第百十七節 すべて世は事もなし

 世界巡礼はその後、問題もなく終わりを告げようとしていた。最後の目的地である灼熱の都市ムスペルースを中心としたスズリ地方の巡回も無事に終わったことで、この長期任務は完了となった。

 今は、ミズガルーズへ帰路についているところである。航海は実に順調であり、翌日には無事に本国へ到着する予定だ。


 ヤクは己の執務室で、最後の報告書をまとめていた。そこに訪ねてきた人物が一人。短く返事を返す。入ってきた人物はスグリだった。


「ヤク、報告書出来たぞ」

「ああ、すまない。私の方も、もう終わる」


 まとめていた報告書は、この世界巡礼で殉職してしまった部下たちの名前を記したものだ。この世界巡礼での殉職者は、その数実に四十名。多くの同胞を失ってしまった。その責任は自分たちにある。最後の一人の名前を書き終え、筆を置く。


「……拾えた骨は、すべて共同墓地に安置する。遺族には、そう伝える」

「そうだな。……本来なら、全員を生きて返すべきだったものを……」

「それは、俺たち二人の采配ミスだ。お前一人だけで抱え込もうとするなよ」

「……ああ……」


 彼はそうは言ってくれるものの、守り切れなかった申し訳なさに俯く。

 スグリはそんな自分に、一つ問うてきた。


「……お前、召還命令を受けるつもりか」


 机に置いてある、ミズガルーズ国王の名前が直筆されている書状。そこには自分への召還命令について、記されてあった。それが送られてきたのは、アウスガールズでの報告書を提出した、すぐあとのこと。今現在もミズガルーズ本国に帰還しているが、それとは別の命令となる。

 それが送られてきた原因については、予め推測出来ていた。アウスガールズでの己の行動についてが、理由だろう。いくら敵側とは協力関係でしかなかったとしても、一連の行動は見方を変えれば立派な反逆罪だ。一国の部隊長がそのような行為に及ぶこと、それは国にとっては一大事。責任問題と戒められてしかるべきだ。


「ああ。これは、私の自業自得だし……何より、受けてしかるべき命令だ」

「だが、もしそんなことになったら……」

「最低でも部隊長の職は解かれ、最悪の場合は……そうだな。国外追放の処分を、受けることになるだろう」

「……いいのか、お前はそれで」

「言っただろう、自業自得だと。それに、それ相応のことをしてしまったのは事実だ。処分は甘んじて受ける」

「そうか……」


 椅子から立ち上がり、執務室の窓から見える風景を一瞥する。これから職を失うかもしれないのというのに、不思議と心は穏やかでいられた。

 自分で言うのもなんだが、世界巡礼で国を発つ時は誰にも──スグリにでさえ、隙を見せないよう気を張っていた。それはひとえに、この任務が世界の平和を左右するものであると理解していたからだ。そんな重大な任務の中では、一瞬の隙も与えてはいけない、そんな固定概念に囚われていた。とはいえ、その結果として自分自身を制御できなくて暴走してしまったのだが。

 それが今では、こうしてスグリに安心して背を向けている。今までの己の行動で起きてしまったことにも、素直に受け入れることが出来ていた。

 一人思い耽っていたが、不意に背後から抱きしめられる。自分が一番安心できる、恋人スグリの腕の中。彼が静かに呟く。

 

「どんな処分が下ろうが、俺はお前を守るからな」

「……頼りにしている」


 惹かれあうように、口づけを交わす。波の音が、静かに部屋に響いていた。


 ******


 ミズガルーズに帰国する。国側が用意した凱旋パレードに、そこに住む住民たちは大手を振って自分たちの帰還を祝ってくれた。毎年恒例となっているそのパレードに、ミズガルーズ国内はしばしのお祭り期間となる。

 ヤクとスグリを始めとしたミズガルーズ国家防衛軍の人員はまず、軍の本拠地に帰還する。軍艦は軍専用の港に停泊させ、長期メンテナンスに入ることになる。軍艦は自分たちにとって、この世界巡礼を支えてきた影の立役者。今はゆっくりと休ませることにした。


 ヤクはひとまず、軍事基地の自分の執務室に戻った。実に一年振りの帰還である。それにしても期間を空けていたというのに、埃が一つもないとはどういうことだろうか。誰かが掃除をしてくれていたのだろうかと首を傾げていたところに、訪問者が現れた。


「おかえりなさい、ノーチェ魔術長」

「ああ──クルーク副部隊長か」


 執務室に入ってきた人物は、クルークと呼んだ男性だ。

 ゾフィー・クルーク。彼は自分が部隊長を務めるミズガルーズ国家防衛軍、魔導部隊の副部隊長。信頼のおける、己の右腕。


「長期任務、お疲れ様でした……と、申し上げたいところですが。聞きましたよ。……召還命令だなんて、何をしたんですか。貴方らしくもない」

「相変わらず手厳しいな」

「当然です。貴方の無茶に、何度ハラハラさせられることやら」

「すまない。本当に、お前たちには心配ばかりかけていたな」

「全くです。ですが……僕たち魔導部隊一員は、貴方を信じているんです。待ってますからね」


 手厳しくも信頼のあるゾフィーの言葉に、安心感を覚える。


「……もしもの場合は、頼む」

「話聞いてました?待ってますって言ったでしょ。もしもなんて誰も考えてません」

「だが──」

「いいから、ほら。時間なんでしょう?さっさと行ってください」


 無理矢理背中を押される形で、執務室から出た。彼の行動が理解できないまま、気持ちを切り替えて城へ向かうことにした。



 ミズガルーズ城、玉座の間。ミズガルーズ国家防衛軍の各部隊長や、国王の近衛兵や大臣が両脇に並んでいる。玉座にはミズガルーズ国王である、シグ・ガンダルヴ王が控えていた。

 国王は少年の姿をしているが、それは外見だけ。彼は第三次世界大戦開戦から生きている、この世界においては最古の魔術師であるのだ。

 ヤクはシグの前に跪き、頭を垂れた。


「シグ国王陛下。ヤク・ノーチェ魔術長、召還を受け参上しました」

「ヤク。世界巡礼の任、ご苦労でしたね」

「勿体なきお言葉です」

「早速ではありますが……貴方への今回の召還命令について、概ね予想はできていますね?」


 シグの言葉に頷く。世界巡礼中での、アウスガールズにおいての破壊活動。そのことに対する処分についてだろうと、シグに伝えた。その言葉に対し、シグが静かに告げる。


「そうです。貴方の行動について、私は処分を言い渡さなければなりません」

「先の件について、私は多大なる罪を犯しました。いかなる処分も、甘んじて受ける所存です」

「……わかりました。では、貴方への処分ですが──」


 一呼吸間おき、シグは自分に言い渡す。


「一ヶ月の謹慎および、一年間の減俸処分を科します」

「えっ……!?」


 思ってもみなかったシグの言葉に、信じられないと言わんばかりに顔を上げた。玉座の間も、一部の人間が狼狽した声を上げている。それでもシグは、泰然とした様子でこちらを見下ろしている。

 動揺を隠しきれず、シグを凝視してしまう。自らの行いに対しての処分が、あまりにも軽すぎる。少なくとも、今の役職ははく奪されると考えていたのだ。


「お言葉ですが、シグ国王陛下……。それではあまりにも、罪が軽すぎるのではありませんか……!?」

「不服ですか?私と信頼のおける人員たちとで、審議を重ねた結果なのですが」

「しかし、私は罪のない民間人も己の我欲のために殺しました。アウスガールズの村を、いくつも壊滅状態にもいたしました。それなのに、役職すら変えずに謹慎だなんて……。それではあまりにも、周りにも示しがつきません」

「そうですね、貴方は罪を犯しました。それでもね、ヤク。貴方が過去に受けた苦痛の数々が、貴方をそうさせてしまった。それは私にも責任はあります」

「いえ、そのようなことは決してありません!全ては私の未熟さゆえです」

「ヤク」


 シグは玉座から立ち上がると悠然とこちらに近付き、肩に手を置いてきた。


「貴方はもう、報われるべきです」

「陛下……」

「とはいえ、もしこの処分に貴方が思い悩むのならば、その心苦しさを罪に対する量刑にします。それに魔導部隊の兵達にとっても、私にとっても、貴方はまだ必要ですから。良いですね?」

「っ……!はっ……。シグ国王陛下の御心のままに」


 あまりにも寛大な対応に一礼する。しかし、まとまりかけていた空気を壊す人物がいた。

 玉座から近い位置にいた、ミズガルーズ国家防衛軍を纏め上げるハブギリヒ防衛大臣だ。ヤクやスグリにとっての上司にあたる人物である。彼は自分と対立するように仁王立ちになり、肥えた体をさらに大きく膨らませ、糾弾してきた。


「シグ国王陛下!それではノーチェの言う通り、あまりにも軽すぎます!周りに示しがつかないどころか、同じように手を上げる輩も出ましょうぞ!」

「ハブギリヒ、口を慎みなさい」

「それに、そやつはブルメンガルテンを"死に村"に貶めた大罪人!今回の件もまたその延長戦でしょう!」

「口を慎みなさいと、告げましたよ」


 シグはハブギリヒを諫めるが、彼の暴言にも似た糾弾は止まることがない。


「それともノーチェ!貴様がまたその淫乱な体で誑かした訳ではあるまいな!?研修生時代も、大いに楽しんだそうじゃないか?」

「っ……」

「あの時のように、その身体で男を咥えて泣いたんだろう!?」

「いい加減にしないか!!」


 ついにシグが声を上げる。怒気が含まれているその声に、玉座の間は静まり返る。シグはゆっくりとハブギリヒに近付きながら、尋問をするように彼に語り掛けていく。後ろ姿からでもわかる。少年王からは、圧倒的な存在感が放たれていた。

 本能的に畏れるような殺気の塊のような雰囲気に、ハブギリヒは勿論その場にいる全員が言葉を失う。


「……ハブギリヒ。ヤクが過去に受けた防衛軍内部からの凌辱について、何故貴方が知っているのです?」

「え……」


 シグの質問に、ハブギリヒから覇気が消えていくのがわかった。


「当時、彼への凌辱については内部告発で発覚しました。該当した部隊員については防衛軍から抹消し、国外追放の刑に処しました。事件を知るのは私と、被害者であるヤク。そして、私の周りの一部の人のみ。その一部に貴方は含まれていないのに、貴方は何処でこの事件を知ったのです……?」

「いえ、あの……その……」

「加害者たちからは事情聴取をしましたが、手引きしていた人物については結局分からないままでした。さらに軍内部で起きていた事件なのに、貴方は当時それについて認知していなかった、と私に告げましたよね」

「あ、ぁ……あ……」


 シグの威圧感に、ハブギリヒが尻尾を巻いて逃げようとした。すかさずシグは近衛兵を呼び、彼を拘束させた。床に畏まられたハブギリヒを冷静に見下すシグの存在感は、遠くからでも凄まじさを感じさせた。


「貴方がこの国の最後の膿だったようですね。現時刻をもって防衛大臣の任ははく奪。加えて貴方には、監獄島での終身刑を言い渡します」

「そ、そんな!どうかご容赦を……!」


 監獄島での終身刑とは、実質国外追放の刑だ。アウストリ地方の海に、ミズガルーズが作った人工島がある。そこは大罪人を投獄させる監獄島であり、脱獄率は作られた当時から今まで驚異のゼロパーセントという、通称死の島。

 そこでは強制労働は勿論、自刃することすら許されない。己の犯した罪を、一生をかけて償わせる島である。


「黙りなさい。その肥えた体も脳に付いた脂肪共々消滅させるいい機会です。それに、貴方のせいで苦しまなくてもいい苦痛を味わった者がいるのです。己の犯した罪を、しっかりと骨肉に刻み込みなさい」


 シグの指示で、ハブギリヒは玉座の間から退室させられたのであった。

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