第37話 現神の森の深部


 アヤメは巨木の根元に転がされていた。


 その体は緑色の触手で縛られている。

 木霊触に似ているが、それよりも遥かに太く、トゲも生えている。

 木王触という上位法術だった。

 

 アヤメ達が連れて来られたのは現神の森の深部であった。


 周囲の木はさらに巨大になり、地面に生えている苔も緑が深い。

 空気も濃くなっているような気がした。

 辺りが静かに息づいているような感覚を覚える。

 

 森が現神であるというのは、いまいち実感が沸かなかったがここに来て理解できた気がする。


 この森は確かに生きていた。

 比喩ではなく、個の生物として。



「アヤメちゃん……これからどうなるの?」

「どうなるの?」

「分からない――けど、大丈夫だから」


 不安そうなセツカとリッカを励ますアヤメ。

 二人も床板の木材で拘束されたままだ。


 

 セツカとリッカ。


 彼女達の父親がいなくなったのは十五年前。

 その事実から考えて、少なくとも二人の年齢は十五歳以上と推測できる。

 亜人種達が人間と同じ年相応の成長をするのは、ミョルドとパークスの十年に及ぶ付き合いで証明されている。


 普通に考えれば、この二人がこんな幼いままの姿である訳がない。


 だがラートラのように小さい亜人種や、ニニャのように大きな亜人種がいたから、すっかり勘違いしていた。

 年齢を重ねても見た目が変わらない亜人種がいて、当然なのではないかと。


 そうではない。

 体格に大きな差があっただけだ。

 今まで出会った亜人種は全て、ククリアも、ラートラも年を重ねた分だけ、老いていたではないか。


 そこに疑問を持つべきだった。

 

「おっせぇなー。何をやってんだ」


 神護者――ニア・イースは手元の懐中時計見ながら呟いた。


 もちろん、こんな精密な機械を作る技術は亜人種にはない。

 外からもたらされた物品であった。

 つまり神護者は、ネーネ族と同じく外の人間と繋がりがあるのだろう。


 ニアはアヤメの視線に気づき、近づいてきた。


「どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」


 アヤメは首を振る。

 今は大人しくしている他はなかった。


「じゃあジロジロこっち見てんじゃねぇよ」


 アヤメはいきなり顔を蹴り飛ばされる。


「――っ!」


 勢いよく地面に倒れるアヤメ。


「アヤメちゃん!」

「ひどい!」


 セツカとリッカが動こうとする。


「いい事を教えよう。俺は子供でも、遠慮なく殴る大人だ」


 そう言いながらニアはセツカとリッカに近づく。

 二人は震えあがって動きを止める。


「ナメた事をしたら子供でも思いっきり殴られる事が、世の中にはある。それを調子に乗ってる子供に教えるのが好きでね」

「……」


「反抗しなければ殴られない。勉強になったなら、動くなよ?」


 セツカとリッカは震えながらアヤメを見る。

 アヤメは気づかれないように片目でウィンクした。


 

 殴られたのが自分で良かった、とアヤメは思う。



 ダメージはまるでない。


 現神蝕の力で常人を殴りでもすれば、間違いなく死ぬ。

 それこそ腕の一振りで首を吹き飛ばす事も可能に違いない。

 何だかんだでアヤメも人質なので力を加減したのだろう。


 それでもセツカやリッカが殴られる姿は見たくなかった。

 

 アヤメは辛そうな演技をしながら、ゆっくりと身を起こす。

 そうして巨木に背を預けた。


 ニアは時計を見ながら、せわしなく辺りをうろついている。


 神護者は全部で六人いると聞いた。

 だが、まだ四人も存在を確認できていない。

 さらに外の誰と繋がっているかも、まだ判明していない。


 この状況で暴れるのは危険すぎる。

 これでは手の届くセツカとリッカを助ける事はできても、手の届かないネーネ族やパークス達を護り切れない。



 

 実は唯一、この状況を打開する策があった。

 

 しかしそれを使うべきは今ではない。

 その策は条件が揃わなければ使えない。


 だが条件さえ揃えば、人質を完璧に護りながら、敵を一網打尽にできる。



 

「……ん? 来たか?」


 ニアは森の奥を見ながら呟く。

 そして深く息を吸うと、法術を使った。


木王迷彩レスタ・ヴァニッシュ

 

 ニアの姿が、まるで風景と同化するかのように溶け消える。


 気配を全く感じられなくなった。

 足元の苔が沈み込んでいる事で、辛うじて、そこにニアがいるのは分かった。


 足跡が移動していく。

 何の音もしない。

 見た目どころか足音すら消えている。


 恐ろしいレベルの光学迷彩だ。

 この法術で、こちらを監視してたのだろう。

 だから同じ家にいたのに全く気づけなかったのだ。

 

 しばらくすると、アヤメの耳にも足音が聞こえて来た。

 

 鎧の擦れる金属音と、話し声が聞こえてくる。

 

「確かこの辺りだったはずだが」

 

 アヤメが聞いた事のある声だった。

 この低い声はまさか――。


「よう」


 ニアは相手を確認したのか光学迷彩を解く。


「おっ――と。相変わらずいきなりの登場ですな。ニア様」


 男はニアに向かって笑いかける。


 

 笑う中年男性はかなり太っていた。

 頭はツルツルに剃り上げられている。

 体も大きいので威圧感がかなりあった。


 

「遅いぞ。予定より二十分も遅れてる」

「この森は人には険しい場所なのです。神護者の方には庭のようなものでしょうが」


「その人も今日で終わりだろ。現神の実が見つかったんだからな」

「本当に見つかったのですか?」

「おっと、茂みで見えんか」


 そう言ってニアは茂みをかき分ける。


「これはこれは――」


 アヤメの前に男が立つ。




「アヤメ様、ご機嫌いかがですかな?」


 マキシウス・ジェイドはアヤメに向かって、恭しく礼をした。

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