第八十六節 師の心弟子知らず

 スグリの執務室には、レイがいた。そこでスグリに全てを話した。

 自分の正体が、"戦の樹"と呼ばれる干渉者であること。干渉者と女神の巫女ヴォルヴァの関係性と役割。そして、自分が今朝方に視てしまった夢。それらを全部告げて、返ってきた答えはこうだった。


「……知ってしまったんだな、全部」

「え……?」


 スグリのその口ぶりは、まるで今話した内容を予め知っていたかのようなそれだ。このことはまだ誰にも──エイリークにすら告げていない。なのに何故。

 呆然としている自分に苦笑して、彼は続けた。


「俺もまた、女神の巫女ヴォルヴァだからな」


 一度目を閉じて、スグリが古代文字を唱える。彼の言葉が古代文字だと理解できるのは、それが古代文字だと知っていたからだ。女神の巫女ヴォルヴァとして完全に覚醒したとき、自分の中にその知識が入り込んできた。自分はユグドラシルから産まれたのだから、今思えば知識があって当然だった。

 古代文字を唱えたスグリに、神聖な風のマナが集まっていく。普通の風のマナとは違う、不純物が一切ないマナだ。とても穏やかなのに、厳格なそれ。

 彼が目を開けると、そのマナがまるで主を守護するように、スグリの身を覆っていた。彼の奥に感じる女神の名前が、口から零れる。


「ヴェルザンディ……」

「そうだ。現在を司る運命の女神、ヴェルザンディ。俺は彼女の力を受け継いだ、女神の巫女ヴォルヴァなんだ」

「現在を、司る……」

に対して、俺の巫女の力は作用するらしくてな。それにお前ほどの力はないが、時たま夢を視ることもある。過去に起きたことが正しく未来へと繋がるように、見届ける役目……言わば監視者だな」


 彼は夢を視たことで、レイがスグリの正体を知ることも、レイ自身の正体を知ることも知っていたと話した。いつか言わなければならないと思っていたと、告白して。他にも、こうも続けた。


「……お前なら、最後の女神の巫女ヴォルヴァが誰か。もう、分かっているんだろう?」

「うん……。師匠、だよね……」

「そうだ。あいつは過去を司る運命の女神、ウルズの力を受け継いだ女神の巫女ヴォルヴァだ」

「師匠は、そんなこと一言も……」

「あいつは俺やお前の比じゃないくらい、この力に翻弄された。持ちたくなかった力を持たされたことや、勝手に決められた運命を、酷く恨み呪っていた。だから誰よりも、その存在を否定している。言葉にもしたくなかったんだろう」


 スグリの言葉には、心当たりがある。いつもヤクは、レイの夢の話や女神の巫女ヴォルヴァについては、信用しなかったし否定もしていた。その力の正体を知っているなら、信じてもいいはずの内容を。

 しかし、ガッセ村でのあの言動──心の奥底からその力を憎んでいるような、あの罵倒。そこまで言うこともないだろうとあの時は思っていたが、そういった事情があるのなら理解はできる。


「そんなあいつに俺自身も、自分が女神の巫女ヴォルヴァだなんて、言えるわけがなかった」

「……俺、そうとも知らずに師匠に……」

「あいつは確かに、女神の力を疎んでいる。でもな……それ以外にも、あいつが頑なに否定していたのには、別の理由もあったんだ」


 スグリがこちらを見据えて、言葉を続けた。


「お前を守るためだ、レイ」

「俺を……?」

「あいつはある時、女神の巫女ヴォルヴァの力で知ってしまったんだ。自分の前に現れた"戦の樹"が、最後どのような結末を迎えるのか。そんな未来にしたくなくて、お前を巫女の力から遠ざけようとしていた」

「知っていたの……?俺が巫女の力を使い続けたら、どうなるのか」

「ああ、知っていた。ここ最近ではなく、ヤクがお前を拾った、あの雨の日に」


 衝撃の真実に、全身を雷で撃たれたような感覚を覚えた。膝に力が入らなくなり、ソファに倒れこむように座る。


 今から十年前。ミズガルーズの路地裏で一人蹲っていたところを、ヤクが拾ってくれたのだ。自身もまだ若くて大変な時だったろうに、それでも自分を見捨てず助けてくれた。優しく介抱をしてくれた、命の恩人。あの日に、彼は夢を視たのだと言う。


「夢渡りと言ってな。女神の巫女ヴォルヴァが他の巫女と接触した時や、意識した時に視るんだ。その女神の巫女ヴォルヴァが歩む命運、結末の未来を。ただ予知夢とは似て非なるもので、視た夢も徐々に変化するんだが」


 それでも、その日に出会った子供の未来を視てしまったヤクは恐怖したそうだ。目の前で生きている人物が迎える、最後の結末が実現することを。そして決意したのだと。絶対にそんな未来にならないよう、実現を阻止すると。

 女神への憎しみも、その時さらに増したのかもしれないとスグリは語る。こんな力があるから自分もレイも、希望ある未来を選べない。自分はまだしもどうしてこんな子供にまで、運命なんて身勝手なものを押し付けられなければならない。夢渡りで視たいを見たヤクは、そう慟哭していたとらしい。

 語られる真実が、深く刺さって染み渡る。自分はずっと──。


「ずっと師匠は……俺を守ろうと……!?」


 最近、ひどく涙脆くなっている気がする。胸を締め付ける幸福と感傷がうねり、ぽろぽろと涙になって零れ落ちる。感謝と後悔。それが交互に大波となって自分を襲う。

 しばらくの間スグリに慰められながら、レイは泣いた。


 ******


 ようやく落ち着けた頃、目元を拭ってからスグリに礼を述べる。


「……スグリも、俺がどうなるのか、わかってた?」

「ああ。……昔、ヤクから聞いたからな。お前がその巫女の力をどう使うかは、お前が決めることだ。でもな、俺だってあいつと同じ気持ちでいる」


 まっすぐ射抜くような視線に、どれほど守られているかわかる。彼の言葉を胸に留め、レイも真剣な眼差しでスグリを見据えた。自分も、言いたいことがある。


「それを言うなら、俺も……俺たちも、師匠にもスグリにも幸せでいてほしい。あの時スグリは、刺し違えてでも師匠を止めるなんて言ったけど……。そんなの絶対にダメだからな!?」


 それは数日前、スグリからブルメンガルテンが死に村となった原因と、その奥の真実を聞いた時に彼が話した、ヤク奪還についてのこと。あの時スグリは、すでに自分たちが助けたヤクが本人ではないことに気付いていた、と。そして、自分がすべてに決着をつけると告げられた。その際にスグリから言われていたのだ。


「俺は、例えヤクと刺し違えたとしても、ヤクを止める。そしてあいつを、過去の呪縛から救う」


 自分が死んでも、ヤク救出を優先させる。そのための指示も部下に出したと。そのことに反対する部下は、今もいる。

 どちらか一人を切り捨てるなんてできない。どちらの部隊長にも多くの恩がある。それを返す前に、自分たちの前から消えないでほしい。食堂でそう零していたヤクとスグリの部下の言葉を、この間偶然耳にしたのだ。


 それは自分たちにとっても同じことだ。それに、気付いていることもある。

 ヤクの隣には、スグリがいなければならないのだと。自分では、ヤクに気を使わせてしまうかもしれない。彼が素の姿を曝け出せるのは、唯一スグリの隣だけだと。


「俺にとっては師匠もスグリも大切で、大事な家族のようなものだから……!」

「……言っただろ。これは、俺とあいつで決着をつけなければならないって。邪魔は許さない、とも言ったぞ」

「覚えてるよ!だからこれは俺の我儘、俺の勝手なお願い!あの時も言ったけど邪魔はしない。けど、死んだら絶対許さないし花なんて供えてやらないからな……!」


 身を乗り出して恨めしそうにスグリを凝視する。虚を突かれたような表情の後に、力なく笑って彼から頭を撫でられる。


「そこまで言われたら……まぁ、善処する」

「善処じゃなくて約束してくれよ……」


 その言葉に悪いな、と謝罪された。むす、と頬を膨らませる。

 ふと、廊下から慌ただしい音が聞こえてきた。それは段々と近付いてきて、扉の前で止まる。大きなノック音に、緊急性を感じた。スグリの部下の人の慌てるような声が耳に届く。彼が短く返事をして、入るように促す。


「失礼します!ベンダバル騎士団長、至急報告いたします!」

「どうした、またノーチェ魔術長による村の襲撃か?」


 その問いにいえ、と首を振る部下。遅れて、エイリークとソワンも執務室に入ってきた。


「お伝えします、カーサがガッセ村を強襲!村は半壊状態まで追い詰められているとのことです!!」


 その言葉に、執務室内に緊張が走った。

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