6月20日(土)
朝目を覚まし、トイレから帰ってくると服を着替えた。土曜日ということもあり、ジーンズとパーカーという楽な格好を選んだ。そしてエンドロールを尻ポケットに入れて新聞を取りに行く。ポケット越しに感じるエンドロールの感触にももう違和感を感じない。新聞を取ったついでに、マンションの扉の向こうに足を運ぶ。外に出て朝の日差しを浴びた僕は、一つ伸びをした。土曜日というだけで空気が透き通っている気がする。今年は空梅雨で今日も真っ青な空が広がっていた。その中で深呼吸するときりりと引き締まった空気が肺に流れ込んできた。まだ朝は涼しい。少し離れた場所で犬が吠える。ちょうど散歩が心地よい時間帯だ。
部屋に戻った僕は、テレビを流しながら朝食の用意をする。インスタントコーヒー用のお湯を沸かしながら、食パンにベーコンとチーズを乗せ、ケチャップをかけてトースターで焼く。その間テレビを眺めていると芸能人の結婚が大々的に報道されていた。三十代後半の二枚目俳優と、最近売れ出したばかりの若手女優。特別詳しいわけではないけれど、どちらも知っていた。特に良い印象も悪い印象もない。だから二人が結婚すると聞いてもたいした感情を抱かない。少し驚いた程度だ。
焼きあがったトーストとコーヒーをテーブルに運び、テレビを見ながら食べ始める。見ていると、どうやらその女優が妊娠しているという話だった。どこまで本当かわからないけれど、そうらしい。テレビの中で司会者がゲストの芸能人に感想を求めていく。皆おめでたい話だとか、久々の明るいニュースだとか言っているけれど、どこか含蓄があるように聞こえ違和感がある。それを裏付けるように、その俳優が最近お似合いだった同年代の女優と別れたばかりだ、だとか若手女優の方も近い人の間では奔放な私生活で知られていた、なんて情報をその番組は提示してくる。そんな話を聞いていると、勢いで子供が出来てしまって仕方なく結婚したんじゃないか、だとか、どうせすぐ離婚するんじゃないか、なんて思ってしまう。そしてテレビの画面の中のコメンテーターやアナウンサーもそう思っているように見えた。
トーストを半分と少し食べ終えたところで、足りないと思い食パンをもう一枚トースターで焼く。そして冷蔵庫からピーナッツクリームを取り出してテレビの前に戻った。
「結婚か」
気がつけば口から言葉がこぼれていた。僕ももう二十七歳を迎えた。同級生の男友達の中でもちらほらと結婚したやつがいる。いつの間にかそんな年齢になってしまった。職場ではまだ二十代だというだけで若者扱いを受ける。それは時にやっかいなものではあるけれど、おかげでまだまだ若いと錯覚する。実際年上の人からすれば二十七歳なんてまだ若造なんだろう。けれどこうして改めて自分の年齢を見つめ直すと十分に歳をとってきたんだと気づく。なんだか取り残された気分になった。ちょうど半年前には職場の元先輩、清水肇の結婚式に出た。清水は僕の三つ上で、三年前まで同じ病院で働いていた。二十代が二人しかいなかったことや、面倒見の良い人間だったこともあって、よく二人で愚痴を言い合ったし何かとお世話になった。清水に言われた言葉は今も覚えている。
「カウンセラーなんて表情だけ真剣で心の中で晩飯のことでも考えてたらいいんだよ」
それを言われたのは僕がまだ二年目の時だった。当時はなんて適当な人なんだと思ったけれど、今ではその言葉の真意がわかる。決して患者に引き込まれてはいけない。自分の人生と患者の人生を交わらせてはいけない。客観的にカウンセリングできる距離を保て。きっとそう言いたかったんだ。そんな清水も三年前に病院を辞め、スクールカウンセラーとして働いているらしい。病院にかかるようになってからじゃ大変だからさ。そう言って辞めていった。適当な人間なふりをしているだけで熱い男だった。
もう一度会って話がしたい。あの人なら今の自分に何か響く言葉を持っていそうだった。そして清水が辞めたのは僕の今の年齢の時だということに気がつく。どうしてこんな未熟な二十七歳なんだろう。つくづくそう思う。あの時の清水はもっと大人だった。今の僕とは比べものにならない。まだまだ若いから失敗をたくさんしろ。そんなこともよく言ってくれた。僕はまだ若いのだろうか。二十七歳は若いのか。それこそ高校生の時は二十七歳なんて立派な大人だ。いったいみんなどこで『若者』から脱却するのだろう。このままでは僕はずっと若者のままだ。若者から大人へ。人は自然と切り替わっていくのか、それとも意識しなければ変われないのか。もしかしたら世の中の二十七歳でまだ大人になれていないのは僕だけなのかもしれない。
二枚目のトーストを食べ、コーヒーをすする。未だにさっきの話題を引きずるテレビを消し、ソファーに深くもたれて考えてみる。コーヒーを飲み終える頃には一つの答えが出た。結婚だ。結婚してただの若者は夫という肩書きを得る。きっとその時若者を辞め大人へと大きく近づくのではないだろうか。それこそ戦国時代なんかは十五で元服し十代のうちに結婚することも普通だった。だからこそ十代で戦場に出て命をかけることが出来たのかもしれない。二十六歳の僕は到底人を殺し人に殺される場に立つことは出来ない。
結婚か。その二文字は僕にため息をつかせる。まだ縁遠い単語だった。結婚式の招待状をもらう以外にその二文字に触れる機会はほとんどない。結婚への憧れはゼロではない。けれど面倒だ、とか自由がなくなる、だとかそういったネガティブなものを連想してしまう。結婚して良かった。幸せだ。そんなことを公言する既婚者は周囲にはなかなか見当たらないせいかもしれない。夫は妻の愚痴を言い、妻は夫の愚痴を言う。それが当たり前だった。
重い腰を上げ、食器をキッチンに運び皿洗いをする。結婚すれば家事の負担は減るのか。もし家事をしてくれる女性なら。そういえば五年前の同窓会で、亜矢が結婚していたことを思い出した。突然薬指の結婚指輪を見せ、みんなで驚いた記憶があった。当時亜矢は高校時代と全然変わっていなかった。相変わらずの様子で笑っていた。もしかしたら女は結婚ではなくて出産を機に大人になるのかなんて思う。亜矢もその少し後に子供を産んだらしい。今はしっかりした大人の女性になっているのかもしれない。
高校の頃亜矢はおっとりした女の子だった。いつもフワフワしていて感情の起伏を表に出さなかった。女子の間ではカマトトぶっているなんて陰口を叩かれることがあったし、だからこそ僕たちと仲良くなったのかもしれない。でも三年間も一緒に過ごすと亜矢の柔らかな空気感に裏なんてなかったし、何よりそれが彼女の魅力だった。
あの懐かしかった日々を思い出す。僕と奏太と玲未と亜矢の四人でよくいた。たぶん四人とも教室の馴れ合いが苦手だったんだと思う。玲未は入学した頃から一人澄ましたオーラを纏っていて浮いていた。亜矢は初め同じ中学から来た四、五人のグループに属していたけれど高校一年の一学期の終わりにはなぜか一人でいることが増えていた。僕は特別孤独だったってわけじゃなかったし、友達もいた。けれどみんな広く浅く上辺だけという感じで、奏太以外に仲の良い友達はいなかった。奏太だけが明るくて社交的で誰とでも笑いあえるような人間だった。だからどうして僕たちと一緒にいるんだろうなんて思っていた。
そんな四人がどうして一緒にいるようになったのかは思い出してみる。記憶の糸を辿りながら食べ終えた皿とコップを洗う。もともと玲未と亜矢が仲良くて、僕と奏太が仲良くて。四人でいるようになったのは高校一年の夏くらいだったか。四人でいる一番古い風景は教室だった。教室の後ろの方で僕の机に奏太が座って僕は椅子に座っていてその横の席に玲未が座っている
。亜矢はといえば玲未の机にもたれている。そして四人で話をしている。その風景が思い出される。席替えをして僕と玲未が隣同士になったことがきっかけだったっけ。いや、それ以前にも四人でいたことがあるような気がする。けれどそれ以上思い出せない。懐かしさだけはどんどん湧き上がってくるのだけれど。
そんなこんなで四人仲良くなったのだけれど、高校生の頃を思い出す時に決まって思い浮かぶのは高校三年の秋の頃だ。四人で教室に残って勉強していた日々が一番心に残っている。
僕はポケットからエンドロールを取り出して書き込んだ。
「高校三年の秋の放課後の教室」
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