第73話 遅れてきた男

「急げ! 休んでいる暇などないぞ!」

「はい!」


 オルデミアの叱責に部下は声を上げる。


 帝国を出たオルデミア達は街道をひたすらに走っていた。



 自分の仕事を終わらせ、カカロ大臣と今後の打ち合わせを行う。


 それが終わったのが、ほんの数時間前の事であった。

 今は機動性を重視し、少人数の部下だけで馬を走らせている。

 

「ジェイドタウンまでは半日――いや、この速度ならば、もう少し短縮できるか?」


 オルデミアは馬を繰りながら呟く。


 問題は現神の森周辺であった。

 あの辺りは亜人種が出現するので非常に危険である。


 あの森を抜けられれば、大幅に時間短縮が可能だが、完全に運任せになってしまう。

 やはり大幅に迂回するしかない。


 

「くそっ、思ったより日にちが過ぎてしまった」


 

 予定では四、五日でジェイドタウンに戻って来れるはずであった。


 しかしすでに一週間が経過してしまっている。


 アヤメとミーミルの二人が暗殺者に殺された、という報せは届いていない。

 だが単に一報が届いていないだけかもしれないのだ。

 着いた時には、すでに全てが終わりを迎えている可能性も十分にある。

 

 この数日間は、オルデミアの人生で最も焦燥した日々だったかもしれない。


「頼む、無事でいてくれ……」


 オルデミアは祈りながら、街道を駆ける。


 やがて現神の森が遠目に見えてきた。

 あの忌々しい森が無ければ、この街道を使っての交易も、大きく発展できるはずだ。

 かといって人間にはどうする事もできない。

 普通の森ならば、開拓もできる。


 だがあの森は現神なのだ。

 開拓など人の力では不可能である。

 

 オルデミアは現神の森を睨む。



 

 ――そして違和感に気が付いた。



 

「なん――だ?」

 

 現神の森が点々と黄色くなっている。


 草むらに、木に、大地に。


 一週間前は確実に存在していなかった、謎の黄色い点が森に現れているのだ。


 

 いや、よくよく見れば黄色ではない。

 微かにではあるが、光を反射している。



 ――それは金色の花であった。

 


 現神の森に、見た事の無い金色の花が広がっている。

 今までは、こんな花が咲いている所など見た事も無かった。


 そもそも金色の花など図鑑でも見たことがない。

 もし存在していたならば、物資が集中する帝国で見られるはずだ。


 恐らくは新種だろう。


「これは一体何だ?」

「何でしょうね……」


 一応は部下に訪ねてみるが、当然ながら部下も知るはずもなかった。

 

 現神の森に何かが起きたのは間違いない。

 だが調べている暇はなかった。


 恐らくは現神の気まぐれなのだろう。

 その行動理由など、人が知れる領域にはないのだ。

 

 オルデミアはとりあえず迂回ルートを取る事にした。

 森のすれすれを通っていく。

 

 

「……団長」

 

 しばらくして並走する部下が、オルデミアに聞いてきた。

 

「何だ」

「何か森がおかしいです」


「……うむ」

 

 それはオルデミアも確かに感じていた。

 

 前は鬱蒼としていた森だった。

 光は通りづらく、背の高い草が行く手を阻む。

 外界からの侵入を拒んでいるような森であったはずだ。

 まるで森そのものである現神が、自らの眠りを妨げられないようにしているかのように。



 それが何だか明るい。



 全体的に森の見通しが良くなっている気がした。

 まるで整備された森のように、入りやすくなっている。

 これならば馬も走れるし、魔物の奇襲も受けないだろう。

 

 本当に一体、何があったのだろうか。


 

「どうします?」

「そうだな……」

 

 オルデミアは少し考えた。


 だが、すぐに首を振る。


「いや、やはり迂回する。急がねばならないのは確かだが、何よりも我々が確実にジェイドタウンへ到着するのが優先だ。森が変わったとしても、亜人種の縄張りである事に違いはないのだからな」

「了解しました」

 

 オルデミア達は急ぎながらも、安全に現神の森を迂回していった。






 それから数時間。


 馬を休ませる為の僅かな休憩を取ったのみで、オルデミア達は街道をさらに走っていた。

 道中は予想以上に平和であった。

 亜人種の攻撃はおろか、魔物の襲撃すら起きなかった。


 おかげで予想以上に早く、ジェイドタウンの近くに到着できたのである。

 

「もう少しだな」

 

 遠くにジェイドタウンの壁が見える。

 ここからなら後は数十分程で到着できるはずである。


 遠目からはジェイドタウンは平和そうに見えた。

 もしかしたら壁が破壊されているかと思ったが、壁は無事のようである。

 ミーミルが暴れて街が破壊されている、という恐るべき事態は回避されたようだ。


「もうすぐ到着だ。気を引き絞めろ!」

「はい!」

 

 オルデミアが戻ってくるというのは、マキシウスも知っている事である。

 街に戻れば、そこはマキシウスの庭だ。


 標的になるのはアヤメ達だけではない。

 オルデミア自身も標的になり得る。

 外の街道より、街の中の方がオルデミアにとっては危険かもしれないのだ。

 

 しばらく走ると、ジェイドタウンの門が見えてきた。

 街の中では、さすがに全力疾走はできない。

 オルデミアは馬の速度を落とすと、街に入っていった。

 

 オルデミアは辺りを注意深く見渡す。

 何かに狙われているような気配はない。


 変わった所といえば、ジェイドタウンの壁を大工が修復しているくらいだった。

 表側ではなく裏側を工事していたので見えなかった。

 ただ工事といっても大掛かりな工事ではなく、壁のひび割れか何かを埋めようとしているだけである。


 恐らく経年劣化か何かだろう。

 

「パークスの家に向かうぞ」

「はい」


 オルデミアは部下に言うと、まっすぐパークスの家に向かった。

 

 街並みにも変化はない。

 何か大きな事件があったような気配は無かった。

 

 もちろん、まだ事件が伝わっていないだけの可能性もある。

 オルデミアは油断なく街を進む。


 だが街中でもオルデミアが危惧していたような事は起こらなかった。

 襲撃でもあるかと思ったが、殺気も感じない。

 驚くほど平和であった。

 

 やがてパークスの家が見えてくる。

 ここまで来れば大丈夫だろう。

 

「よし、お前は兵舎の方へ行ってくれ。他の者は市場の方へ」

「分かりました」


 すでに護衛は必要ないと判断したオルデミアは部下を、その二カ所に派遣する事にした。


 ミーミルの場合は兵舎で戦闘訓練をしているかもしれない。

 アヤメは市場にいるかもしれない。

 とにかく二人と出来る限り早く合流したかったのだ。


 オルデミアの命令を受けた部下達は散開し、街へと消えて行った。


 

「……」


 

 オルデミアは唾を飲み込むと、パークスの家へと入った。


 門番は顔パスだ。


 オルデミアの顔を見ると、すぐに門を開いてくれた。

 ギギッ、と重厚な鉄の門が軋み、家への扉が開かれる。


 オルデミアは玄関までの道を歩く。

 いつもより玄関までの道が遠く感じた。



(どうか無事でありますように)



 祈りながらオルデミアは玄関のドアに手をかけ、深呼吸するとドアを開いた。




「あっ、こんにちはー」


 オルデミアの目の前に巨大な亜人種が立っていた。


「……」

「パークスさんのお友達ですか?」


「……」

「?」

 

 亜人種は微動だにしないオルデミアを見て首を傾げる。

 

「ニニャ、どうしたの?」


 奥のドアから亜人種がまた現れた。


「あ、テトーラ。多分、お客様だと思うんだけど」


 小さな亜人種はオルデミアを見て不思議そうな表情を浮かべる。


「装備からして帝国軍の人だと思うけど――何か御用ですか?」






「い――」






 オルデミアは顔を引きつらせたまま、回れ右をした。



「いったん、失礼する」



 オルデミアはそう言い残すと、玄関から外に出た。

 外に出ると家をもう一度、確認する。




 間違いない。

 パークスの家だ。

 家を間違った訳ではない。



 

 となると――何が起きたのか。

 何故パークスの家に、普通に亜人種がいる?


 まるで意味が分からなかった。


 

 まさか異世界にでも来てしまったのか?


 

 だが表の門番は見知った顔である。

 今もちゃんと門を護衛している。

 いきなり別世界に来たという訳ではないはずだ。

 

「ちょっと振りが遅いな。それでは間に合わないぞ」

「貴方が早すぎるんですよ……」


 オルデミアは庭から聞こえて来た声に気が付き、庭に視線を移した。


 あれは――エーギルの部下のチューノラだ。

 他にも十数人程の兵士が庭にいた。


 アベルと一緒に連れてきた部隊長のエーギルは見当たらないが、パークスの家に兵を置いているらしい。

 

「そんな事では主を護れないぞ」

「――ッ!」

 

 煽られたチューノラは唇を噛みしめると、もう一度、木刀を構える。

 

「その意気だ。来い」

「でやああああああ!」


 チューノラは叫ぶと、剣を振りかざす。


 どうやら庭で戦闘訓練をしているようだ。

 エーギルの部隊は真面目にやればトップクラスの戦闘力を持つ部隊になりそうなのだが、訓練をサボり気味な所がある。


 だが護衛任務と並行して戦闘訓練を行うとは。

 隊の中で、意識改革でもあったのだろうか。


 何にせよ素晴らしい事である。



 

 訓練相手が羽の生えた亜人種であるという事を除けば。




「――ぐふぅ!」


 チューノラが吹き飛ばされる。

 まるで相手にならない。

 

「まだ羽も使っていないぞ。手加減されたまま地べたに這いつくばるつもりか?」


 そう言って羽の生えた亜人種は翼をはためかせる。

 

「くっ……!」


 チューノラは飛ばされた木刀を探す。

 するとオルデミアの姿が目に入った。


「オルデミア団長?」


「団長! 帰って来られたのですか!?」

「本当だ。オルデミア団長!」

 

 兵士達が硬直していたオルデミアに集まってくる。

 

「お久しぶりです。中央に変わりはないですか?」

「中央に……変わりはないな」

 

 オルデミアは羽の生えた亜人種を凝視したまま、とりあえず相づちを打つ。

 

「こちらは色々と大変だったんですよ。特にアベルが」

「うちらは留守番だったから、よかったものの」

「アヤメ様やミーミル様が大活躍で。そりゃもう凄かったらしいです」



「アヤメ様と、ミーミル様が……大活躍……か」





 大人しくしておけと。


 言ったはずだ。



 

「ああ、そうだ。紹介します。ネーネ族のイカルガさんです。大変、お強い方で今後はジェイド家の戦術師範として働いて下さるそうで」


 チューノラは笑顔で亜人種の紹介を始める。






 言ったはずではない。



 言った。

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