第百十五節 願いよ届けと

 港町エルツティーンの総合病院。手術室のランプは、無機質に灯っている。今そこでケルスが、緊急手術を受けていた。手術室の前ではレイとソワン、そしてグリムが彼の帰りを待っている。ヤクとスグリ、エイリークの三人は別室で各々怪我の処置を受けていた。


 カチン、とランプの明かりが消える。中から手術をしていたリゲルが出てきた。思わず彼に詰め寄る。


「先生!ケルスは……」

「ひとまず、手術は無事に終えられました。あれ程の出血と傷の深さから、あと少しで失血死してしまうところでした。しかし、幸いにもリョースアールヴ族の輸血パックが残っていましたので、対応させました」

「じゃあ、命に別状は……ないんですね?」


 レイの言葉に、表情を曇らせるリゲル。そんな顔に、不安がよぎる。


「先生……?」

「確かに、手術は無事に成功しました。ただ、あまりにも衰弱が進んでおりました。加えて、感染症を引き起こす可能性も少なくはありません。はっきり申し上げますと、ケルス国王の気力次第となります……」


 彼の言葉に絶句する。やがて手術室から運ばれる呼吸器や管に繋がれているケルスの姿が、目に入る。彼はこのまま、集中治療室で安静にさせる旨を伝えられた。


 怪我の治療を受けたヤクたちに、そのことを報告する。エイリークの表情は、沈み切っていた。とてもではないが、声をかけられる状態ではない。

 レイたちの報告を受けたヤクとスグリは、軍艦に戻ることとなった。その際、グリムからも詳しい話を聞くために同行させる、とのこと。レイとソワン、そしてエイリークが病院に残される。


「……エイリーク、今はケルスの傍にいてあげてほしい。師匠たちには、俺から説明しておくから」

「レイ……」

「色々、思うことはあると思う。でも俺たちがいたんじゃ、きっとエイリークの邪魔しちゃいそうだから」

「そうだね……。エイリーク、ケルス国王のこと、お願い」


 自分たちの言葉に対して、エイリークは静かに頭を下げてきた。話を聞いた限り、ケルスはエイリークの目の前で大怪我を負ったらしい。精神的なダメージは自分たちでは計り知れない。

 変に言葉をかけるより、そっとしておいた方がいいと判断した。先に軍艦に戻っていると告げ、ソワンと共に病院を後にした。


 ******


 レイとソワンと別れ、集中治療室に入る。無機質な心電図の機械音が、ケルスがまだ生きていることを証明していた。彼の表情は変わらない。そしてやはり、その瞳が開くことはなかった。


 いったいどのくらい、そこに居続けただろう。決断の時間は刻一刻と近付いてきていたが、ケルスの傍から動こうとはしなかった。

 時計の長針が、十二時を回ろうとしている。


(俺が消えれば、全部解決する……。もう、誰も……俺のせいで足を引っ張られることも、ないんだ……)


 ゆっくりと立ち上がる。心の中で旅で出会った新しい仲間たちへ、別れの言葉を送ろうとしていた。レイに感謝を。ヤクに敬意を。スグリに憧憬を。ソワンに謝恩を。抱いている想いをそれぞれ伝え、悔いはないと顔を上げる。しかしその頬には、冷たい一筋の涙が流れていた。

 そのことに混乱する。何故と自問自答した。己に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「俺は、消えるって決めたんだ……!今更、なんで……!?」


 口にしたことで、改めて理解してしまった。己の心の奥にしまい込もうとした、本心に。


 自分は、恐れを抱いていた。大切だと思えることの出来る仲間たちと二度と、会えなくなることに。エイリークは消滅するが、エイリーク・フランメという人物は死なない限り、消滅などしない。

 つまり表に立っている今の己は、天にも召されず地にも眠れず、永遠とも呼べる虚無の空間に存在し続けるということになる。死ぬことすら許されず、ただ生き永らえさせられる。

 それがとてつもなく恐ろしく、また孤独であるのだと理解してしまったのだ。さりとてこんな弱いままの自分では、また仲間を傷付けてしまうかもしれない。エイリークは何よりも、それが怖いのだ。


 決心はついているはずなのに、涙が溢れて止まらない。そんな自分の背後から、声をかけてきた人物が一人。


「何をしている……バルドルの」

「っ!?」


 急に声を掛けられ、心臓が飛び上がりそうだったとのちに語る。振り返ると、そこには腕を組んでこちらを見ているグリムがいた。


「泣いていたのか……。つくづく軟弱だな、貴様は」

「グリム……。どうして、ここに?」

「あの軍人共から漸く解放されたのだ。そのあとは私がどこへ赴こうとも、問題あるまい。消え入ろうとしている貴様に、忠告をする程度の自由は与えられよう」


 グリムの言葉に、思わず息を飲む。エイリークは自らが消えることは、誰にも相談はしていない。グリムはどうやって知ったのだろう。そう表情が物語っていたのか、グリムは一つため息を吐いてから、静かに語り始めた。


「貴様の様子を見れば、その程度のことを推測することはできる。概ね正解だろう。それにしても……守れなかったから、自身は消えてしまおうなどと。そこまで惰弱なバルドル族など、見たことがない」

「だって……俺はいつも、大切な仲間を助けられない。アウスガールズの時だって、あの時グリムが来てくれなかったら俺は確実に死んでいたし、レイたちはカーサに捕らえられていた……」


 言いながら悔恨の気持ちが蘇ってくる。握り締めた拳が震えた。


「何がバルドル族だ……!こんな弱い"俺"が誰かを守るなんて、出来なかったんだよ……!!」


 言葉にすることで、己の弱さがダイレクトにのしかかってきた。それでもグリムは冷静に話しを続けた。


「自惚れるな。わからんか?貴様が消えたらリョースのが、どれだけ深く悲しむか。そもこんな怪我を負ったのは、なんのためだ?」

「なんのためって……」

「……リョースのが守りたかったのは"エイリーク・フランメ"ではない。"貴様"を守りたかったのだ」

「"俺"……?」

「捕らえられていた間も、リョースのは貴様の身を案じていた。そして、いつも貴様を信じていた。いつか必ず、また会えると」


 グリムの言葉が、心に深々と刺さる。ケルスがそこまで、自分のことを信じていてくれたことに嬉しさと、申し訳なさを感じた。


「何より"貴様"がそのままで在り続けることを、あやつは望んでいた」

「俺が、俺で在り続ける……」

「消えるのは楽であろうな。面倒事や厄介ごとにも、無関係でいられるのだから」


 何もそんな言い方をしなくてもいいじゃないか。小さく反論するも、事実を述べたまでだと一刀両断される。


「貴様は自分が消えることで、己の周りにいた者がどれだけ悲しむかも理解しておらん。……リョースのは、特にな」

「そんなの理解してるよ……!」

「ほう?ならばリョースの負った怪我の理由を、貴様は否定するというのか」


 彼女の言葉を前に、背後のケルスを一瞥する。未だに呼吸器やらが取り付けられ、無機質な心電図の音が響いていた。痛々しいケルスの姿に顔を歪める。彼にここまでの大怪我を負わせてしまった原因なんて、嫌という程理解している。それを否定は出来ない。


「逃げるな、バルドルの。リョースのに負い目を感じているのならば、その罪と向き合って生きていけ」

「……グリムだったら、どうするんだよ。自分のせいで大切な人を守れなくて、死ぬかもしれないって状況に追い込まれたとき……」

「……私は、その罪を償うために生きる。そう在り続けることから、目を背けん」


 グリムの言葉には、何処か重みがあると漠然と感じた。


「グリム、もしかして……」

「余計なことに首を突っ込むな。そんな時間があるのならば、己の生き方をさっさと決めることだな」


 これ以上話すことはない、と言わんばかりにグリムは背を向ける。その後は彼女は何も言わぬまま、集中治療室から立ち去った。


 一人残され、考える。

 今しがたまで、自分が消えればそれで全てが解決すると決め込んでいた。しかしグリムからの言葉で、消えるということは逃げることだと指摘された。

 その言葉で我に返ることが出来た。自分は、仲間たちに恩がある。それを返さず、仇で返すようなことをしようとしていたのか。


 タイムリミットがくる。別人格の自分が、声をかけてきた。


『決まったか?』

「……ああ、決めたよ」

『なら、答えを聞こうじゃねぇか』


 一つ深呼吸をする。

 決意を固めて、宣言した。


「悪いけど、所有権は渡せない」


 己の返答に対して、別人格の自分はおどけた様子を見せた。


『おいおい、正気か?テメェがこの身体を支配してても、本来の力は使えない弱いままだぞ?そうなりゃ、また今のような状況に陥るのがオチだろ』

「確かには弱い。バルドル族の力も十二分に使えないし、仲間に守られてばかりだ。でもだからって、そこから逃げたら俺は本当に、成長しない」

『へぇ?』


 自分の中で去来する仲間たちの顔。

 きっとこれからも、後悔も反省も沢山するとは思う。だけどもう、それらから逃げたくない。


「"俺"がなりたい俺になる。そう、決めたんだ」

『……くっ、ははは!こいつぁ傑作!テメェ、自分の言っていることわかってんのかねぇ!?これからも散々苦しむだけなのを、受け入れるだ!?まんま人間の真似事か!はははっ、腹痛てぇ!』


 散々爆笑したのち、別人格の自分が告げてきた。


『いいぜ、今回は契約破棄してやる。だが気を付けとけよ?俺様はいつだって、この身体を乗っ取れる力がある。気を抜いてたら掻っ攫っちまうからな』

「……わかっている」

『そうかい。ならとことん肝に銘じておけよ、エイリーク』


 その言葉を最後に、別人格の自分は心の奥へと姿を消した。

 ふう、と息を吐く。思った以上に気を張り詰めていたらしく、肩の力を抜く。別人格の己に宣言した以上、一層強くなると目標を立てるのであった。

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