第百四節 光と影の交錯
シャサールが繰り出す影の攻撃を斬り伏せていく。ここまでは特に大きな動きもなく、お互い準備運動程度の力しか出していない。どちらが先に仕掛けるか、決めあぐねている状態だ。
その膠着状態から先に動いたのは、シャサールの方だった。鞭をしまい、術を展開し始める。
彼女の影が大きく蠢き、生きているかのように膨張していく。不可思議な動きで床を這いずり、やがてスグリの影すら呑み込む。
「アンタは生かしておけって言われたけど、この間の借りを返さなきゃ気が済まないわ。別に五体満足で捕獲しろなんて、命令されてないんだからねぇ!」
床一面が彼女の影に呑まれる。シャサールの詠唱に呼応するように、影が形を成してむくりと実体化していく。
それに対し抜刀の構えを取り、反撃の準備をする。彼女のこの技は初めて見る。ならば攻撃される前に斬り伏せるのみ。
「我の影、汝の影、此れより出るは晩鐘を告げる死の影なり!」
蠢いていた影が実体化されていく。成人男性の平均身長より倍はある体躯をしている、黒い陰だ。召喚術の類には見えないが、果たして。
「
最終的に形作られた影は、まるで死神だった。影で作られた真っ黒の骨の手には、巨大な鎌が握られている。影の死神からは、生気の類は一切感じられない。
シャサールがつい、と指を動かす。その動きに連動するかのように、死神は鎌を振り上げてこちらに向かってきた。動きは早いが、仕留めきれないスピードではない。
間合いを測り、構え、抜いた。
「"抜刀 朧月夜"!」
死神が鎌を大きく振りかぶった瞬間、抜いた刃をそれに向かって水平に薙ぐ。次いですぐに右手を返し、相手の足元を狙って刃を振るう。一瞬間の二連撃。
その攻撃を前に、影は呆気なく崩れ落ちる。
大した威力もない術だったが、いったい何が目的だったのだろうか。斬り伏せたはずなのに、胸のざわつきが治まらない。
シャサールを一瞥すれば、彼女は余裕綽々といった様子で笑みを浮かべていた。
「無駄よ。影は無限なのだから」
その言葉の意味は、直後に理解することになる。斬られたはずの影が蠢き、再び大鎌をこちらに向けてきた。
「っ!?」
抜刀、いや、間に合わない。
腰に下げていた武器を鞘ごと引き抜き、納刀した状態で死神の大鎌を受け止める。存外に押し切ろうとする力は強く、受け止めるだけで精一杯だ。
このまま鍔迫り合いが続くか。
そう思っていたが、予想だにしなかった事態が起こる。
スゥ──。
死神の大鎌が鞘をすり抜け、鞘とスグリの間へと侵入してきたのだ。武器が切られたわけではない。大鎌そのものがポルターガイストのように、消滅して再び実体化してきたのだ。
予測できない事態に対処が間に合わず、そのまま大鎌に身体を切られた。
しかし──。
「……?」
感じたのはピリッとした痺れるような痛みだけで、出血はおろか傷さえない。影の死神は追加攻撃をしかけてくるでもなく、そのまま床に溶けた。
「……なんの真似だ」
「いいえ、アタシの術は成功したわ。アンタは今、死の呪いをかけられた。ついでだから教えてあげる」
彼女は懐から葉巻を取り出し、火を付ける。優雅にそれを吸い始め、告げてきた。
「死の呪いのカウントは全部で四回。カウントが一つ減るごとに、アンタの身体の一部ずつが動かなくなる。最後のカウントで心臓は停止……。ゲームオーバー」
「死の呪い……?」
「さぁ、どうする?解除には術者……つまりアタシを倒さないとならない」
試してくるようなシャサールの瞳。それにスグリは抜刀して答える。どうするか、だと。そんなもの決まっている。
「なら、お前を倒すまでだ」
狙うは一瞬。シャサールの戦闘スタイルはどちらかと言えば、レイのような中距離型。自身が扱う鞭もあるが、大半が魔術による影の使役。間合いを詰められさえすれば、接近戦型の自分の方が早く攻撃に移せる。
そう考え、足を前へ踏み出した。
「させないわよ」
くい、とシャサールが指を動かす。
何処からか、カチン、と時計の針が動く音が響く。直後、違和感を覚えた。
「っ……!?」
「まずは……最初のカウント」
するり、握っていた武器が落ちる。ガタガタと右手が震えている。右腕全体が、切り離されたかのように意思に反し、指一本すら動かすことができない。
「あら、好都合。最初はその右手が動かせなくなったようね」
「チッ……!」
「ほら、休んでいるヒマなんてないわよ」
シャサール自身の影が実体化する。これは以前相見えたときに見た技。
シャサールの影が形を成し、突撃を仕掛けてくる。その手には、影で作られたらしい剣が握られていた。
仕方ない。動かない右手は捨て、まだ自由の効く左手で武器を構える。
勢いよく繰り出された影の剣。受け止める宝刀草薙。ギリギリ、とお互いの武器が衝突する。慣れない左手での受け身だ、鍔迫り合いの均衡は徐々に崩れていく。
とはいえこちらも、技を出せないわけではない。
ぐ、と足を踏み込む。マナを武器に送る。
刀身に光が宿った。
「"秘剣 月影"!」
弧を描くように刀を腕全体で動かす。どうにか影のシャサールの剣を弾いた。守るものがなくなった影のシャサールの体が開かれる。
そこを、光のマナを纏った刃で両断した。
切られた端からしゅわ、と消え去る影。
次のカウントが来る前に終わらせなければ。再び間合いを詰めに走った。
シャサールはそんなスグリを、見下すように笑う。
「アンタって案外、馬鹿なの?もう忘れたのかしら」
彼女が詠唱を唱え始める。スグリの影が四方に広がり、床から現れていく。この術は、以前自分が倒れたあの技だ。なおさら形成が完了する前に仕留めなければ。
「"秘剣 疾風"!」
左切り上げに剣を振るう。風圧にマナを加え風の刃にするこの技で、どうにか彼女の注意を逸らせれば──。。
ただし慣れない左手での攻撃はその軌道を外し、彼女の背後にあった光源の一つに直撃するだけだった。パリン、と音を立てて割れた光源の影響で、辺りが少し暗くなる。
「残念。利き手が使えないなんて、騎士としては痛手だったようね」
「ッ……」
「終わりよ、覚悟なさい」
勝利を確信したのか、シャサールが大きな術を展開し始める。
「
四方に広がっていたスグリの影たちが、シャサールの前に移動していく。まるで彼女を守るかのように影は蠢き、床から這い出てくる。己の影の分裂した姿。
「アンタから生まれた影だから、同じように右腕は使えないわ。だけど四人のアンタが一斉に攻撃すれば関係ないことよ!」
四体の影が攻撃の準備をする。それだけでは飽き足らず、シャサールは再びこちらに向かって指を曲げる。
瞬間、視界が下方へ下がる。左膝から崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまった。左足の感覚が感じられない。
「これで、カウント二つ目!」
「ぐ……!」
四人の影のスグリが掲げた武器に、マナが収束していく。
絶対にあの攻撃を受けてはいけない。
だがどうすれば。右手も左足も使い物にならない。このままでは負ける。
「絶望なさい」
彼女の言葉には返答せず、前を見据える。シャサールなそんな己の態度を、潔く負けを認めたと思ったことだろう。
そんな彼女に対して、笑みを浮かべた。
「そいつはどうかな」
静かに告げる。その言葉に呼応するように、マナを収束していたはずの四体のスグリの影が、解かれたリボンのように散らばった。マナが行き場をなくして空間上に霧散する。
シャサールによって作り出されていた影も、元の主人たちのところに戻る。見たところ何の脅威もない、ただの影になり果てたようだ。
状況が理解できないらしく、シャサールは狼狽しているようだ。そんなことはあり得ない、彼は詠唱らしきものは一つとして唱えていない。ならば何故と、表情が物語っている。
「周りをよく見渡してみな」
動く右足でどうにか立ち上がり、何が起きたのかを説明する。シャサールはその言葉の意味を確認するかのように、警戒しながら周囲を見渡すそぶりを見せた。
一体何が起きたのか。簡単に説明すると、ルーン文字をこの場にある光源に刻んだのだ。刻んだルーン文字は、変化をもたらすという意味を持ってる。
ルーン文字の強制力は絶対だ。つまり変化をもたらすルーン文字を刻まれた光源は、灯されている状態から変化しなければならない。灯されていた光源の変化はつまり、光の消滅。ルーン文字を刻んだ光源は一つだったが、全ての高原に効力を及ぼせたのは僥倖だった。
影は光なくしては生まれない。そもそも光源が灯っていなければ、影を生み出す際に必要な光が存在しないということになる。シャサールの術の最大限の弱点は、光と影そのものにある。影を失ってしまえば、彼女の技は途端に無力化されてしまう。
「いつの間に……!?」
「あったのさ、一度だけ。俺がルーン文字を使い、光源を支配することができるタイミングが」
それはつい先刻のこと。
慣れない左手での攻撃で、光源を破壊してしまったあの時。
ルーン文字は詠唱の類は必要としない。刻むだけで効果が発揮されるものである。あの時攻撃をする際に、予めルーン文字を刀身に刻んでおいたのだ。そして攻撃に乗せてそれを振るった。
攻撃が自分の対象した物体に直撃すれば、おのずとその物体にもルーン文字が付与されるのだ。何故そんなことが可能だったのか。
それは自分が、ルーン文字を自在に操ることのできる女神の
状況を理解したらしいシャサールが、ぎり、と表情を歪める。
「やるじゃない……。けど、それでアタシに勝ったなんて──」
「させるか!!」
補助魔法を使い、右足に風のマナを収束させたブースターを付与する。動かない左足代わりだ。地面を勢い良く蹴り、一気に間合いを詰める。
「"秘剣──」
抜身の刀で、一度シャサールを一閃する。月の光で土塀にうつる我が身の影を切るが如く。迎撃が間に合わないらしい彼女が、一身にその斬撃を受ける。
加えて彼女の後方に回り込んで、もう一太刀浴びせた。
「"無影刃"!!」
連続の剣技に、シャサールはなす術がなかったようだ。だが彼女もカーサの四天王の一人。そう簡単に倒れてはくれない。
「あんまり、舐めるんじゃないよ!!」
振り返る際にマナが収束される様子が見える。この近距離では防ぎきれまいと、彼女の瞳が物語っていた。
「
炎で編まれたマナの衝撃波が直撃する。抜き打ちのはずなのに、重い一撃。彼女の読み通り、術を受けきれずにそのまま壁に激突した。
「ごほっ……!」
「これで終いよ!!」
こちらにトドメを刺そうと、シャサールが再びマナを収束し始める。
その時、ひときわ大きな音と共に空間の壁が砕け散った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます