第百十三節 奏でるは誰への
「
炎のマナで大剣に炎を纏わせ、さらに重ねて風のマナを与える。立ち上がる動作と連動させ、下から上に切り上げるようにして大剣を振るった。間近での攻撃にヴァダースの反応は遅れる。彼が攻撃に呑まれた隙を狙い、エイリークはケルスの手を取り、砕けたホールの柱に隠れた。
「エイリークさん……」
「ケルス、どうしてここに。それに、グリムは……」
「グリムさんは、レイさん達が。僕は……エイリークさんを探しに……」
「俺のことなんて、気にするなよ……!!」
エイリークはケルスの足元を見る。ケルスの足裏からは血が流れている。エイリークは服の裾をビリビリと破くと、止血のためにケルスの足に巻いていく。何もないよりはマシだろう、と。そんなエイリークを、ケルスは不安そうに見る。
裾を結ぶと、エイリークはケルスの頭に手を置いた。
「何があってもここからは離れるなよ、いいな?」
「え、エイリークさ──」
ケルスが呼び止める前に、エイリークはヴァダースへ向かって行った。ケルスはエイリークの背に、不安な面持ちで視線を送った。
最後に見えた彼の顔は、インヒビジョンを飲んでいないときの禁断症状──彼の暴走状態──の時と、同じ顔だったと。ここに来る前、カウトが自分に告げたことは本当だったのだろうか、と。
パラパラと破片が舞う。目の前にいたヴァダースは、寸でのところでエイリークの攻撃を防いでいた。彼の前に浮かんでいる、回転している緑色のダガーが、そのことを物語っていた。
「全く……不意打ちとは貴方らしくありませんね、バルドルの者」
「チッ……」
「そのお体で、まだやるつもりですか?」
冷たく笑うヴァダースに、エイリークは噛みつく。
「うるさい……!」
睨むエイリークの瞳を見て、ヴァダースは一つ納得した。
「ようやく合点がいきましたよ。貴方のその異常な力、それをコントロールできていない状況。そしてそんな状態なのに、いまだ自我を保てている様子……。バルドル族について、以前本で読んだことがあります」
バルドル族は、狂戦士族とは別に"双極種族"という別名がある。バルドル族にはその強靭な力を持つ凶悪な人格と、そんな凶暴な性格とは全く正反対の心優しい性格。二つの人格を生まれながらに持っている。心優しい性格の人格は、その理性がゆえにバルドル族の力を存分に使えない。
通常のバルドル族は、朗らかな性格を邪魔なものとして考え、そちらを封じ込めている人物が多い。しかし稀にインヒビジョンという性格を抑制する薬を常用し、人間の真似事をするバルドル族もいるという。エイリークはこのタイプのバルドル族である。
「カウトとの戦闘をモニターで拝見していましたが、恐らく貴方は一度死にかけたのでしょう。その際に人格の境界が曖昧になり、本来の力を持つ人格と貴方はその二つの魂を融合させることによって、蘇生した」
「……」
「それがまだ定着していないから、人格交代を上手く扱えない。……まぁ、これは私の憶測にすぎませんがね」
ヴァダースの推測をただ静かに聞いていたエイリーク。いやに静かでいたが、やがてエイリークは不気味に笑みを浮かべる。それに警戒するヴァダース。
「テメェの言っていることは、間違っちゃいねぇ。ただ一つを除いてな……」
大剣を構えるエイリーク。
「自我も何も、俺様もエイリーク・フランメなのは変わりねぇよ!!」
突如ヴァダースの目の前からエイリークが消える。咄嗟のことで、ヴァダースの反応が遅れた。警戒を強め、体勢を低く構えた。
「何処に……」
「右だ」
エイリークがいた場所はヴァダースの死角である、右側だった。不意を突かれたヴァダースの体に、エイリークは強烈な拳を入れる。そこにマナを加え、力一杯に上空へとヴァダースを吹き飛ばす。さらに、体勢の崩れたヴァダースよりも高く飛び上がり、大剣を振り上げた。
「ぐっ……!」
「喰らいな!
ヴァダースを突き落とすように、エイリークは大剣を振り下ろした。直撃を避けられなかったヴァダースは、勢いよく地面に叩きつけられる形で攻撃を受けた。そのあとに、余裕綽々と地面に降り立つエイリーク。
しかし今のエイリークは、朗らかな性格である彼ではない。
「確かに、体の所有権の大半は俺様にはない。けどな、多少の間なら俺様は表の人格を押しやって表に出てこれる。前よりは自由になって、少しは嬉しいぜ?」
凶暴な性格である、裏のエイリークはニタリ、と笑う。ヴァダースは苦悶の表情を浮かべるどころか、くつくつと笑う。そんな彼を怪訝な表情で睨むエイリーク。
「……何がおかしい」
「いえ、失礼。……どうやら貴方はその凶暴さを、本来の三分の一も解放できていないようなのでね。それがわかったら、おかしくてつい」
「あ?ふざけたこと言って──」
言葉を続ける前に、エイリークの視界に銀色の糸が見えた。ヴァダースの方へ行こうにも、手はおろか足の一歩も踏み出せなくなっていた。決してヴァダースに怖気づいたのではない。動こうにも、手足を含めた身体全体に銀色の糸が絡まっているのだ。ピアノ線のように、ぴんと張りつめている。見た目よりもかなり頑丈なもので、切れる素振りが見えない。
「テメェ……」
「理解しましたか?……そうです。先程私が放ったのは、銀のダガー。それは特殊な構造になっていましてね、糸のような形状に変化させることができるのです」
「ざけやがって……!」
「貴方が己の人格の枷を全て解除していたら、こんな小細工はすぐに気付いていたでしょう。本来の力を思うように扱えないとは、なんとも不憫なものですね」
くい、とヴァダースが指を動かす。まるで操り人形のように、エイリークの動きは完全にヴァダースの掌の上だった。ギリ、と歯ぎしりするエイリーク。思うように動けない彼を小馬鹿にするように、ヴァダースは笑う。
「こんな糸程度……!!」
目の前に見えた糸を齧って引き千切ろうとする。しかし頑丈なのは変わらず、糸は微動だにしない。
「無駄ですよ。銀のダガーは銀龍の鱗から出来ています。その程度で切れることは絶対にありません」
コツコツ、と静まり返る空間に響く足音。辺り一面は炎に包まれ、ごうごうと炎が泣いているはず。不気味にも感じる空間だ。
ヴァダースはダガーを懐から取り出す。
「先程はケルス国王に免じて、とは言いましたがね……。前言を撤回しましょう。やはり貴方は今ここで、私が処刑します」
赤いダガーに、炎が纏われる。
「これにて終幕。貴方の命はここで尽きて、この戦いは終わる……」
ふわりと浮かぶ、いくつもの赤いダガー。
「この、クソ野郎……!」
「さぁ、今度こそ本当にお別れです」
最大限の火力のダガーが、エイリークを照準に捉える。
「
一斉に向かってくる炎のダガー。万策尽きたかとエイリークは目を閉じた。
いつまで経っても、痛みも熱さも感じないのは何故だろうかと、彼はゆっくり目を開ける。すぐに見えたのは、安心感を覚える美しい銀の流水。
意識が覚醒していく。
その流水の正体を、エイリークは知っているから。
「な、何故……。何故そんなことを……?」
動揺を隠しきれないヴァダースの声すら、エイリークの耳に届かない。無音が彼を包んでいる。
遅れて、温かな体温を感じる。優しく包み込む、朗らかな日向のような暖かさ。
「……、け、る……?」
上手く口を動かせないでいた。
体温の正体、ケルスはゆっくりとエイリークから離れ、彼を見上げる。ケルスの背には、ヴァダースが放った赤いダガーが深々と突き刺さっていた。彼はエイリークの頬に手を添えると、美しく微笑んだ。
「よか……た……。ほん、とうに……」
エイリークの頭が、白で埋め尽くされる。
「……ケルス……?」
名を呟く。ケルスはエイリークの瞳を見ると、満足そうに微笑んでから散る。
どさりと重力に従って落ちる銀の花。エイリークの開かれた瞳から、涙のように血が一筋零れた。
直後に、柱が崩れる音と彼の悲鳴が空間中に木霊した。
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