5月29日(金)
次の電車まであと五分。ホームで列に並んでいる僕はエンドロールをポケットから取り出した。空き時間があるとエンドロールを手に、何か書くことはないか思い出すことが習慣になりつつあった。この小さなメモ帳も半分近く埋まってきた。けれど近頃は書くことが無くなってきている。さすがに二ヶ月を過ぎると大抵のことは書き尽くしてしまっている。あえて書いていない事柄もあるがそれを除くとなかなか思いつかない。それでも何かないかと思案しているうちに電車がホームへ仰々しい音を立てながらやってきた。いつも通りの混み具合。席は埋まり、吊り革の七割が埋まるほど人が立っている。ドアが開いて人が吐き出され、僕は目の前の男性に続いて車両に乗り込んだ。いつもより多くの人が降りた気がしたけれど、乗り込んでしまえば結局同じくらいの混み具合になった。午後七時前という時刻もありスーツ姿の男性が多くを占め、その中に仕事帰りだろう女性と部活帰りの高校生が混じるといって構成だ。そして僕も仕事帰りの男の一人として電車に乗り込んだ。
僕は比較的空いている場所を選び、その結果優先座席の前で吊り革を掴んで立った。目の前では白髪混じりの初老の男性が目を閉じていた。姿勢良く寝る男性を見ながら僕は穏やかな気持ちでいた。それは金曜日だという解放感によるものだけじゃない。少し前に退職する旨を上司に伝えていたのだけれど、今日ようやく七月いっぱいで退職することに決まったのだ。その解放感も相乗して僕はいつも以上に穏やかな心持ちだった。八月になれば本格的に行動を起こせる。今まで過ごしてきた思い出深い場所をもう一度訪れたいとずっと思っていた。単純に記憶を遡るだけではエンドロールは完成しそうになかった。
窓の外では景色が流れていく。明かりが灯った住宅街を抜けて、真っ暗な田園地帯を走る。曇り空で月も出ていない。今まで何百回と見てきた景色だけれど、この三十分ばかりの通勤電車もあと二ヶ月なのかと思うと名残惜しささえ感じる。僕はこの五年間見続けた景色をさらに眺め続けた。踏切をいくつか過ぎ、並走する道路を走る車を何台も抜かしていく。田園地帯から再び住宅街に入る。そしてちらほら大きい建物が増え、徐々に小さな明かりの数が増え、僕が乗る電車は次の駅に滑り込んで行った。
駅に着くと目の前の初老の男性が目を覚まし、降りていった。ぽっかりと一人分の席が空いた。けれど僕は座らず、少し横にずれて他の人が座りやすいように空間を作る。その刹那に葛藤があった。仕事帰りで疲れていて座りたい。けれどここは優先席だ。それに所詮あと二十分程度立っていられる。そして僕は立ち続けることを選択した。優先席に一度座り、そこに老人が来たときまた譲るのが面倒だった。いや、譲ることが面倒なのではなく、席を譲るという勇気を出すのが面倒なのだった。他の人が譲るのではないか、譲っても快く応じてくれなければどうしよう。そんなことを一々考えてしまい、譲るだけで僕は疲れてしまう。それならば初めから立っていればいいじゃないか。そういうタイプの人間だった。
そのぽっかり空いた場所に座ったのは部活帰りの男子高校生だった。野球部らしく頭を丸坊主にし、高校名が縫いこまれた大きな鞄を持っていた彼は、躊躇なく座り足の間に鞄を置いた。そして優先席だというのに携帯電話を取り出していじり始めた。周囲の大人達も同じことをしているので特別目に付くわけじゃないけれど、きっと老人が来ても席を譲ったりしないだろうと僕は考えてしまった。
人間観察は好きじゃない。けれど、その人がどんなタイプの思考をするのか、どういった悩みを持っているのか、どんな家庭環境なんだろうか、などと気がつけば考えてしまう。一種の職業病といっていもいいと思う。カウンセラーとして五年も働いているとそれが癖になる。別にそれを推測する能力がカウンセラーに必要なわけじゃない。回数をかけ徐々に知っていけばいいだけで、一度のカウンセリングだけで全てを見抜くことは求められていないし、そんなことは出来ない。けれど様々なタイプの人間と数え切れないほど会って話すと、自然と見えてくるものがある。その人が持つ癖や話し方、そして何より表情で人となりが推測出来るようになるのだ。もちろん外れることも少なくないけれど。
隣の車両から一人の高齢な女性が歩いてきた。タイミングよく歩いてくるものだ。僕は優先席に座らなかったことに改めて安堵すると同時に、誰か譲るのだろうかと一抹の緊張を感じた。優先席に座っているのはスーツ姿の中年男性とその同僚らしい中年女性。その横にさっきの高校生が座り、一番ドアに近い場所にまたスーツ姿の三十代ぐらいの男性が座っている。譲るとすれば三十代の男性だろうなんて考える。中年の男性と女性は二人で会話しており、高齢の女性が歩いてきたことにも気がつかない可能性がある。高校生は携帯電話を眺めていて、三十代の男性は難しい顔でスケジュール帳を見ていた。
ところが予想に反して譲ったのは高校生だった。歩いてきた老女に気がつくと、なんの迷いもなく立ち上がり、軽く会釈しながら席を譲り、ドアの前の吊り革を掴んで立った。
「ありがとうね」
高齢の女性は丁寧な口調でそう礼を言い、高校生は顎を突き出すようにもう一度会釈した。そしてその女性は実は夫婦だったようで、少し遅れて夫もこの車両に移ってきた。さすがに横の高校生が譲って自分が譲らないわけにはいかないと思ったのか、三十代の男性が周囲の様子を少し窺った後、良かったらどうぞ、と言って席を立った。譲られた夫は何も言わず席に座り、代わりに先ほどの老女が礼を言っていた。
僕は恥ずかしさで顔が熱くなった。目の前で厚意を見せる人を目撃し、自分はそれをしなかった。人としての出来の悪さを思い知らされたようで心が暗くなる。ましてや、上から目線で人を見た目で判断していた。どれだけ愚かな人間なのだ僕は。改めて自分の卑小さを知ることになってしまった。
さっきまでの解放感があっという間に影を潜め、陰鬱とした感情が心を占める。エンドロールを作ると決意する以前の日々の中に引き戻されるようだ。自己否定、疑心暗鬼。そういった類の感情に覆われていく。別に何か不幸な出来事に見舞われているわけじゃない。けれど光が見えない。ただ緩やかに死に向かっているだけの、生きているというよりただ存在しているだけ。そんな毎日が蘇る。日も出ていない、誰もいない、枯れた木が点在する、そんな場所を一人淡々と歩いているような感覚。少しずつ自分が蝕まれ、いつか空っぽになり消えてしまうんじゃないかという不安。そんなものを僕はずっと抱えてきた。元をたどればかなり昔からなのだろう。
暗い海にどんどん沈んでいく。最近感じていた希望は見せかけで、僕はまだ何も変わっていない。エンドロールという幻の中で光を感じていただけで、現実は暗い海の中だった。吊り革を握る手に力を込めなんとか立ち続ける。さっきの老夫婦も高校生も見えない。見えるのは窓に映った愚かな自分だけだった。
駅に停車したアナウンスで我に帰る。いつの間にか自宅の最寄駅に着いていた。頭の中は暗い海に沈んだまま、機械のように足を動かし電車を降りる。いつもと同じようにただ歩くだけ。それに人である必要は無かった。ただの水晶体と化した目に映るのは僕を抜かしていく人たち。そして階段の上から降りてくる女性の集団。大きな荷物を抱えた彼女たちは皆マスクをしている。沈んだままの頭が少しだけ稼働する。どこかで見た風景に脳内の海馬だけが働く。
「ああ」
記憶がよみがえり、思わず声が漏れた。依然頭はほとんど働かない。目も虚ろだ。だけれどマスクをした女性の集団の姿が記憶と重なり、あの日のことを思い出す。大学三回生の冬だったか。香織といた夜行バス乗り場だ。エンドロールだ。僕はそこで頭を振って、正気を取り戻す。大丈夫だ。まだ僕にはエンドロールがある。これが生きている証なのだ。階段を上りきると、改札には向かわず、端に寄ってエンドロールをポケットから取り出す。そしてほとんど力の入らない手で書き込んだ。
「夜行バス乗り場のマスク集団」
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