第二集 前編 生活問題

「大変な事になった」

「大変な事になった」


 アヤメはミーミルは扉の前でウロウロしていた。


 転生初日。


 食事を済ませた二人は、最大の問題に直面していた。

 その問題は、二人を壮絶に悩ませていた。

 しかも一刻の猶予も無い。


「うぐぐ……」

「あー、無理。もう無理」

 

 その二人を悩ませる問題。



 ――それは。



「と、といれ……」

「もう限界」


 トイレ問題だった。


「座ってやればいいんだよね」

「そう。座ってやるんだよ」


「どうやればいいの」

「座って、解放だよ!」


「具体的に!」

「俺にもわかんねぇよ! 出るとこ全然違うんだからさぁ!」


「ふええ」

「アヤメが先に行け! こっちは後で大丈夫だ! まだ余裕はある!」


「ふええ!」


 アヤメはトイレに駆け込む。


 

 とりあえずパンツを降ろした。

 目の前には便器がある。


 

「あーこれどっから出るの」


 自分の自分を見ながら狼狽える。


 全く構造が違う。

 童て――処女のアヤメには何が何だかさっぱりだった。

 何がどれなのか全く判断がつかない。


「どうだ! どんな感じだ!」

「訳がわかりません!」

「とりあえず早く頼む!」


 アヤメはとりあえず便器に座る。

 そして何度か深呼吸をしてから、力を抜いた。



 しょー。



「ああー……」

「どうした!」


「失敗してるっぽい……失敗してるっぽい……」

「泣くなよぉ。俺も泣けてくるから」


 二人はトイレの中と外で涙に暮れていた。


「お尻全体を流したい……何でこんな定まらない……」

「ウォッシュレットないんだろ。我慢しろ」


「ああーなにこれ。トイレットペーパーない……」

「どういう事だ」

「トイレブラシみたいなのしかない」


 アイリス帝国において紙は貴重品ではないが、それなりに値は張るものだ。

 しかも紙の質は余り良くはなく、少なくともトイレ用の紙は開発されていなかった。

 もし普通に紙で拭けば、すぐボロボロになり紙屑だらけになっていただろう。

 

 という事で、アイリス帝国のトイレは、海綿ブラシを使うのが一般的であった。

 ちなみにこのブラシ、皇族仕様で、非常にきめが細かい海藻が先端についている高級品であった。


「何かの漫画で読んだぞ。昔の人は塩水につけた海綿みたいなのでお尻を拭いたと」

「やってみる」

「頑張れ」



 ……。



「ああー」

「だから泣くなって。無性に悲しくなるだろ」


「ちょっとぬるぬるしてる」

「そりゃ海藻だからだろ。そう思え! 思い込め!」

「そもそも海藻なのコレ」

「知らねぇよ……」

 

 しばらくすると、トイレからアヤメが出て来た。

 

「お前ビッチャビチャじゃねーか!」

「ふぐっ……うぐっ……」


 海綿ブラシは、ちゃんと水を切ってから使わねばならない。

 知らずにそのまま使ったアヤメは下半身びしょ濡れであった。


「タオル!」

「ありがとう……」


 投げてよこしたタオルで太ももを拭くアヤメ。


「そんな難しいのか」

「なんかもう意味わかんない。普通に座ってやったら、ふとももに跳ね返りがすごくて」

「マジか」

「あれが普通だとしたらトイレの構造がおかしいと思う」


「うーむ……なら前かがみでやりゃいいのかね」

「その発想はなかった」


「よし、じゃあ俺も行くわ」

「頑張って」


 アヤメに見送られて、ミーミルはトイレに入った。

 目の前には便器がある。


「何故か便器に立ち塞がられてる気分になるな」


 とにかくミーミルは便器に座った。


「――よし! 行くぞ!」


 ミーミルは前傾姿勢で、力を抜き、己を解放する。



 じょー。



「This is life……」


 やはり前傾姿勢は成功であった。

 ほぼふとももに跳ね返ってこない。

 全く女性は大変だなぁ、と思った。

 無事にミッションを終えたミーミルは海綿ブラシを掴む。


「……」



 アヤメが使ったやつか……。


 

 気心が知れている親友で、なおかつ子供が使ったとはいえ、やはり抵抗があった。

 というか現代の感覚では、誰が使おうと抵抗がない方がおかしい。


「ウーム」


 かといって拭かなければならない。

 男の場合は振れば水切りできるが、女性の場合はそうはいかない。


「皇帝権限最初の指令は、トイレットペーパー開発にしよう」


 ミーミルはそう呟いてから、便器の上でしりもちをついて水切りを行う。


「ただ水洗なのは唯一の救いだな」


 そう言ってミーミルは洗浄と書いてあったレバーを引く。

 ゴボゴボと水が流れ、汚水が流されていく。


「下水施設も充実してるって事だよな。やっぱり文明は高めか」


 やっと一息ついたミーミルは、便器の上で腰を捻じる。



 ぽちゃん。



 何かが水に沈む音がした。

 同時に冷たさを感じる。

 だがどこが冷たいのか分からない。

 お尻が冷たいような気がするのだが、お尻ではない。

 ミーミルは突然、自分を襲った原因不明の感覚を解明するために、自分のお尻を見てみる。


 

 尻尾が水没していた。



「んなああああああああああああああああ」

「何事!?」


「んなああああああああああああああああ!!」

「ミーミル何があったの! 返事して!」


 手洗いの中から聞こえるミーミルの絶叫にアヤメは扉の前でオロオロするだけであった。


「どうした! 何かあったのか!?」


 オルデミアが部屋に飛び込んで来た。


「出て行って!」


 アヤメはオルデミアを蹴り出す。


「ミーミル! ミーミル!?」

「オアー……」


 ミーミルはとても悲しそうな声をあげながらトイレから出てきた。

 びしょ濡れの尻尾を両手で握りしめている。

 それでアヤメは全てを察した。


「――タオル要る?」

「オアー……」


 ミーミルはタオルで自分の尻尾を拭き始めた。


「本当に洒落にならないね」

「ニャー」


 ミーミルはショックのあまり、完全に猫化していた。



 こんこん。



 不意に部屋のドアがノックされる。


「はい……?」

「コカワです」

「何ですか?」

「お風呂の準備が出来ました」


 そういえば帝国にはお風呂のシステムがちゃんとあったのだ。

 食後に入るとコカワには伝えていたのを思い出した。


「もう少し自分を取り戻したら行きます。待っててください」

「? かしこまりました」


 コカワの気配が、少し遠ざかったのを確認してからミーミルに話しかける。


「ミーミル?」

「ニャッ」


「お風呂、入れるらしいからお風呂いこっか」

「ニャッ」


 どうやら皇帝用の風呂はかなり大きいらしい。

 旅館や銭湯の浴場ほどの広さがあるのだそうだ。


「準備OK?」

「ミャッ」


 用意されていたパジャマと下着を携え、二人は部屋から出た。

 外にはコカワとオルデミアが待っていた。


「閃皇様、何があったのですか?」

「大変デリケートな問題ですので……お風呂の案内お願いします、コカワさん」

「かしこまりました。こちらです」


 コカワが歩く後についていくアヤメ。


「剣皇様、何が」

「シャー」


 ミーミルは牙を剥いた。

 そしてオルデミアだけがその場に、とり残された。

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