第八十四節 動揺と混乱に包まれて
「師匠……」
力なく呟いたレイの言葉が痛々しい。
信じたくなかったのだろう。それはレイに限らず、この場にいる全員が思ったことだろう。自分も、信じたくなかったのだから。こんな再会は望んでいなかった。
ごうごうと燃え盛る炎を背に、ヤクは何も言わずこちらをただ見据えている。
最初にその沈黙を破ったのは、スグリだった。自分たちの前に出て、ヤクと対峙する。ぐ、と握りしめた拳は何を表しているのだろう。
「その子を殺したのは、お前か?」
ヤクは答えない。沈黙が重い。
その反応に少し希望を抱く。もしかして殺してはないのでは、と。しかしその希望は薄氷のように脆く崩れ去る。
「そうだ」
彼から帰ってきた言葉は、スグリの問いを肯定するものだった。つまり、キルシュを殺したのは誰でもない、ヤク自身であるということ。それでもまだ信じられずにいるのか、レイが食い下がる。
「どうして……!?キルシュは師匠に一番懐いてたじゃないか!師匠だってキルシュのことを守りたいって言ってたのに、それなのにどうして殺せるんだよ!?」
「黙れ。お前たちに言ったところでわかるまい。それに私には、弟子などいない」
ヤクの痛烈な言葉。今までどんな時でも折れまいと佇んでいたレイに、初めて絶望の色が浮かんだようだ。存在の否定のような言葉に、当事者ではない自分までも心が抉られる。
レイのショックは相当らしく、彼から覇気が消える。崩れ落ちそうになる体を、ソワンが支えた。見ていられなくて、思わず口を挟む。
「ヤクさん、言い過ぎです!レイはヤクさんのことを本当に心配して……!」
──「やれやれ、理解しようとしない者の言葉は耳障りですね」
自分の言葉を遮られるように、聞き覚えのある声が聞こえた。ヤクと自分たちの間を割るように、ゆっくりと現れた人物。憎き宿敵、ヴァダースだ。
ただし今は彼への憎しみよりも、彼とヤクが共にいることへの混乱が強い。どうして、敵対している相手と一緒にいるのだろう。カーサが洗脳でもしたのか。
「お前っ……ヤクさんに何をしたんだ!?」
「とんだ風評被害ですね。世界保護施設が行うようなことを、我々カーサが施す訳ないじゃないですか」
「ウソを言うな!じゃなきゃヤクさんがそこにいるわけが──」
ないだろう、と続ける前に氷の言葉が降り注がれる。
「責任転嫁も甚だしい。物事の見極めもまともにできないのか」
ガツンと頭を殴られたかのような衝撃だった。呆然と前を見る。いつもの冷たい笑顔を張り付けているヴァダースと、鋭い敵意と殺気を纏わせているヤクが、目の前にいた。それらは明らかに、自分たちに向けてのもの。まざまざと見せつけられる深い溝。思考が一気に凍り付く。
「ヤク、さん……?」
ヤクが杖を掲げる。
自分たちを取り囲むように、無数の氷の刃が浮かんで。
「あ……」
殺される、直感的に思った時にはすでに遅くて。
条件反射で、目を瞑ってしまった。
「"抜刀 木枯し"!!」
瞬間、地上から吹き上げるような強烈な風が吹く。恐る恐る目を開ければ、自分たちの前にはスグリがいて。彼に守られる形で、筒状に突風が吹き荒れていた。その風が、ヤクの放ったであろう攻撃を防いでくれている。
やがて風が止む。力をなくしたただの氷が、バラバラと地面に突き刺さる。自分たちには、怪我の一つもなかった。
いまだ動揺している自分たちをよそに、己の武器を構えていたスグリ。その背中からは、何処か決意のようなものを感じる。
「スグリさん……」
スグリとヤクの間に流れる沈黙の意味は、なんだろう。しばしその異様な空気が流れたが、ヤクが一つ溜息を吐く。そして一人踵を返す。
「……時間を無駄にした。あとは貴様がどうにかするんだな」
「人使いが荒いですねぇ」
「勝手に割り込んできたのは貴様だろう」
「ふふ……それもそうですね」
ヴァダースが言葉を交わしたヤクが、そのまま歩き出す。
そんな彼を、スグリが一度引き留めた。
「一つ答えろヤク。村を襲ったのは、全部お前の意思でか?」
彼の足が止まる。
答えはこうだった。
「……何を当たり前のことを」
それだけ答えると、彼は森の奥へと姿を消してしまった。その様子を見て、ヴァダースが声をかけてきた。
「さて、どうにかしろとは言われましたが。今の私には戦闘の意思はありませんし、どうでしょう。ここはお互い、大人しく引き下がりませんか?」
そんな提案、到底飲めるわけがない。反論しようと、やっと動くようになった身体を動かそうとして、スグリに手で制された。表情を目で追う。言葉に出さなくても、全て物語っていた。今はヴァダースと戦闘をする時ではない、と。
彼に止められ、ようやく冷静に判断ができた。肉体的なダメージはないが、精神的なダメージが深刻だということに。レイの様子を見れば、それは明らかだった。そんな状態で戦闘ができるわけなんて、到底できないだろう。まだまだ未熟だと自分を責める。
スグリは何も言わなかったが、抜き身のままだった武器を納刀した。
「彼がこの付近の村を全滅させるのが先か、貴方が彼を止めるのが先か。私はせいぜい傍観者として、楽しまさせていただきますね」
それだけ告げて、ヴァダースも自分たちの前から姿を消した。
残された自分たちは、ひとまず燃えているハイマート村の炎を鎮静化させるために行動を移す。スグリの指示とソワンの声掛けで、炎はハイマート村から漏れ出ることなく消え去った。消火中はなんとか我に返り作業をしていたレイだったが、やはりショックは大きかったらしい。横顔に陰りが差している。
最後軍艦に戻る前に現状を確認する、とスグリが村の中へ向かうことになった。レイとソワンには、高機動車まで戻っているよう指示を出している。
自分も戻るように言われたが、調査に付いて行くと告げる。何かわかるかもしれないと伝えれば、了解を得られた。ソワンにレイのことを頼み、スグリの後を追う。
ハイマート村に入る前、入り口に放置されていたキルシュの亡骸は埋葬した。少ししか会話ができなかったけど、心優しくて純真な子だった。ヤクだってそれを誰よりも、わかっていたはずなのに。謎と疑問ばかり膨らむ。
村の中は、木と肉の焼けた臭いで充満している。肺が腐りそうな強烈な臭いだ。口と鼻を抑えながら、村の奥へ進んでいく。少し進んだ先に見えた、コンクリートで出来たであろう建物が見える。世界保護施設の実験施設だと、スグリが教えてくれた。
とはいえ目の前の建造物が元は建物であるということを疑いたくなるほど、見る影もない。崩れた瓦礫の上を歩いていく。今歩いている場所には、研究者たちの血痕がびっしりと乾いたペンキのようにこびり付いていた。所々に肉片も落ちている。
肉の焼けた臭いと薬品の臭いで、鼻がへん曲がりそうだ。奥に進むにつれ、それは強力になっていく。頭痛と吐き気も覚えたが、どうにか堪える。
そのまま歩き、とある空間のような場所にたどり着く。そこでは臭いが一気に和らいだような気がした。息がしやすい。試しにと、口と鼻を押さえていた腕をどかす。
「息ができる……」
その空間だけ、他の場所よりも空気が綺麗なようだ。スグリもそれに気付いたらしく、同じように口と鼻を解放する。理由はそこを見渡して、理解した。その場所だけ、燃えた形跡はあるが何も落ちていなかった。薬品も、肉片も、血痕も。その場所だけが綺麗さっぱり、何もない。
「……報告書にあった通りだな。恐らくこの場所は、被験者たちがいた部屋だったんだろう」
報告書にあったという内容は、ここに進む前に聞いた。子供の生存者はゼロと記載があったらしい。そして被験者たちを幽閉していたであろうこの部屋も破壊されていたが、その部屋には血痕の一つもない。何より、子供の死体はどこにもなかった。
スグリは何か考えに至ったらしく、何かを考える仕草をとる。彼に倣うように、頭で必死に考える。
村を襲撃したのは、ヤク。その彼が、被験者の子供たちだけは殺さなかった?
でもそうなると、新しい疑問も出てくる。
「それじゃあ、子供たちはどこに……?」
ぽつりと呟いた言葉は、朝靄の中へと静かに消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます