第百八節  覚醒した魂

 ここは、何処だろう。辺りに明かりはない。どこまでも続く、暗く深い闇。

 何故自分は、こんな空間の中にいるのだろうか。今しがたまで、あのカウトと戦っていたはず。それなのに。

 疑問が尽きないが、背後から呼びかける声が聞こえた。


「テメェは死にかけているんだよ」

「っ!?」


 聞き覚えのある、耳に馴染んだ声に動揺し、振り向く。その姿を見て、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。しかし納得もできる。声に聞き覚えがあるのは、当然だった。

 何故ならそこにいた人物は──。


「お、俺……!?」

「よう、表の俺」


 視線だけでも震え上がるほどの殺気を纏う、赤黒い血の瞳。己とは違い剣先のように鋭く、触れるだけで切れてしまいそうな目つき。その瞳の血の色は滲んだかのように、輝く金髪の毛先にも差されている。

 バルドル族本来の、戦闘を好むもう一つの人格。もう一人の自分が、そこにいた。


「ここは、いったい……」

「ぁあ?ここはテメェの潜在意識の中。つっても、俺様が疑似的に作り出した空間だ。俺様は裏にいる間はただの精神体でしかねぇが、こういう時は便利だって思わざるを得ねぇな。お陰で三途の川に渡る直前に、こうしてテメェを引っ張ってこれたってわけだ」


 はは、と笑うもう一人の人格。ただし彼は直後に表の人格である自分に、心底嫌味を含ませたかのようなため息を吐く。


「チッ。テメェはあのカウトって野郎の術に嵌って殺されかけてんだ。テメェが死んだら俺様も消えるってこと、わかってんのか?」

「俺が、死にかけている……?」


 何も覚えていない。カウトの発動した術で、何体もの竜が出現した。それらが自分に襲い掛かってきたことまでは、覚えているのだが。


「ったく、テメェは偽善者かぁ?あのカウトって野郎が言っていた通り、バルドル族は冷酷無残。闘いでしか存在理由を見出せない種族だ。人間の真似事なんかできる、心優しい種族じゃねぇんだよ」

「な……お前!!」


 もう一人の自分の言葉に激昂する。とはいえ彼にとって、表人格である自分の言葉は軽いものなのだろう。相手にもせず、ニヤリと人外じみた笑みを浮かべた。


「どうだ、ここはひとつ。俺様と協力しねぇか?」

「協力……!?」

「そう。このままだとテメェも俺様も仲良くあの世行きだ。テメェと俺様は表裏一体の関係で、二心一体だ。けど俺様とテメェは同じであって同じじゃねぇ」

「どういう、ことだよ」


 別人格の自分は笑い、掌にマナを収束させる。そこには、自分では生み出せないような力が生じていた。

 それで実感させられる。別人格の自分は己よりも強い力を使える、と。これが、本来のバルドル族の使える力なのか。


「理解したか?俺様の力を使えば、まだ間に合う。無事にテメェも俺様も、娑婆に逆戻りできるってワケだ」

「そんな、ことが……」

「ただし、俺様が表のテメェを侵食していく可能性がある。ようは二心一体の状態から融合して、一つの体に一つの魂として宿る。最終的にどっちが残るか、それは俺様にも分からねぇがな」


 さぁどうする、と愉しそうに問いを投げかけられる。その誘いに葛藤する。

 もし彼の意見に乗れば、己が消滅してしまう可能性がある。だがここで断れば、生き返ることはできない。そうなってしまったら、グリムもケルスも助けることができない。己の消滅か仲間の救出か。


 そんな迷いの振り子が揺れに揺れたが、カウトに叫んだ言葉を思い出す。


 ──助けてやる……。絶対に、俺の命に代えてでも!!


 その言葉は、本物だ。たとえ自分がどうなろうとも、大切な仲間だけはどんな手を使ってでも救い出す。そう宣言したじゃないか。

 確かに危険な賭けかもしれない。それでも、ここで唯一の可能性を無駄にするわけにはいかない。


「……わかった、やってみよう。だけど協力っていうからには、俺の願いにも協力してくれ。必ずグリムとケルスを助けるって!……約束してくれよ」

「ハァ、とことん甘ちゃんときた。まぁいい、それだけは守ってやらぁよ」


 別人格の自分が、掌に収束させたマナを開放する。周囲に鬼火のようなマナが浮かび上がり、足元に陣が広がった。


「これは……」

「さぁ、イチかバチか運命のルーレットだ!最高の賭けの始まりだぜ!!」


 両手を広げ、道化師じみた芝居をする別人格。

 彼が印を結び、詠唱を始める。


「我、汝、双極の魂を持つ者。我と汝の楔を放て、器に魂を満たせ。此処に蘇らせたまえ、全ては開放の刻のため!解!!」


 彼が唱えた瞬間、扉が開く音がした。

 何処からともなく光が溢れ、やがてそれは自分たちを包んだ。


 ******


 静寂が包む空間。術を放ったカウトは、足元に倒れ動かなくなったエイリークを見下ろしていた。


「……死んだか」


 答えは返ってこない。カウトはエイリークが叫んでいた言葉を思い返す。



 戯言なんかじゃない……!ケルスもグリムも、俺の……俺の大事な仲間だっ!!



 あの時の彼の言葉を考える。バルドル族のくせに、こいつは本気で人助けをしようとしていた。本来の性格とはかけ離れた、異質な人物。


「……とんだバルドル族だったな」


 独り言ち、踵を返す。とにかく、命令されていたバルドル族の殺害は終わった。であればヴァダースに報告し、ケルスを解放してもらう。そのために本来は敵となる存在に、今まで協力をしていたのだから。

 フロアを出ようとした瞬間、背後で何かが動く音がした。その音が、進もうとした足を止める。


「……待てよ……」


 耳を疑う。ドスが入っている声だが、確かにそれには聞き覚えがある。冷汗が頬を伝う。考えるも、論より証拠と振り返る。直後に、息を呑むことになる。


「俺は……まだ死んじゃいない……」


 ゆらり、ゾンビのように立ち上がるのは、今しがた倒したはずのエイリークだ。だがなんだろうか。この、一瞬で場を圧倒する絶対的な威圧感は。


「俺を殺すんだろ……?早く来いよ」


 纏う殺気が様変わりしているように思えた。とても同一人物だとは思えないほどに。しかし生きているのならば、ヴァダースに嘘の報告をすることになってしまう。それはできない。再び槍を構えなおした。


「まだ死んでいなかったのかよ?……まぁいい。それならそれで、今度は確実に仕留めてやる」


 駆け出す。持ち前のスピードを最大限に発揮する。

 狙うは一撃必中。


 心臓を確実に貫くため、速さと鋭さに残りのマナを総動員させる。


"貫くは即死の棘"シュトーセンシュタッセル!!」


 槍を突き出す。確実に心臓を捉えた、はずだった。


「なっ……!?」


 目を見開く。槍は心臓に届いていない。

 いやそれどころかエイリークは、槍の先端を片手のみで受け止めていた。


 衝撃を受ける。確実に心臓目掛けて槍を繰り出した。速さも十分にあった。

 なんの構えもしていない目の前の男に、その槍を止めることなど不可能なのに。


「それだけか?」


 エイリークの顔を見る。血の気が引く。

 今の彼は、先程見た人物の顔などではない。瞳に宿るのは、狂気の一言。それ以外に表現のしようがなかった。感じているこれはなんだ。


 緊張?恐怖?絶望?

 混乱が止まらない、収まらない。


 いったい、彼は、何者だ?


 そんな自分の動揺を気にも留めず、それはもう優雅に。エイリークががら空きの体に手を添える。マナが収束する。それは、とても残酷で底冷えしそうなほどの、冷たい光。


「死ね」


 収束したマナが爆発する。


 その衝撃は、間近で爆発を受けたようなダメージだった。

 瞬間に吹き飛ばされ、勢いそのまま壁に激突した。受けたダメージは予想より酷かった。カウトが意識を失う前に最後に見た光景は、倒れている自分を横目にその場から立ち去るエイリークの姿であった。

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