第四話

第百一節  決戦のはじまり

 港街エルツティーンから海を挟んで近い大陸、ヴェストリ地方。太陽があまり顔を出さず、大陸のほとんどが山や渓谷に囲まれているため、別名山岳大陸とも呼ばれている。また大陸の奥に存在していると言われるヴァーナヘイムにいたっては、黒い森と山岳に囲まれている。人々が住むにはあまりにも過酷な環境だ。

 それ以外にも理由が存在する。大陸の東側にあるスヴァルトには、人間から忌み嫌われている種族、デックアールヴが住んでいると噂されているのだとか。それゆえ悪魔の地域と名付けられ、禁足地とされている。

 さらに大陸北部のヴァーナヘイムには、カーサのアジトが存在している。そんな死の危険と隣り合わせな大陸に永住する物好きは、あまりいないだろう。


 そんなヴェストリ地方の玄関口アルヴ。その奥にある荒廃の街ボースハイト。

 そこに天高く聳え立つ黒い塔に、カーサがいるとの有力な情報を掴めたらしい。このらしい、とは確実なものではないが十中八九カーサだろうと推測できるものだ。

 世界巡礼の先遣隊の一人の亡骸が、つい今しがたミズガルーズ国家防衛軍の軍艦に転送されてきた。ご丁寧に黒い針で、まるで剣山のように身体中を針まみれにされた状態で、だ。見覚えのあるその黒い針はカーサ四天王の一人、カサドルが使用するものに間違いないと、彼と相対したヤクが断言した。


 先遣隊には無事にアルヴに降り立った後、周辺の探索を任せていた。彼らは問題なくボースハイトに到着し、早速潜入を開始した。彼らは自分たちが鍛え上げたミズガルーズ国家防衛軍の兵士。少なくともカーサの下っ端に後れを取ることはないと、自分もヤクも踏んでいた。だが、カーサの四天王には歯が立たなかったようだ。

 遺体に突き刺さっている黒い針は、確実に急所を捉えていた。加えて遺体となった兵士の懐には、出発時には装備していなかったボイスレコーダーが添えられていた。第三者が入れたのか、確認を急いだ。


 ボイスレコーダーには、こんな音声が残されていた。


『世界巡礼中のミズガルーズ国家防衛軍の皆様がた、ようこそここボースハイトにおいでくださいました。よくこんな辺鄙な土地まで、ご苦労様です。そんな任務に忠実な貴方方に敬意を表し、私たちが簡単なおもてなしを用意いたしました。是非、足を運んでいただきたい。来てくださった暁には、貴方たちが追い求めていたを解放いたしましょう。……お待ちしておりますよ』


 録音されていたのは聞き覚えのある、カーサの最高幹部の声だった。内容から察するに、この兵士にボイスレコーダーを仕込み、軍艦まで転送させたのは彼だろう。

 さらに確実なことが一つ。これは明らかな誘導だ。自分たちとの戦いの地を、そこに定めるつもりなのか。


 スグリと、リハビリから回復して軍に復帰したヤクは判断を迫られた。敵側からのこの挑発に乗るか否かを。この音声の内容が本物である確実な証拠はない。とはいえ嘘だとも言い切れないのが、正直なところだった。

 内容が本当ならば、エイリークが追い求めている仲間である彼らグリムとケルスの救出が可能になる。彼がカーサと対立する最大の理由だ。ミズガルーズ国家防衛軍としても、彼と約束を交わしている。仲間を救うために協力を惜しまないと。


 しかし嘘だと仮定した場合。思わぬ敵襲によりミズガルーズ国家防衛軍として大きな痛手を受けることは、火を見るよりも明らか。

 さらに最悪の場合、女神の巫女ヴォルヴァであるレイ、ヤク、スグリが捕虜になってしまう可能性も否めない。軍艦も無事でいられるかどうか。万が一破壊されようものなら、世界巡礼の任も遂行ができなくなる。


 挑発を仕掛けてきた相手はあの、カーサの最高幹部。腹の読めない人物だ。彼からの提案に、スグリとヤクは試された。

 話し合いを重ねた結果、その挑発を受けることにした。ただし被害を最小限にとどめるため、兵士には軍艦や周辺での待機を命じた。有事の際には、本国に連絡が取れるようにと。ソワンにもその手伝いを命じる。

 ソワンはその命令に、不服な様子を見せつつも従った。彼自身も理解していたのだろう。己の力では、足手まといになると。


 これらの情報の他にも、危険であることを告げられたうえでレイとエイリークは動向を志願してきた。本来ならこんな重大な任務に一般人──ましてや子供を巻き込むわけにはいかないのだが、言っても彼らは聞かないだろう。最初のアジト襲撃の時だって、自分たちが制止したにもかかわらず飛び込んできたのだから。

 無理と無茶だけはするなと釘を刺して、スグリとヤクは二人の動向を許可した。準備を整えてから、荒廃の街ボースハイトに降り立つ。眼前にまざまざと存在感を示している黒い塔。その塔の入口には、武装をして警戒態勢を見せているカーサの下っ端たちがいる。まずは肩慣らしにと、突入を始めた。


 ******


 黒い塔の上部にある一室。その部屋には、警報音が鳴り響いていた。

 ヴァダースは席を立ち、にこりと笑う。


「……来ましたか」


 上機嫌そうな自分に声をかけてきたのは、カーサ四天王の紅一点であるシャサールだ。


「どうしたのよ、そんなに楽しそうに」

「いえ……。ふふ、身体中が疼いて仕方ないのですよ」

「……彼らか」


 部屋にいたカサドルが不敵に笑う。ヴァダースは彼らへ向き、一つ頷くとそのまま指示を出す。


「彼らの相手をしてあげてください。ただし、女神の巫女ヴォルヴァは殺してはなりません。あくまで無力化したのちに、我々がその力をいただくとしましょう。……カウト」


 部屋の入口に視線を向ける。そこには壁にもたれかかり、気怠そうな雰囲気を醸し出しているカウトの姿があった。彼は視線だけこちらに向け、返事を返す。

 そんな不遜な態度を気にも留めず、ヴァダースは彼に告げた。


「貴方はここ最近、よく我々に協力してくださっていますね。今回も、お願いされてくれますか」

「……依頼の内容にもよる」

「簡単なことです」


 カウトの返答に対し、ヴァダースは一呼吸おいてから冷徹に告げた。



「あのバルドルの者を、殺してください」



 その言葉にカウトはピクリと眉を顰め、反論してくる。


「最初に言っただろう。俺は人殺しの依頼は受けない。そんな依頼は願い下げだ」


 カウトの言葉に便乗するように、シャサールが制止を求めようとした。


「ちょっとヴァダース、それは──」

「これが最後の依頼です。あの者を殺してくだされば、貴方を解放しましょう。ケルス国王も、貴方に預けます。……よろしいですね?」


 瞳の月光に、鋭く冷徹な輝きを宿す。反論は許さない、言外に匂わせる。

 そんな自分に対し一つ大きなため息を吐いたカウトが、渋々と言った様子で依頼を了承した。


「……仕方ねぇ。ケルスさんのためだ」


 壁に立てかけてあった己の武器を手に持ち、カウトはその部屋から立ち去った。

 我に返ったシャサールとカサドルが、ヴァダースに苦言を呈する。


「……恐れながらヴァダース様。あの者がそこまで、信頼のおける者とは思えないのですが」

「そうよ。きっとあいつ絆されて、に寝返るわよ?」


 二人の心配に、苦笑しつつ答える。


「心配はいりません。彼は自分の守りたい者と己の信念を天秤にかけるような、そんな愚か者ではありませんよ。あれでも一国の王子なのですから」

「それはそうかもしれないけど……」

「私は彼に関しては、何も心配していませんよ。それに……」

「それに?」


 彼女の質問に、言葉を濁す。


「──いえ、なんでもありません。さて、貴方方もそれぞれの配置についてください。これから楽しくなるのですから」

「……御意」

「わかったわよ」


 命令を受け取ったカサドルとシャサールも、部屋を出て行く。

 一人残ったヴァダースは、小さく笑う。


 ──それに、あの者カウトはバルドルの者よりも遥かに強い。


 言いかけた言葉を心の中で呟き、ヴァダースも部屋を後にする。


 決戦の火蓋が、切って落とされようとしていた。

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