第百十八節 埋まるパズルのピース

 ヤクは再び軍の本拠地に戻っていた。先程言い渡された一ヶ月の謹慎に際して、必要事項をまとめ、ゾフィーに伝えるためである。

 資料をまとめていた時、訪問者が現れる。レイであった。勝手に基地に入ってきたことを叱ろうとしたが、彼の表情を見た途端にその気が失せた。


「そんな泣きそうな表情をしなくてもいいだろう」

「だって師匠、もしかしたら国外追放になるかもって言ってただろ。だから……」


 彼はミズガルーズへ帰路へついている時、スグリと話していた内容を立ち聞きしていたらしい。もし自分が言った通りになった場合、そう簡単に会うことができなくなる。それが不安だったのだと、レイは吐露した。憔悴している彼の頭に手を置き、慰めるように告げた。


「安心しろ。国王陛下のご配慮で、一ヶ月間の謹慎と減俸処分だけとなった」

「ほ、本当!?」

「ああ、あの方の御心に感謝せねば」

「でも、どうして……?」


 レイの疑問に、それまでの敬意を簡単に説明した。


 ******


 ハブギリヒを国外追放として、玉座の間から退室させたシグ。呆然としていたヤクに対して、彼は苦笑した。


「申し訳ありませんでしたね、貴方への処罰の場を利用しました」

「陛下……?」


 シグはハブギリヒ追放のために、最初からこの場を利用するつもりだったと語る。

 世界巡礼の報告書が送られてくるたびに、シグは危機感を募らせていたそうだ。カーサの行動の活発化や、世界保護施設の悪質な実験行為。その他問題視している組織も増えていた。

 それらの脅威からミズガルーズは国民を守るため、防衛軍と王宮内での連携を強めていくべきだと感じていたという。その際、問題のある人員がいたのでは支障が出る。ゆえに王宮内と国家防衛軍の全ての人員を、過去から洗い直す作業を行っていたそうだ。その時に引っかかったのが、ハブギリヒだと告げられる。


 過去に、国家防衛軍内で起きた凌辱事件。その事件は、ヤクが被害に遭う以前から横行していた。特定の研修生に対しての性的暴行、それによる賄賂。この凌辱事件が起きる直前に防衛大臣となったのが、ハブギリヒであった。

 これを注視しないわけにはいかなかったと、シグが説明してくれた。防衛大臣は国家防衛軍を実質支配できる立場であり、軍の全てを知ることができる。そんなハブギリヒは、事件当時は"何も知らない"と証言していたそうだ。当時の加害者は発覚した時点で、国外追放または終身刑に処していた。それでその事件は終わったと思っていたところに、この事実が浮上したと。

 本当の意味で事件は終わっていないと確信したらしいシグは、真実を知ろうとした。そのためには、被害者と加害者を接触させる必要があったのだ。ハブギリヒが加害者の親玉なら、被害者の前では態度が傲慢になるだろう。そう賭けたのだと。


 だから、シグは待っていたらしい。世界巡礼が終わり、自分たちが帰還してくるこの日を。召還命令は言ってしまえば、口実に過ぎなかったのだと。


「そんなわけで、許してくださいね。国内に溜まっていた膿を全部掻き出すためには、これしかなかったのですよ。ハブギリヒに近しい人物たちも、彼の国外追放に連鎖して腹の中が露わになるでしょう」


 シグは玉座へ戻ると振り返り、宣言した。


「これにて、公開裁判は閉廷します。これに異議のある者は、立ち上がりなさい」


 シグが宣言すると、玉座の間にいた人物たちは一人、また一人と膝を折る。やがてその場に立っていた人物は、誰もいなくなった。その様子に満足そうに頷いたシグは、改めて閉廷を宣言するのであった。


 ******


「そんなわけだ。しばらくは、お前の修行の面倒でも見てやれる」

「よかったぁ……。そうだ。俺、師匠に伝えたいことがあったんだ」


 レイは笑うと、あることを話し始めた。

 それは彼が昏睡状態に陥り、そのためにエイリークたちが連れてくれたフヴェルゲルミルの泉でのこと。泉の単語を聞き、彼が何について言おうとしているのか、理解する。己の唯一無二の兄弟である、ジーヴル──本来ヤクと名乗っていた幼子──のこと。


「人身御供にされていた人たちは、ちゃんと埋葬してきたよ。ヘルヘームの新しい村長はいい人だから、きっとお墓の世話もしてくれてると思う」

「そうか……すまない、手を煩わせたな」

「気にすんなって!いつか師匠が落ち着けたらさ、一緒に墓参りにでも行こう?」

「何故お前も?」


 ヤクの質問に、レイはややあってから答える。


「俺、夢渡りでヤクに逢ったんだ。そこで、師匠のこととか色々聞いてさ。お礼、言いたいんだよね」

「っ……」

「師匠は、今は元気ですってさ」

「あの伝言は、お前から伝えられていたのか……」


 思わず出た呟きは、レイには届かなかったようだ。何か言ったのかと、首を傾げてくる。それを何でもないとあしらった。謹慎前の仕事をまとめるからと、そのままレイを執務室から追い出したのであった。


 その後も資料をまとめていき、ひとまずの目途をつけられそうかというところで、新たな訪問客が執務室を訪れた。


「レイ、いい加減にしないか。仕事中だと──」

「レイ?」

「えっ」


 振り返った視線の先にいたのは、レイではなくスグリであった。一言謝罪し、それでも資料をまとめる手を緩めることなく、仕事を続けていく。仕事人間かとスグリにからかわれるが、元からそういう人間だから仕方ないと返す。


「それにしても、まだしばらくは同僚だな」

「そうだな、よかった……と言っては語弊があるかもしれんが」

「その感想は一応心の内に留めておけ」

「無論そのつもりだ。私の行いは許されざるものであることに、変わりはない」


 最後の資料をまとめ終わる。息を吐いて、夕焼けに彩られる景色を眺めた。


 ヤクもスグリも、この世界巡礼の中での戦闘で軽い後遺症を負った。スグリに至っては、本来ならば歩けなくなってもおかしくはない程、肉体にダメージを負っていたらしい。

 しかしもとよりあった身体能力の高さや女神の巫女ヴォルヴァの力で、その大部分が修復できたと伝えられた。巫女ヴォルヴァとなったことで体内を流れるマナの量が増え、それらが神経系をはじめとした損傷部分を回復させる働きを助けてくれたようだ。

 ヤクも同じく、無理な力の使い方で体の損傷が残っている。全回復までには時間を要するだろう。港町エルツティーンから発つ前、総合病院で身体検査を行ってくれたリゲルから、そう告げられていた。


「……世界巡礼の任、受けてよかったと私は思っている」

「どうした、藪から棒に」

「過去を受け入れる選択を、考えられるようになった。それは私にとっては、苦しい選択であり忌避すべき選択だった。今までは……な」


 景色を見下ろし、微笑む。久方ぶりに、こんな風に何も考えずに笑えている。


「それなのに、今はそれを穏やかに捉えられている自分がいる。過去を清算するのではなく、受け入れることの本当の意味。それに気付かせてくれるきっかけを、この任務で知れた気がするからな」

「そうか……。それを言うのなら、俺も似たようなことを感じているぞ」


 スグリが隣に立ち、同じように景色を見下ろした。


「俺自身の弱さ、未熟さ。それを突き付けられ、今まではそこから逃げていた。けどそれじゃあ、誰も救えていない。ただの自己満足だってな。傷つける事を恐れて優しくするのは、言い訳にも変わりうるってな」

「スグリ……」

「相手に寄り添う。そんな当たり前のことを、俺は理解できていなかったって気付かされた。だが世界に住んでいる多くの人間は、理解できていないことが当たり前になりすぎている。そんな世界を変えられるような一石を、俺は投じたい」


 スグリの表情は晴れやかなものだ。彼の中で、新しい目標ができたからだろう。目標ができたときの、少年に戻ったようなスグリの顔は好きだ。


「あまり無理をするようなら、お前の氷の棺を作るからな」

「お前はその前にしっかり謹慎して、しっかり休むことだ。仕事人間のお前が、一ヵ月も仕事から離されるんだ。禁断症状で基地に来ようものなら、ぶっ飛ばすぞ」

「先手を打たれたか」

「ぶっ飛ばすぞお前」

「冗談だ」

「シャレにならないぞ」


 そんな軽口の応酬をして、笑う。

 そんな自分たちを、夕焼けが見守っていた。

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