第72話 アベルと猫
「むぐー」
「ミーミル様、しっかり」
もはや恒例となったミーミルの酔い潰れ。
ミーミルの肩を抱くアベルも慣れたものになりつつあった。
「いつも思うのですが、飲み過ぎですよ。まあ……お気持ちは分かりますが」
アヤメの婚約が発覚してから、会場は大騒ぎであった。
祝う者、奔走する者、嘆く者、その他様々な者達が入り乱れ、退屈だったが平和に進んでいた会場は混沌のるつぼと化す。
パークスという主役を蹴落としたアヤメは多くの人に囲まれ、対応に追われ続けた。
ミーミルはそれを眺めながら、ひたすら酒を煽り続ける。
そしてパークスの挨拶から数時間。
延々と続くかと思われた混乱だったが、終わらせたのはセツカとリッカであった。
二人が立ったまま、寝始めたのである。
「わたし、二人を寝かしつけてきます」
そうやってアヤメは、ようやく解放されたのだった。
その頃にはミーミルは、いつも通りのご覧の有様である。
「……今日はまだセーブしてる方。二次会も行かなかったし」
「行こうとしていたら止めていました」
突然のハプニングで一次会は台無しになってしまった。
その場にいる殆どの人間が談笑どころではなかったのだ。
なので場所を変え、二次会を行う事が決定した。
一部の人間以外は、そちらへ移動している。
ミーミルとアベルは残った側だった。
「ところで二次会には何故、行かなかったのですか?」
「この前、ミョルドさんに思いっきりリバースしてしまったんです」
「ああ……」
「一応の反省」
「なるほど」
それでも飲み過ぎのような気もするが。
アベルはふらつくミーミルの肩を抱きながら、屋敷の廊下を歩いた。
二階の奥の部屋がミーミルの部屋である。
パークスの家にいるメイドは一階の片づけに回っており、二階は静かなものであった。
「ああ、そうだ……」
ミーミルはパークスの肩に寄り掛かったまま、喋り始めた。
「アヤメから聞いたよ。到着するまでに凄い頑張ってくれたらしいな」
アベルは少し考えて、ミーミルが神護者との戦いの話をしている事に気づいた。
「……いえ、大した事はしていません」
手も足も出なかった。
何かをする間もなく、捉えられ止めを刺された。
当然、相手が悪すぎたのだが、それでも一方的に蹂躙された事実は変わらない。
アヤメとミーミルがいなければ、あそこでアベルは死んでいただろう。
「あんな化物相手に、あそこまで良く持たせてくれたよ。もしアベルとパークスの二人が頑張ってなけりゃ、レガリアは確実に死んでた」
「……確かに、そうかもしれませんが」
「そうかも、じゃなくてそうなの。ふぁー」
そう言いながら、ミーミルは欠伸をしながら、眠そうに目をこする。
酒が回り、さっきから瞼が重いようだった。
「私は――」
「んー?」
「皇帝の剣を受けるような人間ではありません」
アベルはミーミルを支えながら、ずっと思っていた事を打ち明ける。
余りに重い栄誉であった。
自分の力量は自分が最も分かっている。
アベルは、この広い帝国でも上位の剣技を備えている事は間違いない。
だが上には上がいる。
アベルが分かっているだけで、中央の騎士団長二人――オルデミアとリリィは確実に自分より強い。
ジェイド家のジオも自分より恐らく強いし、パークスも上だろう。
手合わせをした事はないし、噂だけの話だが、四大貴族の東部を統括するシグルド・ミトネーブルはオルデミア団長より遥かに強いと言われている。
そんな強者達を差し置いて、自分が皇帝の剣を受けて良いものなのか。
ずっと葛藤していた。
「そんなの気にしなくていいって」
「私より強く、高名な方は帝国内に幾らでもいます。私にはとても――」
「私は皇帝じゃない設定だからだいじょぶだいじょぶ」
「今はそうかもしれませんが、やがて皇帝になるのでしょう?」
「うーん……なるかなぁ?」
「いえ、なります。ミーミル様やアヤメ様は、その器があります」
「むー」
アヤメはともかくミーミルには、その器とやらが無い事が自分で分かっていた。
実際の所、皇帝の器というものが、どんなものなのかミーミルは知らない。
ただ飲み過ぎで部下に注意されながら、肩を借りている人間に皇帝の器は無さそうだった。
「それこそ買いかぶりすぎ」
「そんな事はありません。何故なら、お二人は帝国を変えたのですから」
「……そんなのノリと勢いだけだよ」
「ノリと勢いで、人と亜人種が歩み寄ったりしません。お二人は確かに、今日、帝国を変えたのです」
「……むぅ」
ミーミルは褒め千切られて、顔を少し赤くする。
余り褒められるのには慣れていない。
基本的に怒られてばかりの人生だった。
「だから、そんな方から身に余る栄誉を受け、少しばかり悩んでいるのです。私はミーミル様に相応しい『剣』になれるのかと」
アベルは難しく考え過ぎだ。
ミーミルはそう思った。
「じゃあ私が個人的に渡したって事でいいじゃん」
「何をですか」
「だからー、皇帝から、だと重すぎるんでしょ」
「まあ、そうですね」
「だから皇帝じゃない、ただのミーミルから剣を渡したって事でいいじゃん」
「……」
「――皇帝じゃなくてわたしの剣になって、一緒に頑張るじゃ駄目なのか?」
そう言ってミーミルは、落ちそうになる瞼を懸命に開きながら、アベルを見つめる。
「――――」
これはまさか。
プロポーズのなのでは?
いや、そんなはずはない。
自分に都合の良い解釈だ。
だが意味はそれに近い。
アベルは真意が掴めず、ミーミルの表情を読む。
ミーミルは上目づかいで、とろんとした目でアベルを見つめている。
頬は赤く、身体も暖かい。
告白をして恥ずかしがっている?
いや、違う。
これはただ、酒に酔っているだけだ。
自分に都合の良い解釈だ。
「……とと」
急にミーミルがふらつく。
ミーミル的にセーブしていたはずだが、思ったより飲んでいたらしい。
足元がおぼつかない。
バランスを崩さないようにミーミルはアベルにしがみつく。
「――!?」
ミーミルがいきなり抱きついてきた。
馬鹿な。
自分に都合の良い解釈では無かったのか?
まさか、本気なのでは?
いや、誤解の可能性はある。
むしろ誤解の可能性の方が遥かに高い。
うっかり意味を違えれば首が飛んでもおかしくない非常に危険な状況だ。
……ならば、ここは試してみるしかない。
「し――失礼します」
「ふにゃっ」
ミーミルはいきなり抱きかかえられる。
右手はミーミルの両の膝裏に。
左手はミーミルの背中に。
それは俗にいう『お姫様だっこ』であった。
「歩けない程に酔ってらっしゃるのでは?」
「えっ、あっ、うん」
こんな風に抱きかかえられるのは初めてだった。
というかする方だった訳で、されるはず訳がない。
もちろん、した事もないのだが。
アベルの腕は鍛えられ筋肉質で硬かった。
胸板も驚くほどに厚い。
普通ならばグラついて不安になるが、全くアベルの体幹はブレていなかった。
不思議な安心感がある。
「このままお部屋までお連れします」
「あ、あの……はい……」
お姫様だっこされたミーミルは、とても大人しかった。
両手を胸元に添えて、丸まっている。
長く細い尻尾はアベルの腰に巻き付いていた。
全く抵抗しない。
一体、どうなっているのか。
普通ならば抵抗してもおかしくないはずだ。
何故、抵抗しないのか。
大それたことをしてしまった。
少しでも嫌がれば、それでお姫様だっこを中断できる。
自分の考えが誤解であったと証明になる。
なのにどうして。
思わぬ展開に、アベルは内心、焦り始めていた。
「――」
当のミーミルは包まれるような感覚に、身を任せていた。
揺り篭に揺られるような感覚だった。
すぐ近くにアベルの顔がある。
改めて近くで見るのは初めてだが、精悍な顔つきだった。
よく見ると顎には小さな傷跡があり、修羅場をくぐってきた事を感じさせる。
――何だか――かっこいい。
いや、かっこいいって何だ。
おかしいだろう。
男が、男をかっこいいと思うなんて。
(変わらないのも自分だし、変わっていくのも自分なんだと思う)
アヤメの言葉が脳裏にフラッシュバックする。
待て。
俺はそんな事はないはずだ。
そんな事はない。
例えば男だって男のスポーツ選手にカッコイイと思うのは何も問題はない。
ごく普通の事だ。
普通だ。
そう思うミーミルの心とは裏腹に、身体は正直であった。
さっきより体が熱くなっている。
心臓は勝手に鼓動を速めていた。
両手で胸元を抑えると、手の平に鼓動がハッキリと伝わってくる。
こんな風にくっついていては、鼓動が早まっているのに気づかれてしまう。
お姫様だっこから一刻も早く脱出しなければ。
かといっていきなり暴れ出すのも変だ。
控えめに拒絶の意思表示をしないと。
ミーミルは、ちらりと上目づかいでアベルの顔を見る。
その視線に気づき、アベルはミーミルの目をまっすぐ見つめる。
「どうされました?」
「にゃっ……にゃんでも」
精悍な顔つきに似つかわしくない、アベルの優しい目を直視できず、ミーミルは目を逸らしてしまった。
酒のせいか呂律が上手く回らない。
きっと酒のせいだ。
「――」
アベルはそんなミーミルの反応に頭が真っ白になっていた。
ミーミルは顔を真っ赤にして、アベルの腕の中に納まっている。
そして顔を盗み見ながら、恥ずかしそうにしている。
抱き抱えてから、鼓動もどんどん早くなっていた。
当然ながらミーミルと密着しているアベルには、ちゃんと伝わっている。
自分の考えが誤解ではない。
そんな答えばかりが襲い掛かってくる。
とにかくミーミルを部屋まで運ばねば。
今はただ、それだけを遂行するのだ。
アベルは真っ白な頭で、それだけを考える事にした。
「あ、開けるね」
「お願いします」
ミーミルはアベルの腕の中から降りようとせず、アベルの腕の中に収まったまま、手を伸ばしドアノブを回した。
降りようともしない。
どうなっているのか。
どうなっているんだ。
もういくしかないのか。
アベルは完全に混乱していた。
中にはミーミル用に用意されたベッドと、アヤメ用に用意されたベッドが一つ。
部屋の中にアヤメはいなかった。
セツカとリッカを寝かしつけに行くには遅すぎる。
恐らく二人の部屋で、そのまま一緒に寝ているに違いない。
「ベッドまで行きます」
「はい」
ミーミルはそう答えるだけだった。
アベルはただひたすらに、ベッドまで歩く。
ベッドは大きく、大人が二人寝ても全く問題ない大きさだった。
まるで狙ったかのようなベッドサイズと状況。
全てが用意されているように思える。
すでに誤解という可能性は、アベルの中から消滅しつつあった。
そしてアベルはベッドにミーミルを横たえる。
「……」
「……」
アベルはベッドから動けない。
ミーミルもベッドに横になったまま、動けなかった。
二人の目が、完璧に合ってしまったからだ。
ミーミルはアベルの目を見つめる。
アベルの目には自分の姿が映っていた。
その自分は、どう見てもただの少女にしか見えない。
アベルはミーミルの目を見つめる。
とても美しい瞳。
瞳の奥へと吸い込まれるような気すらした。
もう目を逸らす事もできない。
そして――。
意を決したようなアベルの顔が、身体が、自分に少しずつ近づいているのが分かった。
不味い。
これはアベルがヤる気だ。
逃げなければ。
だが、身体には何故か力が入らなかった。
酒のせいかもしれない。
頭がぼーっと、熱でうなされたような感じがする。
いつも以上に上手く頭が回らない。
これは、このままではアベルと――。
こんな――こんな男同士でなんて。
いや、自分は女だから問題ないのか?
いや女じゃない。
でも今は女なのだから……。
「――ミーミル様」
「はわわ」
名前を呼び、さらに近づくアベルの顔。
ミーミルはきゅっ、と目を閉じる。
いやいや、閉じたら駄目だ。
それは「貴方に全てを委ねます」の意思表示になってしまうではないのか。
かといって今更開くのも。
でも開かなかったら。
アベルの息が、ミーミルの鼻をくすぐる。
近い。
もう近い。
もう、もう。
「も、もう――らめぇ――ッッ」
バァン!!!!
突然、部屋のドアが開かれた。
反射で体を起こすミーミル。
アベルの顔面にミーミルの頭突きが直撃する。
「ぐわああああ」
アベルは衝撃でベッドの横に転げ落ちた。
「セツカー! リッカー! だめでしょー! 裸で歩き回ったら! パジャマを着なさい!」
「きゃっきゃっ」「きゃっきゃっ」
一糸まとわぬ裸で幼女二人が部屋に入ってきた。
アヤメも下着のみだ。
手にはバスタオルを持っている。
よく見るとセツカとリッカはずぶ濡れであった。
どうやら三人は風呂に行っていたらしい。
そしてアヤメとミーミルの部屋を楽しそうに走る二人。
「もー! 二人とも無駄に速い!」
アヤメは足に力を籠めると、高速で走り二人をタオルで同時に包む。
「きゃー!」「きゃー!」
「捕まえた! ちゃんと拭いてからお風呂でること!」
「お風呂たのしかった!」
「初めてのお風呂でテンション上がってるのは分かるけど、お風呂ではしゃいだら駄目」
「えー、つまんないー」
「お風呂場は声が響くから、近所迷惑になるの。ほら、じっとして」
アヤメは二人の身体をタオルで手早く拭く。
「それからお風呂場からは服を着て出る事」
「水浴びしたら乾くまで、みんな裸だよ?」
「うーん、ここでは余り裸でウロウロするのは良くないの。変な人も一杯いるし」
「変な人?」
「そう、変な人。一杯いるよ」
「一杯いるんだ……」
「男の人は怖いからね」
「そうなんだ……」
この家の中や騎士団の人間ならば、安全なのは間違いない。
だが外の事を知らない二人には、すこし驚かせたくらいがいい。
危機は避けられるなら避けるべきだ。
いくら体が頑丈な現神触だとしても、精神は子供と変わらないのだから。
そう思ったアヤメは二人の身体を拭きながら、ベッドにいたミーミルを見た。
「……?」
「……」
「あれ、誰かいなかった?」
「いえ、いません」
「? とりあえずミーミルもそのまま寝ちゃ駄目だよ。服が皺になるから」
ミーミルの様子に違和感を覚えるアヤメだったが、今はそれどころではない。
双子の世話をする方が先だ。
そして三人は部屋から出て行った。
アベルは顔を抑えながら、ベッドの脇から立ち上がった。
鼻から血が出ている。
しばらく無言で佇む二人。
口を先に開いたのはアベルだった。
「ミーミル様」
「はい」
「帰ります」
「はい」
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