第百十六節 取り戻した日常

 エイリークが、別人格のエイリークに宣言した翌日の早朝。その日も、エイリークはいまだ目を覚まさないケルスの見舞いに来ていた。相変わらず、何本もの管で繋がれている。シーツの上に出ていた手が目に入ったエイリークは、その手を優しく握った。どうか、目を覚ましますようにと願いながら。


 そんな神頼みが通じたのだろうか、ケルスに変化が現れる。

 まず最初に、彼はエイリークが手を握ったことに反応したのか、指がピクリと動いた。エイリークもそのことに気付き、思わずケルスを見やる。


「ケルス……?」


 彼の名を呼ぶ。その言葉が耳に届いたのか、睫毛がふるりと、震えた。時間をかけて、ゆっくりと瞼が持ち上がる。日向に照らされた草原の瞳が、光を取り戻す。

 もう一度彼の名を呼んだエイリークを、ケルスは捉える。視界に彼が移ると、ケルスは満ち足りた笑顔をエイリークに向ける。エイリークも、彼に負けない笑顔を精一杯作る。

 ナースコールを押して、担当医であるリゲルを呼ぶ。急変かとリゲルは血相を変えて飛んできた。しかし目が覚めたケルスを確認すると、一安心していた。一応検査するということで、ケルスは集中治療室から連れていかれる。診察室の前に座って待つことにしたエイリーク。


「エイリーク?」


 呼びかけられた方へ振り向けば、そこにはレイとソワンがいた。彼らを見ると、思わず走ってレイに飛びつく。彼のその行動に、最悪の結末を予感した二人だが、エイリークの歓喜溢れる声に、多少動揺する。


「え、エイリーク?」

「助かった……!」

「え?」


 エイリークが離れ、真相を告げた。


「ケルスの意識が戻ったんだ!助かったんだ!!」


 その言葉に数秒、理解を要したレイとソワン。徐々に内容が頭に入ったのか、意味を理解すると彼らにも笑顔が表れる。


「本当か!?」

「うん!偶然なんかじゃなくて、本当のことだよ!」

「やったねエイリーク!本当に良かった!」


 涙ぐむソワンに、自分のことのように笑うレイ。エイリークはその喜びを、再び噛み締めた。ソワンはすぐにヤクとスグリに報告する、と病院を後にする。ソワンを見送って、レイが一つ息を吐く。


「よかった、本当に」

「そうだね、本当……助かって、良かった」

「それだけじゃなくて、俺はエイリークも元に戻ってよかったって思ってる」

「え、俺……?」


 エイリークはレイに疑問の眼差しを向けた。それに対しレイは苦笑してから、胸の内にあった不安を彼に伝える。

 レイは、エイリークが自らの意識を消滅させてしまう未来を、予見していた。本当ならば引き留めたかったが、それでは結論を先延ばしにするだけだとも理解していた。そうならないように、願うしかなかったと。実際問題、意気消沈していたエイリークにどんな言葉をかけても、彼には届かなかった。


「だから、こうしてエイリークのままでいてくれて、俺は嬉しいよ」

「ごめんね、心配かけて」

「そこは、ごめんじゃないだろ?」


 悪戯っぽく笑うレイに、エイリークは微笑み返す。


「そうだね、ありがとう!」


 青空の下、笑いあう二人であった。


 ケルスは診察の後、個室に移動することとなった。傷が完全に塞がっていないので完治まで入院することになるが、命に別状はない。ひとまずは絶対安静。

 病室には仲間たちが全員集合していた。ケルスの病室の前には、ミズガルーズ国家防衛軍から、警備の者を出している。


「ケルス国王。まずは無事にお目覚めになり、なによりです」

「ありがとうございます。貴方方にも、感謝の言葉が尽きません。本当に、今回の件では本当にご迷惑をおかけしました」

「滅相もございません。……それで、ケルス国王。我々には船があります。もし望まれるのであれば、本国へお送りすることも可能です。いかがなされますか?」


 ヤクの言葉に、一瞬表情を曇らせるケルス。ケルスの記憶の中では、自国のアウスガールズはいまだカーサの支配から逃れていない。帰りたくても、そのことが頭に引っ掛かり判断を鈍らせている。そう吐露すると、意外な言葉がスグリから返ってきた。


「そのことなのですが、今現在アウスガールズは、ミズガルーズ国家防衛軍が保護しております」

「保護……?カーサから、解放されたのですか!?」


 アウスガールズは、理解しがたい状況になっていた。時は遡ること、約1ヵ月前。ちょうど、ヤクをヴァダースから取り戻した頃のこと。アウスガールズに巣食っていた世界保護施設の実験施設の全壊を確認した頃と同じくして、カーサは拠点としていたアウスガールズから撤退していた。まるでミズガルーズ国家防衛軍に、明け渡すかのように。

 判断を下すことに躊躇いはあったが、世界保護施設に乗っ取られるわけにはいかない。残存勢力がいないことを確認したスグリが、警備兵として兵を置いたのだ。

 以上のことを、スグリはケルスに伝える。


「よかった……!」


 ケルスはその報告に、涙ぐんで喜ぶ。しかしすぐに涙を拭い、伝えた。


「まだ、本国には帰りません。それよりも僕は、ミズガルーズ国王に僕の無事と、今回の件についての感謝を直接お伝えしたいのです。世界巡礼後で構いませんが、僕をミズガルーズまで連れてくださいませんか?」

「貴方様がそう仰るのであれば、我々は全力でサポートさせていただきます」

「ありがとうございます」


 ヤクとスグリは一礼すると、個室を後にする。個室に残ったレイは、改めて彼らに自己紹介する。


「改めて、エイリークの仲間のレイ・アルマだ。なんていうか、女神の巫女ヴォルヴァなんだ。よろしくな」

「はい、レイさん!よろしくお願いします」

「ちょっとレイ!ケルス国王にそんな馴れ馴れしく……!」


 ソワンが注意するが、ケルスは寧ろレイの態度の方が好ましいと説得する。狼狽えるソワンだが、ケルスがそう言うのならばと特段注意することもなくなった。しばし談笑していたが、ソワンとレイは先に軍艦に戻る、と席を立つ。エイリークが彼ら二人を見送るために、一度個室から退出した。残されたグリムとケルス。窓から入り込む風が心地良く感じたのか、目を細めたケルスである。


「……グリムさん、ありがとうございます」

「なんのことだ」

「エイリークさんのこと……。叱責してくれたんですよね?」


 彼の言葉に、素っ気なく返すグリム。


「バルドルのがあまりにも、目に余る様子だった。だから説教をしたまでよ」

「ふふ、それでもですよ」

「まぁ、あ奴にはいい薬だろう。……暫くは、貴様の杞憂も薄らぐだろう」

「はい」


 風が彼らを撫でる。ガラ、と扉が開いてエイリークが入室する。


「あれ、なんだよ二人して話してたんだ?」

「はい、色々話していました」

「どんな話?」

「貴様には関係のないことだ」

「え、ちょっと酷いよグリム!それはなくないかな!?」


 エイリークが慌てる。それを鼻で笑うグリムと、くすくすと控えめに笑うケルス。エイリークにとって懐かしい仲間たちとの、いつ振りかの日常的な会話だ。そんな軽口を交わしていたが、グリムが席を立つ。ちなみに、グリムとケルスも今はミズガルーズ国家防衛軍の保護下となっていた。先に軍艦に戻る、と返事も聞かずに部屋を後にした。


 しん、と静まる個室。外は夕焼けで、部屋の中を暖かい色に染める。先に口を開いたのは、ケルスだった。


「エイリークさん。僕を助けてくれて、ありがとうございます」

「お礼なんてそんな!俺の方こそ、ケルスには感謝してもしきれないよ!」


 それに、とエイリークは続ける。


「俺、ケルスがせっかく"俺"のこと助けてくれたのにさ……。俺なんてって消えようとしたんだ。ごめん」

「謝らないでください!エイリークさんをそんな風に思い詰めさせてしまった、僕のせいですから……!」

「でも、俺は決めたんだ」


 ケルスの手を握り、エイリークは彼の眼を見て話し始める。


「弱いまま消えたら、俺はケルスの気持ちも踏みにじることになるって気付かされたんだ。俺はキミを、もう泣かせたくない。まだ弱くて頼りないかもしれないけどさ……もう一度、俺にケルスを守らせるチャンスをちょうだい」

「はい……。はい……!」


 花のようにふわりと笑うケルス。エイリークはその笑顔を見て、ようやく安心感を覚えた。己の光を、取り戻せたのだと。

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