朝決められた時間に起きる必要なんてないんだ。そう思うと少し嬉しくなった。長期休暇とも違う。学生時代とも違う。初めて味わう感覚のような気がする。ただ、二日酔いのせいであまりよくわからないけれど。

 布団の中で寝返りを打ちながら昨日のことを思い出す。別に送別会なんて出たくなかった。僕は見送られるほどの人間でもない。職場に仕事場以外で付き合いのあるような仲の良い人はいないし、一通り惜別の言葉をもらった後は案の定ただの飲み会になった。ただ一つ驚きがあるとすれば、三年前に辞めたあの清水肇がメッセージをくれたことだ。部長の斎藤さんが声をかけてくれたらしい。それだけは嬉しかった。それは直筆の手紙だった。

『久しぶり。元気してるか。お前が辞めるって聞いて斎藤さんから聞いたから手紙書いてる。ありがたく思えよ。まあ、あれだな。お前なら大丈夫だよ。これからどういうことやるのか知らんがお前ならそれなりにこなせるだろ。お前の良いところは人の嫌がることをしないってことだ。それは簡単かもしれないけどそれが出来ない人間が山ほどいる。そのお前らしさを失わなければどこでもやってけるさ。とにかく五年間お疲れさん』

 それだけの簡単なものだったけれど、その時僕は思わず泣きそうになった。清水さんが辞めてから時間が経っていたとはいえ、僕にとって清水さんは大きな存在だった。社会人になりたてで、右も左もわからない僕に色々教えてくれたのは清水さんだったし、このカウンセラーという仕事もやり方も清水さんが教えてくれた。一緒にいたのは三年に過ぎないけれど僕にとっては濃い三年だった。

 そういえばエンドロールを書くきっかけも、言ってみれば清水さんのおかげなのかもしれない。僕は布団の中でまた寝返りをうった。カーテンの隙間から射す太陽の光が眩しかった。

 三月の終わりだったか。あの日も相変わらず憂鬱な土曜日だった。今でもあの感覚はしっかりとこの体に残っている。エンドロールを作る前は毎日が惰性で生きていたし、自分という存在の空虚さを日々噛み締めていた。そしてその日の夜、なんの気なしにテレビをつけていたら、かつて清水さんと映画館で見たイタリアのマフィア映画が流れ出した。あれはいつだったろう。仕事帰りに強引にレイトショーに連れて行かれ見た映画だった。そこはビルの六階にある小さな映画館で、有名作はほとんど上映しない場所だった。清水さんも全然知らないという映画をなぜか疲れ切った男二人で見た。そしてひどく感動した。清水さんにいたっては泣いていた。どうしてあんなに感動したのだろう。そんな映画がテレビで流れ出したのだから驚いた。深夜とはいえ、テレビで流すほど名の知れた映画だったのか。僕は寝るのを止めてその映画を見ることに決めた。

 四年ぶりくらいに見たその映画は、改めて見ても悪くない映画だった。ハリウッド映画には無い味というものがあったし、ゴッドファーザー好きにはたまらないシーンも多い。何より全編を通して悲しみが漂っているのが良かった。ただ、なんだろう。すべて見終わった後になにかが物足りなかった。内容も悪くない。むしろ二回目なので前回よりも深く理解出来たと思う。それなのにあの感動は蘇らない。胸の奥まで感慨が沁みてこないのだ。

 僕はテレビの前のソファーでそれを考えた。耳障りなテレビはもう消したし、深夜三時ということもあり辺りは静寂に包まれている。はじめは清水さんがいないからかと思った。当時は横で清水さんが泣いて感動していたことで僕も影響されたんじゃないかと。でも確かに僕の心にも刺さる感動があった。だからそれが人の影響とは思いたくなかった。なので僕はまだ考えつづけた。そして一つの答えにたどり着いた。テレビで放送される映画にはエンドロールがない。僕はエンドロールというものが好きだった。本編が終わり、その余韻に浸りながらその映画に関わった人たちの名前を見ていく。それ自体が面白いわけじゃないけれど、あの時間が大切だった。そのエンドロールが無かった。だから僕はあの時のような感動を覚えなかった。そう思うとなんだかしっくりきた。

 その時僕は思いついた。きっと人生だって映画と同じなんだ。しっかりとしたエンドロールがあればたいした内容じゃなくても立派に見えるし感動できるんだ。なら僕のこのしがない人生だってエンドロールがあればそれなりのものがあるんじゃないか。どうせ同じ人生なら、もうこれまでの僕の道のりは変えられないのならせめてエンドロールを作ろう。そうすれば僕はきっと一歩を踏み出せる。そうして僕は深夜三時にエンドロールを作ることを決意したんだ。

 そして一夜明け、僕は行動を始めた。あれはよくある深夜テンションの産物では無くて、翌朝恥ずかしくなるような一時的な発作のようなものではなくて、確かな決意だったんだ。

 二日酔いの気持ち悪さも少しずつ抜け、僕は布団から抜け出した。清水さんのことを改めてエンドロールに書こう。そう思って朝のルーティーンを終えてから机に向かってエンドロールを開いた。もう一冊の三分の二近く埋っている。その最後尾のページを開いてボールペンを握る。あの日のことを書く時が来た。なぜか僕はそう確信していた。カウンセラーを辞めた次の朝。あの日を書くには区切りとしてもちょうど良い。僕の中に眠っていた憂鬱を起こしてしまった日。心の片隅で抱えていた絶望や悲しみといったものが表に出てきた日。自分という人間の卑小さを再確認した日のことを。

「庵野まどかが自殺した日」

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