第61話 アイリスの双剣
オルタは腕を抑えながら森を走っていた。
進むたびに激痛が全身を走る。
出血はないものの、かなりの重傷であるのは間違いなかった。
なにせ神護者になってから、これほどのダメージを受けた事が無かったのだ。
こんな風に怪我を負ったのはいつ頃以来だったろうか。
人間であった時に、確かどこかの国の兵士に斬られて――。
遥か昔の記憶を掘り起こそうとした所で、紫電がオルタを遮った。
いつの間にか、逃げ道を遮るように男が立っていた。
薄い緑色の剣を持った兵士――アベルである。
アベルはオルタの道を塞ぐように立っていた。
「どけ」
負傷しているものの、人間と現神触では戦いにならない。
力の差は歴然である。
それなのに邪魔をしてくる、という事は捨て身の時間稼ぎだろう。
「貴様では足止めにもならん。死にたくなければ退くがいい」
「死ぬのは貴様だ」
アベルは剣を構え、オルタを睨みつけた。
オルタはアベルの言葉を一笑に付すと、木王烈爪を発動させる。
現神触としての力と、法術が組み合わされば、鋼鉄の武具でも簡単に切り裂けるのだ。
仮に剣で爪を受けたとしても、剣ごと人間程度なら両断できる。
オルタはアベルに向かって突進する。
――もしオルタが、もう少しだけ注意深ければアベルの目が、さっきまでと全く違うという事に気づけただろう。
それは時間稼ぎや捨て身の行動を取ろうとしている者の目では無かった。
その眼光の鋭さは、確実に相手を倒そうとする者の目であった。
音もなく。
オルタの右腕が切り飛ばされた。
「――?」
何の抵抗も感じなかった。
剣がまるで腕をすり抜けるかのように、疾ったのだ。
すると腕が、独りでに身体から離れていくように、するりと――。
「っぐがあああああああああ!?」
激痛は後から来た。
両腕を失ったオルタは、地面に跪く。
一体、何が起きたのか。
レフナイト製の剣ですら、自分の身体には傷一つつけられなかったはずだ。
なのに、どうして――。
「おのれ……おのれ! こんなはずでは!!」
オルタはアベルを怨嗟の目で睨みつける。
頭の奥深くに封印していた記憶が蘇ってくる。
オルタは農村の青年だった。
だがある時、どこかの国の兵士によって村は蹂躙される。
そのどこかの国が、実は自分の国だった事を知り、オルタは人を捨てた。
その時に、思ったのだ。
圧倒的な力が欲しかった。
強い者による迫害に抵抗するだけの力が欲しいと。
だからゼロに言われて、あの実を食べたというのに。
オルタはアベルに遥か昔の怒りをぶちまける。
「貴様らのような力を振りかざす者が、何も持たない弱き者を迫害し、苦しめるのだ! 我々のような持たざる者を――!」
「――何を言っている? 今、それをしているのはお前だろう」
アベルは眉をひそめながら、オルタに、そう言った。
オルタはアベルの言葉に首を傾げる。
確かにアベルの言う通りだ。
一体、自分は何を――?
長い時の中で、オルタは自分の根源すら見失っていた。
他の神護者と過ごすうちに、いつの間にか何もかも忘れていたのだ。
「……」
膝をついたまま動かないオルタを訝しげに見るアベル。
突然、動かなくなってしまった。
だが油断はならない。
気を抜いた瞬間に、襲い掛かって来る可能性は十分にある。
アベルは気を張り詰めたまま、剣を構える。
「そうか」
オルタは不意に呟くと、立ち上がった。
「!」
「もう手に入れていたのか」
まるで夢遊病患者のようにオルタは遥か遠くを見つめていた。
そしてオルタはアベルにゆっくりと視線を戻す。
いきなりオルタはアベルに牙を剥き、襲い掛かって来た。
まるで猛獣のように、アベルの喉笛を食いちぎらんとする。
しかし、その速度はアベルが見切れる程に遅かった。
『
カウンターでアベルの剣がオルタに叩きこまれる。
無防備なオルタを強力な爆光が包み込んだ。
――今度こそ。
爆炎と共にオルタの身体がガラスのように四散する。
欠片は地面の降り注いだが、落下の衝撃で砂のように細かく消えた。
それがオルタの最後だった。
「クソッ。何なんだ! あの化け物は!」
ジーベは足を引きずりながら森を走る。
一旦、森に身を隠さねば。
そして怪我を治し、何としても、この屈辱を返さねばならない。
あの化け物を倒して――。
二人の少女の姿を思い出したジーベの背中に寒気が走る。
本当にあの化け物を倒せるのか?
倒せるビジョンが全く見えなかった。
いや、倒さなくてもいいのだ。
自分達には無限の寿命がある。
あの化け物も人の身である限り、寿命はあるはずだ。
それならば、さらに力をつけ、あの二人の子孫や仲間に復讐を――。
風が吹いた。
「――!?」
気が付くと目の前に男が立っていた。
ジーベが昔から良く知っていた顔だ。
目の前に立っていたのはパークスだった。
パークスの事は良く知っている。
ジーベは透明になりながら、秘密裏に森の情報を収集する役をしていた。
なのでパークスの事も、相手は知らないだろうがジーベは知っている。
パークスが子供の頃から、監視だけはしていた。
だが特に脅威になるような気配はなかった。
成長し、軍人になった後も驚くほどの甘ちゃんだった。
人を斬り付ける事すらできない腰抜けだ。
そんな人間を、神護者の追っ手に出すなど馬鹿にしているにも程がある。
それとも、パークスの弱点を知っていない人間が指揮しているのだろうか?
「パークス、か。俺を追って来たのか?」
パークスは無言で、見慣れない形状の剣を構える。
「どうだ? 人は斬れるようになったのか? 現神触と言えど、元は人だ。姿形も、人とそう変わらないし、意思もちゃんとある」
「……」
「で、斬れるのか?」
ジーベは手を大仰に広げながら、パークスに近づく。
チキッ、とパークスの剣が僅かに震えた。
――やはり根本は何も変わっていない。
湧き上がる残忍な笑みをかみ殺しながら、ジーベはそう考える。
さっきの戦いでは、確かに殺気のこもった剣を振り下ろしてきた。
その場の勢いで、剣を振れるようには成長したのだろう。
しかしこうやって、一人だけで冷静にさせれば、何の事はない。
ビビって剣を振れない昔のお坊ちゃんそのままだ。
『
パークスの剣が炎を纏う。
「おいおい、ハッタリはよせ。法術を展開すればビビるとでも思ったか?」
この場にいるのはパークス一人。
囮かと思い周囲の気配を探ってみたが、周囲に人の気配は無いし、増援が来る気配もない。
つまりパークスだけ倒してしまえば、それで逃げ切れる。
「少し提案があるんだ。お互いにいい話になる」
ジーベは和やかに笑いかけながらパークスに近づく。
一触即発の状況に似つかわしくない、緊張した場の空気を崩すような笑み。
それはパークスの気勢を削ぐのに十分な効果を発揮する。
ジーベは人であった頃、盗賊であった。
相手の戦力を削いでから、上の立場から一方的に蹂躙する戦法を得意としていた。
相手の嫌がる事や、弱点を徹底して攻める。
それが最も仲間に被害を与えず、多くを奪える方法だったからだ。
人の弱点を抉るのは得意分野だった。
弱点を抉られて苦しむ人の姿を見るのが好きだったのもある。
そういう事を永遠に味わえるというゼロの言葉を聞いて、ジーベは実を食べたのだ。
「命令で倒して来いと言われたものの、まだ決心はついてないんだろう?」
なおもジーベは一歩、パークスに近づく。
パークスは気圧されるようにジーベから一歩、後ずさる。
「ここには誰もいないのだ。もし相手をうっかり逃がしたしても、気づかれない。その方がお互いに穏便に済むんじゃないか?」
そう言ってジーベは腕を組む。
もちろん腕を組んでいては、いくら神護者といえど素早い行動はできない。
こちらからは攻撃しないという意思表示と同じだった。
「……」
パークスは戸惑いの表情を浮かべる。
それを見た時、ジーベはもう一押しだと感じた。
「実際の所、あの二人に敵う気はしない。もう二度とお前たちの前には現れん。信じてくれ」
ジーベの目も、口調も確かに本気だった。
本当に嘘は言っていない。
アヤメとミーミルに敵う気はしないし、二度と会う事もないだろう。
ただ、二人が死んだ何百年後かに、子孫か関係者に会いに行くだけだ。
嘘は言っていない。
少しの時間、パークスは考えると、刀を鞘に収めた。
火王剣も解除する。
そして、こう言った。
「――行け」
「本当か!? 助かる!」
ジーベは満面の笑みを浮かべる。
だがその笑顔は次の瞬間、苦悶で歪んだ。
「――痛!」
ジーベは足を抑えてうずくまる。
手で傷口を抑えながらも、抉れた傷口の様子は、あえてパークスに見せる。
実際より痛く、深手のように見せるテクニックだった。
「思ったより傷が深いようだ……逃がしてくれるついでに、他の追っ手を逸らしてくれないか? この足では逃げきれない」
「……」
「違う方向に逃げたと報告をするだけだ。現神の森は神護者の領域だからな。そんな場所で見失ったとしても誰も咎めんよ」
「……いいだろう。報告をして来てやる。その間にどこへなりとも行くがいい」
パークスはそう言うと、ジーベに背を向ける。
その瞬間だった。
パークスの身体に木の根が絡みつく。
それは一瞬でパークスの全身を覆う。
無詠唱の木霊縛。
ジーベが得意とする法術だった。
「そうそう。今、思いついたんだが」
ジーベは動けないパークスの背に向かって、口の端を歪める。
「お前がここで死ねば、追っ手も来ないし、お前も手を汚さないで済むんじゃないか?」
ジーベの爪が緑色に光る。
「とてもいい考えだと思うだろ?」
パークスは口を塞がれていて答えられない。
拘束されたパークスの背に向かって、ジーベが跳んだ。
木の根ごと、爪がパークスを貫く。
木片が大きく散らばる。
「――!?」
そこで気が付いた。
自分の爪がパークスに届いていないのを。
パークスは木霊縛から自力で脱出していた。
何か刃物を使ったり、法術を使った訳ではない。
両腕はしっかり拘束されていたし、口も塞がっていた。
つまり、ただの力押しで、木の根の拘束を破ったのだ。
パークスは鞘に収めていた刀に、手をかけていた。
拘束を破ってから、即座に体を反転させ、流れるように柄を握っていた。
まるで武術の型のように美しく、無駄のない動き。
その動きは、最初からジーベの行動を予測していなければ出来ない動きだった。
それを見たジーベは、自分が完全に手玉に取られたと気づいた。
震えたような行動も、一歩下がったのも全てが演技だ。
こちらの言葉に翻弄されたように見せかけただけ。
こちらが油断して、襲い掛かってくるのを待っていたのだ。
そこにカウンターを合わせるのが最初から目的だった。
しかし木霊縛の拘束は普通の人間に解けるようなものではない。
例え身体強化系の法術を使っていたとしても、ごり押しで抜けれるものではないのだ。
だからこそ木霊縛が決まった時点で、ジーベは安心していた。
なのに、それを力押しで抜けるとは。
普通の人間にできる事では無い。
少なくとも自分が知っているお坊ちゃんには不可能な――。
薄く引き伸ばされた刹那の時間の中で、ジーベはパークスと目が合う。
違う。
何かが決定的に違っていた。
見た目は同じだ。
しかし中身が違う。
ほんの僅かな時間で、パークスらしき人物が別の誰かに変わっていた。
瞳から一切の甘さが消えている。
揺るぎない信念が宿った人間の目だ。
あらゆる揺さぶりに、決して折れない精神の持ち主。
それはジーベが盗賊時代に、最も苦手としていた人間の目であった。
『
アヤメの歌と、事前に使っていた『火王剛力』が相乗効果を持つ。
さらに『火王烈剣』も強化される。
同時にパークスは『細雪』を鞘から抜き放った。
パークスの想像を遥かに越えて、刀が疾る。
決して意図して行った技ではない。
偶然である。
だが、それは刀術における『居合』と酷似していた。
神護者の身体能力ですら、回避できるような速度では無い。
同時に神護者ですら耐えられる威力でもなかった。
――そして最後の瞬間に、ジーベが見たのは地獄の業火のような炎だった。
剣に宿った炎は普段から、よく見る赤い色ではない。
今まで、一度も見た事が無い炎の色。
青く輝くような炎が、パークスの剣に宿っている。
一目見ただけで、人間に可能な領域を超えている事は分かった。
「誰だお前」
それがジーベの最後の言葉だった。
ジーベは上下に両断されると、地面に落ちるより早く空中で蒸発した。
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