第62話 核ボタン連打
ゼロは木霊触を使いながら、森を駆けていた。
すでにアヤメ達からは遥か遠くへと離れている。
人間では絶対に追い付けない速度だ。
もうジーベやオルタとの念話が出来ない程に離れた。
しかしゼロの表情は焦燥していた。
これほどの速度で走っているにも関わらず。
たった一人だけ、ずっと自分より速い速度で追いかけてきている人間がいた。
にわかには信じ難い事実である。
追跡者の姿もまだ見えない。
だがゼロの感覚が、追いかけてきている事を確かに訴えていた。
追い付かれるのは時間の問題だ。
「もう少し……」
しかし、もう少し逃げれば最後の切り札があった。
もう少しで、それが使える場所に到着する。
それを使えば、あの二人ですら倒しきれるだろう。
ゼロはその場所に、ひたすらに逃げる。
ガサッ、と背後から葉が鳴る音がした。
音に反応したゼロは顔だけを後ろに向ける。
木の上に、黒い人影がいるのが、一瞬だけ見えた。
光が反射し、二つの光が闇の中に浮かび上がる。
二つの光は金色の瞳だった。
猫科の動物が、獲物を狙う時のように、瞳孔を拡大している。
人のような形をしているが、中身は全くの別物だ。
やはり追って来ている。
しかしここまで来れば問題ない。
ゼロは木から地面へと着地する。
そこは亜人種の聖地と呼ばれる場所であった。
ひと際、巨大な木が立っているその場所は、神護者以外の立ち入りを禁じられている。
ここが神護者の拠点であり、住処であった。
最も現神の力が集まる地点であり、ここが最も現神触が力を発揮できる場所である。
ゼロが地面へと着地して間もなく、黒い人影も地面に降り立つ。
「やっと止まった……どこまで逃げるのかと思った」
降り立ったのは、やはりミーミルだった。
黒髪の女性は面倒くさそうな表情をしながら頭を掻く。
その様子は隙だらけだ。
だが、それはそう見えるだけで、本当は途轍もない力を、その身に潜めている。
「やっぱ俺が追いかけてて良かった。こんなに離れたら、さすがに歌の範囲から外れてるからな。バフがなけりゃ神護者に勝てないだろうし」
ミーミルの独り言は、ゼロには意味を計りかねる内容だったが、気にせずミーミルに話しかける。
「ミーミル、話をしないか?」
「何をだ」
そう言いながら、ミーミルは刀を抜く。
剣に疎いゼロでも、その刀が尋常のモノではない事には気づけた。
波打つように光る刃の表面は禍々しく光っている。
「――実は私には切り札がある。それを使えば、ここにる全ての人間を残らず駆逐できるだろう」
それを聞いたミーミルの顔が強張った。
「だが、なるべくなら使いたくはない。それは君たちを殺したくないからだ。君たちは我々の予想以上に高等な存在である事に今回、気づかされた」
ゼロの言葉をミーミルは黙って聞く。
「我々、神護者は確かに多くの物を君たちから奪ってしまった。しかし我々、神護者も多くを失った。我々も十分な罰を受けたとは思わないか?」
「思わない。今まで殺しすぎだろお前ら」
ミーミルはそう言って剣を構える。
「落ち着いて考えるのだ」
ゼロはミーミルに向かって手をかざす。
その手には小さな笛が握られていた。
「この笛は、切り札を呼び出す為のものだ。この笛を使えば全て滅ぶ」
「……」
「その上で考えて欲しい。どうするのがお互いに利点になるのかを」
ミーミルは眉間に皺を寄せる。
「どうするのがお互いに利点になるんだ?」
「罰が足りないと思うならば、罪を償う機会を与えて欲しいのだよ。我々は君たちに恩恵を与える。だから君たちは我々にこれ以上干渉しない。どちらかが滅びるまで戦う事は無いとは思わないか?」
ミーミルは首を傾げながら、考え込んでいた。
ゼロはその様子を見て、手ごたえを感じていた。
明らかに揺らいでいる。
交渉は順調に進んでいた。
「お互いに助け合う関係になれれば、様々な利点がある。我々は君たちに貴重な資源の場所を教える事ができるし、魔力技術を伝える事もできる。それはお互いにとって、素晴らしい発展を生むだろう」
「うーん」
ミーミルは小さく唸った。
「どうだ? 不毛な戦いは、ここで終わりにしないか? これからはお互いに成長していくパートナーとして、手を組むのが最もベストだと――」
「分かった!」
ミーミルはいきなり叫んだ。
「なんかよく分からんが色々と利点はあると思う。確かにゼロの言う通りだ。手を組んだ方がお互いに何か色々あるかもしれない」
ミーミルはこくこくと何度も頷く。
その様子を見て、ゼロは交渉が完璧に上手くいったと確信した。
「分かってくれたか。君たちが合理的な判断ができる人間で良かったよ。これで我々は新たなステップへと踏み出す事が」
「でも殺す」
そう言ってミーミルはゼロに刀を向ける。
「は?」
ゼロは間の抜けた声を上げた。
何故そうなるのか。
ミーミルの思考が理解できなかった。
ミーミルの思考が、実は簡単すぎて理解できなかったのだ。
ミーミルが引っかかっていたのは、もっと根本的な事だった。
「やっぱり、お前と俺達は全然違うわ。手を組めると全く思わない」
そしてミーミルは周りの空気が歪むと錯覚する程に、怒りをこめながら、こういった。
「悪い事したら、何より先に、まずは、ごめんなさいでしょう?」
ゼロの言葉には人間や亜人種に対する謝罪が一切、含まれていなかった。
これだけの事をやっていて、追い詰められて、それが出てこない。
それはもう、何か色々と利点があるかもしれないが、駄目だろう。
それがミーミルの結論だった。
「――勘違いしているようだ」
ゼロは手に持っていた笛を咥えて吹いた。
人の可聴域を超えた音が、現神の森に響き渡る。
「!?」
耳障りな音に、ミーミルは慌てて耳を塞ぐ。
「君は――自分の力を過信しているのではないか?」
ゼロは笛を吹くのを止めると、そう言った。
「パートナーになれるとは言ったが、君たちは対等ではない。この笛には、君たちが想像する以上の力が秘められているのだ。我々の方が、まだ上なのだよ?」
「何だと……?」
「この笛は、とある存在を呼び出す為のものだ。それは我々よりも遥かに強力な存在でね。しかし我々の技術によって、この存在を自らの配下につける事に成功した」
神護者より強力な存在――。
つまり現神触より強力な存在という事になる。
「この笛を持っている私は、この存在を制御できる。仮にこの存在を、街に放てば――どうなると思うね?」
ミーミルの顔が、青ざめる。
そんな事をされれば、想像を絶する被害が出るだろう。
「しかしその存在を目の前にしなければ、信じる事も出来ないだろう。信じられないから、君は強気でいられる。だが安心したまえ。それを見ただけで、自分よりも遥かに上位の存在であると気が付けるはずだ」
ゼロはそう言って、笑みを浮かべた。
「それから、さっきの話をもう一度しようか。そうすれば君の気が変わっているかもしれない。逆に君の方から、手を組んで欲しいと頼み込むかもしれないな?」
ミーミルは刀を構えたまま、周囲を警戒する。
何かが近づいている気配はない。
それとも――ミーミルの感覚を超えるほどの存在が、近づいて来ているのかもしれない。
それは不味い。
神護者程度ならば、ミーミル一人でも何とかなる。
しかし、それ以上の存在となるとアヤメが必要となるかもしれない。
だがミーミルはアヤメの歌範囲から、すでに大きく離れてしまっている。
「その存在は喋る事ができなくてね。先に紹介だけしておこうか」
ゼロは森に響き渡る声で、その存在の名を呼んだ。
「我々とは違う完全にして完璧な現神触。遥か昔から伝承に残る現神触。その名も現神触『骸』! それがその存在の名だ!!」
「あ、それこの前倒した奴じゃね」
…………。
沈黙が辺りを支配した。
「何?」
「いや、現神触『骸』だろ? この前倒したと思うんだが。アレ? 違う名前だっけかな?」
ミーミルはそう言って首を傾げる。
ゼロはもう一度、笛を吹いた。
「うるさ!」
ミーミルは慌てて耳を塞ぐ。
…………。
来ない。
来る気配がない。
普段は間違いなく来る。
この領域の周辺に現神触『骸』は生息している。
一度吹くだけで、必ず来る。
一度で来なくても、何度も吹けば森の外にまで行く。
そうやって現神の森の外側を移動する商隊を襲わせる実験もした。
なのに来ない。
ゼロはもう一度、笛を吹く。
何度も吹く。
吹き続ける。
「……いい加減にしてくれませんか?」
耳を抑えたミーミルが敬語になるくらいまで吹いたが、何も来なかった。
来ない。
現神触『骸』はコントロールできるものの、制御から外れた場合には神護者達ですら恐れる、非常に危険な存在であった。
だから普段は聖域の外をうろつかせていたのだが――。
本当に倒されたのか?
『骸』は実を全量食べたジェノサイドが変異したものだ。
実を六等分して食べた神護者とは、単純に六倍の能力差がある。
そんな存在を倒せる人間など考えられない。
しかし来ない事が、『骸』が倒されていると現実に証明しているのではないか?
しかし。
しかし。
「んで、切り札は終了って事でいいのか?」
ゼロの思考はミーミルの足音で打ち消される。
ミーミルは刀を構えて、ゼロに向き直っていた。
「――いや。待て。落ち着け。まだ」
「まだ?」
もし万が一、ミーミルが『骸』を倒したのだとすれば。
万全の状態であっても、ミーミルには絶対に敵わない。
戦う事は死を意味する。
戦闘だけは何としても回避せねばならない。
「ひ、一つだけ聞きたい!」
「何?」
「そこまでの力がありながら、どうして帝国という枠組みで動いている? そんな枠組みにとらわれる事無く、好きな事をやって過ごせるはずだ」
「……」
「面倒なしがらみや、金に困る事など無い。好きなだけ物を手に入れ、好きな場所に存在し、思うがままに過ごせるはずだろう? なのに何故、自由に生きないのだ」
ミーミルの動きが止まる。
確かに自分には好き勝手できるだけの力はあるのだろう。
この世界に来た時に、そう思った事もあった。
アヤメがいなければ、もしかしたらそういう道もあったのかもしれない。
「案外、無理なんだ。一人だけじゃ」
だが、今は思う。
そういう手段に訴えなくて良かったと。
この世界は多くの人の手によって成り立っている。
自分一人で全ての管理する事なんかできない。
少なくともミーミルには無理だった。
そこまで頭が良くないし、機転もきかないのは自分でも分かっている。
そんな人間が国を力で支配しても、先は崩壊しかないに決まっているのだ。
「私は力を振るう以外、何もできない」
でも、そんな自分を慕ってくれる人たちがいるなら。
その人達の為に、力を振るおう。
そうアヤメと約束した。
あの時、あのベランダで約束したのだ。
「だから皆に悪い事をするお前を倒す。それだけ」
ゼロは思わず、ミーミルから後ずさる。
分かった。
こいつは途轍もないバカなのだ。
常人なら揺らぐような説得では、揺らがないし理解しようとすらしない。
効率とか将来的なビジョンとか可能性とか、そういうモノでは駄目だ。
もっと直接的な、本能を揺るがすような物で釣るしかない。
「分かった! 私がお前の自由を約束しよう! お前の全てを手伝ってやる!」
ゼロは後ずさりながら叫ぶ。
だがミーミルの歩みは止まらない。
「金か!? 金なら幾らでも手に入るぞ! 私が持ってきてやる!」
こんな場所で終わる訳にはいかない。
全ては多くの知識と経験を得る為に。
人の寿命では決して見られない先の世界を無限に観測し続ける為に。
あの実を食べたのだ。
「世界中の美食を集めてやる! 帝国でも味わえないような素晴らしい食の数々を!」
こんな意味不明な存在に、終わらせられるなどあってはならない。
こんな終わりを避ける為に、匂いの無い不気味な亜人種と取引をしたのだから。
「男だって思うがままだぞ!」
ミーミルの足が、一瞬だけ止まる。
それをゼロは見逃さなかった。
――これだ!
これが、この女の『柔らかい部分』だ!
弱点を突く手ごたえを感じたゼロは、早口で一気にまくしたてる。
「世界中の男がお前のものだ! 一日に一人、いや、数時間に一人でも。何人でも、何十人でも何百人でもだ!」
ミーミルの足が完全に止まる。
間違いなく効いていた。
「好みも自由だ! 若い男でも、少年でも、老齢の男でも! 見た目も自由だ! 筋肉質の男でも、痩せた男でも、太った男でも! 美しい男でも、醜い男が好みでも、どんな男でもお前の要望通りに集めて来てやる!」
ミーミルは力なく刀を下げ、俯いていた。
完全に戦意を喪失している。
「想像してみろ。自分の完璧な好みの男に、常に愛を囁かれる生活を。いや、愛を囁く方が好きか? どんな趣味でも可能だ。痛めつけるのが好きか? 痛めつけられるのが好きか? どんな事でもして貰えるし、やって貰えるぞ。言うのも憚られるような趣味だとしても、私達には、それを実現させるだけの力がある! 思うがままに欲望を満たせるのだ!!」
「ふ……ふふ……」
ミーミルは少し笑った。
そしてゆっくりと顔を上げる。
――その目は死んでいた。
完全に死んだ魚の目をしていた。
光すら届かぬ深淵というものが存在するなら。
恐らくミーミルの目に宿る闇が正しくそれであった。
ゼロは相手の柔らかい部分を突いていたのではない。
相手の傷口に塩を擦り込む――どころか傷口を刃物で何度も抉っていた事に気づいた。
何故かは分からないが、男の話題は禁忌であったのだ。
ゼロは思わず後ずさる。
だが、もう下がる事はできなかった。
背後に巨木があったからだ。
間違った。
死ぬ。
このままでは死ぬ。
数秒後に、自分は死ぬだろう。
喋れて一言。
その一言で、ミーミルを止められなければ間違いなく殺される。
ゼロは頭をフル回転させる。
ミーミルを釣る餌の方向性は間違っていないはずだ。
ミーミルの足を止めるだけの効果があったのは間違いない。
それなのに男の話題が駄目な理由。
それは、まさか――。
考えられる可能性は、たった一つだけだった。
「そうか!! 女が欲しいんだな!? そっちの趣味」
「んんんにゃああああああああああああああああああああああああ魔人剣『羅』!!!!」
悲鳴すら上げる暇なく、ゼロは荒れ狂う黒い波動の渦に切り刻まれ、粉々になった。
神護者の欠片を風が運んでいく。
後には吹きすさぶ風だけが残る。
こうして現神触『神護者』は全滅した。
「終わった……」
ミーミルは天を仰ぐ。
最後の最後に、あんな嫌がらせを受けるとは思っていなかった。
地雷を爆発させながら踊られるというか。
爆弾解除できず爆発させてるのに、ドヤ顔で爆弾解除を続行されるというか。
核発射停止ボタンと信じ込んで、核発射ボタンを連打されるというか。
何故か勝ったのに負けた気がする。
「――あれ、涙が勝手に。おかしいな? あれっ」
ミーミルは目から溢れる水分を止められなかった。
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