生きる代償

@Tsubasa0000

第1話 悪夢の始まり

「あぁ…?なんで俺がこんなの食わなきゃいけない訳?」

 少年は何の躊躇いもなく机の上に足を放り出し、ゴミでも見るかのような冷たい眼差しを食卓に向けていた。温厚さの欠片も感じられないその素行は見るに堪えないものであったが、もはや彼を止めようとする勇敢な者はいない。

「おいこらテメェ聞いてんのか…ッ!」

 ふと少年が忌々し気に暴言を吐き捨てる。

 煌びやかな装飾が施されたシャンデリアの下には到底似つかわしくない粗暴な発言。

 その発言や動作、仕草といったものと対を為すかのように、染み一つない清潔なテーブルクロスの上には豪華な料理のフルコースが並んでいた。例えその道に詳しくない素人が見たとしても工夫と贅を凝らした最高級の逸品であることは明白で、一般人にとっては値段を聞くだけで吐きそうになるくらいなものだということはもはや語るまでもない。食器のひとつひとつさえ新品の様に磨き上げられていて、照明の光を受けて鈍色にびいろに輝く。

 あたかも中世ヨーロッパを舞台にした映画のワンシーンの如く丁重に準備された料理が並べられているだけに彼のある種異質と言ってもいい行動がより一層際立つのだ。

 しかし、少年が『こんなの』と言って軽蔑の眼差しを向けたのがその料理であったことも事実。彼がどのような感情を胸にして先刻の言葉を発したかは彼以外には理解しえないが、間違いなく今の状況に満足していないのは確かであった。

 というのも、机の上に並べられた料理は一切手が付けられていない状態で放置されたのか、すっかり冷え切ってしまって料理自体のクオリティが著しく低下していた。

「あのさぁ…?婆やも爺やもシェフもお父様もお母様も何度言ったら理解できんの?

 まだ言わせんの?『野菜』なんて低俗な食べ物は愚民か家畜の餌にでもしておけばいいんだって言ってんだよ。人間社会の上位に君臨する俺達貴族が口にするもんじゃねえって。」

 少年がやや諦めたかのように吐き捨てると同時に、机の上に投げ出された足が机から距離をとるように浮き上がった。

「おやめください、お坊ちゃま…!」

 流石に事態を重く見たか、給仕きゅうじ係とおぼしき初老の女性が静止の声を上げ、椅子に鎮座する少年との距離を詰める。

 …が、遥かに遅い。無論、間に合ったとて結果は同じであっただろうが。

 次の瞬間、踵から真っ直ぐに少年の足が机に突き刺さる。

 突如響き渡る破砕音。音という媒体を以て破壊の衝撃が豪奢な調度品で彩られた部屋に響きわたる。

 匠の手によって精緻な紋様が刻み込まれた食事用の長机は超人的な彼の脚力によって半ばから圧し折れてしまっていた。

 到底人間が不完全な体勢から行える動作ではない。精々傷をつけるのが関の山だろう。

「柔すぎんじゃねえのかこの机」

 僅かな時間で廃材に成り果てた机を睥睨して侮蔑の言葉を吐き捨てる様は貴族や平民、奴隷階級というありとあらゆる概念を無視し、人間というカテゴリで見たとしても明らかに異常。

 圧し折れた際に生まれた窪みの中心へと料理や食器などは吸い込まれ、彼が視線で訴えかけていた『ゴミ』へと姿を変えた。

「…もう飯はいらねえ。片付けといて。俺は部屋に戻る。」

 流石にやりすぎたか、という焦りの色が少年の表情には伺えたがそれも一瞬。

 目つきをいつも通り鋭利な毅然としたものにへと戻し、苛立ちを席に乱暴に蹴飛ばすという形で発散しながらきびすを返す。

「お坊ちゃま…もう、わたくしは貴方を庇いきれませんぞ。何れ断罪の刃が下されることになります。」

「オイ、ごちゃごちゃ訳わかんねえこと言ってんじゃねえよ。

 俺はそんなに気が長くない、あまり余計な口を叩くようならその口を今すぐにでも縫い合わすぞ。

 単刀直入に言え、何が言いたい?」

 背中越しに投げかけられた言葉に対して苛立ちを隠すことなく返答。

 だがそれでも少年が今までのように無視を決め込んで立ち去らなかったのは燕尾服をきっちりと着こなした初老の執事の声に只ならぬ真剣さが宿っていたからか、先ほどまでには存在していなかった『何か』の存在を深層意識で感じ取ったか、はたまたその両方か。

「貴方は罪を犯し過ぎた。生命への冒涜を重ね過ぎた。

 嗚呼、なんという事でしょう。『使者』はそこまで迫っております。

 お逃げくださ――」

「るっせえんだよ時間切れだ。一生這い蹲ってろ。」

 言葉を言い切る前に少年の回し蹴りが執事の側頭部を襲撃。

 予想だにしない一撃に対応する術を持たない執事には重すぎる一撃であり、初老の成人男性の意識を刈り取るに過剰は在れど不足はない。

 執事の体は一瞬宙を泳いだのち、重力に引き寄せられて受け身すらとることなく昏倒。

 周りに佇んでいた女性の従者たちが焦燥を露にしつつ執事に駆け寄る状況を背に、少年は倒れゆく執事を一瞥、けれどもそんなことは知ったことではないと言わんばかりに視線を元の位置に戻して今度こそ迷いなく自らの部屋へと足を運ぶ。







(んだよ…苛立ってんのは見りゃ分かるだろクソが。一々意味わかんねえこと語りかけてくんじゃねえよ全く。

 大体使者ってなんだよ、客人でも来るのかよ)

 食事を行う部屋を出ると目に優しい暖色系のガス灯が少年の目に飛び込んだ。ガス灯は廊下に一定の割合で取り付けられており、少年を自らの部屋へと誘う誘蛾灯を彷彿とさせる。

 僅かに睡魔が思考を阻害し始める時間帯。じきに体は気怠い重りへと有り様を変えるだろう。

(今日は早めに寝てもいいかもしれねえな、むしゃくしゃしてて起きてるとまた何かぶっ壊しちまいそうだ)

 自嘲にも似た苦笑いを少年は浮かべ、部屋のドアを極力丁寧に押し開ける。

 少年一人が生活するには広すぎるとも言える広さで、通常のマンションの一室とさほど広さは変わらない。

 いつの間にか従者が清掃を行ったのか、ホテルのスイートルームを思い起こさせる程隅々まで清掃が行き届いていていた。中央に配置されたベッドは染み一つないシーツが被せられ、開けっ放しになっていたはずの窓はしっかりと施錠されたうえでカーテンが閉じられている。カーテンの隙間から伺える夜空には満天の星が浮かび、都市の明りに負けじと光を照り返していた。

(そろそろ寝るか…。思ったよりも体が疲れている。眠らなければならないという使命感というか)

 導かれるようにして少年は一人で寝るには大きすぎるサイズのベッドへと体を滑り込ませると、心地よい微睡みの中へと意識が引きずり込まれていく。

 意識が泥に沈んでいくように視力や聴力といった機能の性能が最低限のレベルまで引き下げられていき、手足の感覚すら蒙昧になっていく。

 未来永劫そうしていたいとすら思えるほどの安らぎが睡魔が体を蝕む速度に拍車をかけ、遂に少年は意識を手放した。













 それが地獄へ誘うトラップとも知らずに。


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