第56話 人質システム

 何かが落ちて来た。


「ふんっぐぅ」


 突然の何かに、その場にいた全員が釘付けになる。

 それは地面にバウンドして大きく跳ねると、コロコロと地面を転がってきた。

 転がっているのを見ているうちに、それが人である事に気づいた。


 

 子供――幼女である。


 

 さっきまで凄惨な場であった戦場が、水を打ったように静かになった。

 誰も一言も発しない。

 地面に転がったままの幼女はピクリとも動かない。

 

 ほんの数秒が数分に思えるような沈黙の中、最初に声を出したのは意外な人物だった。


「……生きてる」


 レガリアは自分の身体をまじまじと見ながら呟いた。


 確かに木から落ちたはずだ。

 確実に死ぬ高さだったし、頭が大地と激突する衝撃もあった。


 しかし頭がジンジンするだけで、痛みは殆ど無い。

 出血どころか、たんこぶすら出来そうになかった。

 打ちどころが良くて助かった、という感じではない。


 当たっているのに大幅にダメージが軽減された――そんな感じだった。

 

「な、何で生きてる!」


 激突の瞬間を見ていたジーベが思わず叫ぶ。

 人の身体では耐えられない高さだったはずだ。


 一体、何が起きたのか。

 

「ううう……もうにどとやらない……」


 うめき声と共に、地面に転がっていた幼女が立ち上がる。

 金色の紙に青い瞳、小麦色に焼けた肌。

 

 幼女はぐすぐすと鼻をすすりながら、服についた埃を払う。


 

「アヤメ様――おお、おおおお……!」


 全身に傷を負った兵士の一人が地面に膝をつき、アヤメに祈りをささげる。

 彼にとっては、もはや神が降臨したに等しかった。

 

 来てくれた。

 来てくれたのだ。

 

 神をも殺す我らの神が。

 

「あ……あやめ――さま」

 

 パークスは、体が温かい何かに包まれるような気分になった。


 もう死んだとしても、悔いはない。

 きっと自分の仇を取ってくれる。


 これで安心して――。


 気が緩んだのか、目の前が暗くなる。

 もう、とっくに限界だったのだ。



 パークスの意識は、そこで途絶えた。




「パークス! ひどい!」


 

 パークスの怪我に気づいたアヤメが叫ぶ。


 全身ボロボロだった。

 手は変な方向に曲がっているし、あちこち傷だらけだ。

 右足も無くなっている。


 きっと想像を絶する、激しい戦いがあったのだろう。

 あんなになるまでパークスは戦ったのだ。

 

 それを思うと、アヤメの目尻に涙が浮かんだ。


 しかし今は泣いている場合ではない。

 アヤメは深く息を吸うと、歌を歌う。


 

 『urari urari ieyuku izuka miwa too ku』



 その場にいた兵士達と、ネーネ族の身体が薄い紫色に輝き始めた。




 消費MP55。

 射程1000。

 自然治癒力を上げ、HPとMPの自然回復量を大幅に引き上げる。


『アーディライトの夜想曲』だ。




 不意に耳が温かくなるような感覚を覚えたミョルドは、失っていた耳に触れた。


「!?」


 無くなっていた耳が、少しずつ伸びていく。

 ミョルドの耳が修復されていく。


「羽が!?」


 失っていたイカルガの羽も治っていく。

 見るとジオとニニャの怪我も、まるで逆再生するかのように治っていく。


 回復法術で治せるのは怪我であり、無い物を再生する事はできない。


 それなのに再生していく。

 人知を超えた現象に、ネーネ族達は困惑するのみであった。

 

「……?」


 アベルが目を開く。


 感覚が無くなっていた体に疼痛が走ったからだ。

 その疼痛は致命傷を負っていた場所に走っていた。


 自分の身体を見ると、薄い紫色に発光している。

 

「これは――まさか!」

 

 この不思議な現象を起こせる人間に、一人だけ心当たりがあった。

 アベルは視線を巡らせる。




 いた。

 



 その姿を目にした時、アベルの目から独りでに涙が溢れていた。

 身体を安堵感が包み込む。


「ぐっ……ぬううっ」


 だがアベルは力を籠め、木霊縛からの脱出を試み始めた。


 気を緩めている場合ではない。

 こんな所で捕らえられていては、閃皇様の足を引っ張ってしまう。


 しかし木霊縛の拘束力は尋常では無かった。

 普段ならばどうにか引き千切れる木霊縛なのだが、神護者の木霊縛は段違いの耐久性を持っている。

 力では強引に脱出できそうにない。



 それならばいっそ――。



 アベルは自分の全身を焼き尽くす事を考える。

 治癒力が大幅に向上している今なら、自分ごと木を燃やしても生き延びられるかもしれない。

 

 法術を放とうとしたアベルに、アヤメが駆け寄ってくる。


 アヤメは歌いながら首を傾げた。

 どうして木の根に絡まっているのか不思議そうな表情を浮かべている。


「離れていてください。今から拘束を解きます」


 アヤメはぽん、と手を打った。

 どうやらアベルがやろうとしている事を、理解して貰えたようだった。



「炎に巻き込まれないように離れ」



 ぶちぶちぶち。

 

 アヤメはアベルを拘束している木の根を、素手で引きちぎり始めた。



「…………」



 鼻歌混じり、もとい歌混じりに木霊縛を剥がしていく。

 もう大抵の事では驚かないと思っていたアベルも、さすがに無言になる。


 

 その様子はオルタとリーガルも見ていた。



「な……何だ、こいつは」

「……ほう」


 狼狽するオルタと目を細めるリーガル。


 反応は違えど、二人は一様に驚いていた。

 特にオルタは捕まえていたパークスを手放してしまう程に驚いていた。


 木霊縛を使ったのはオルタである。

 その拘束力は、子供が平気で引き千切れるようなモノではない事は、使った自分が最も一番、良く分かっているのだ。


「こんな場所に、こんな可愛らしい少女が紛れ込むとは。天からの褒美かもしれん」


 だがリーガルは無警戒にアヤメに近づこうとする。


「待て、リーガル!」

「何だ。楽しみの邪魔をするつもりか?」


「あの娘、普通では無いぞ」

「分かっている。そうは見られない逸材だ」


 オルタはいきなりリーガルの胸倉を掴んだ。


「何をする」

「こいつを見ろ!」


 オルタは地面に転がるパークスを指差した。

 

「何が――」


 それを見たリーガルは、久方ぶりに全身に鳥肌が立つのを感じ取った。


 

 あれほどズタボロになっていたパークスの怪我が治っていた。

 飛ばした足も生えてきている。



 あの少女が落下してきて……それからどれくらいパークスから目を離したか。


 そう長い時間ではなかったはずだ。

 その少しの時間で、あの大怪我が治っている。

 神護者の治癒法術でも、ここまでの修復力は不可能だ。


 何より無くなったものを生み出す事など出来ない。


 

 その理を覆す事が起きている。


 

 それを、あの少女が起こしているとしたら――。

 

 

 その異常性に、遠く離れていたゼロ達も気づいていた。

 近くでミョルドとイカルガの治癒を見ていたのだ。

 いかに異常な現象が起きたのか認識するには十分であった。


「何じゃ、あの子供は」

「あれが閃皇だ」

 

「閃皇じゃと? 何かの冗談か?」

「ハッタリだと思っていたが」

 

「ふむ……実に興味深いのう」

 

 ロクスが目を細める。

 あの少女が閃皇かどうかは、この際どうでも良かった。


 本物だろうが、偽物だろうがどうでもいい。

 今まで見た事の無い法術を使用している事が、ロクスにとっては何より重要であった。



 

 元々、ロクスはこの世界に存在する現神や精霊王を研究する魔術師であった。


 だが現神の力は余りに強大で、制御不能である。

 現神の力を借りる現神法術は、多重法術より遥かに危険な禁術であった。


 何故なら術の発動すらせず、術者が死亡するからである。

 発動までに消費する魔力量が膨大すぎて、人の身では使えない術なのだ。

 

 一方で、精霊や精霊王までならば、人の身でも法術を使えば制御する事が可能だ。

 その精霊王の力を極限まで借りれられれば、現神に匹敵する力が手に入る。

 その力を触媒にすれば、消費される膨大な魔力を賄えるのではないか?


『精霊王の力を利用した現神法術の発動』


 それがロクスの生涯をかけた研究であった。

 

 しかし、その研究は人の寿命では決して届かない、遠大な研究でもあった。

 

 だからロクスは実を食べたのだ。

 無限の寿命を手に入れ、研究を成就させる為に。





「アレは全く異なる体系の法術かも知れんのう。あの技術があれば、わしの研究が新たな地平へ進めるかもしれん」

「何を考えている」

「知れた事。研究材料として捕らえるのじゃよ」


 ロクスの答えは、ゼロの予想通りだった。

 普段ならば、特に反論すべき部分は無い。

 

 だが、ゼロはあの少女に得体の知れなさを感じていた。

 

 それはミーミルの魔人閃空断を、目の前で見ていたからかもしれない。


 シドを一掃した黒い衝撃波。

 あれに近い力を、もしかしたらアヤメが持っているかもしれないのだ。


 体躯や装備から考慮すれば、ミーミルより能力的には劣るのは間違いない。

 だが、それに近い力を持っていると考えた方が良さそうだった。


 となるとアヤメを捕らえようとした場合、正面からは危険かもしれない。

 思わぬ損害を受ける可能性がある。


 ならば――。


 

「では人質だな」

「そうじゃな。それが手っ取り早いじゃろ」



 どんな力を持っている人間だとしても、この人質の前では無力だった。


 人を盾にする。


 それだけで人は本来のスペックを発揮できなくなり、簡単に隙だらけになる。

 まあ人質など取られようのない神護者には全く理解できない話だったのだが。

 

 これでラライヤ調査隊も、ネーネ族の男達も、本来ならば逃げられる状況で逃げられなくなり、戦う事すらままならなくなった。

 実に簡単に、全滅させる事ができた実績がある。


 人である以上、あの少女でも同じに違いない。

 人質を取れば簡単に屈服させられる。




 遥か昔に外から来た亜人種の女が、ゼロ達に伝えた策略。


 一度人質を取れば、それがまた人質を呼ぶ。

 それを続け、盾にできる手札を増やしていく。


 人質の連鎖。

 それが女の提唱した『人質システム』だった。



 



―――――――


文字数が一話でまとめるには多くなり過ぎたので分割します


今日に上、明日に下を更新します


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