第八十三節 望まぬ形の再会

 レイたちはハイマート村へ急いでいた。

 もしかしたら、ヤクがキルシュを殺してしまうかもしれない。そう思うと不安ばかりが先走る。彼がキルシュを殺してしまったら、もう彼は後戻りできなくなる。漠然とした予感が、レイの脳裏を掠めて仕方なかった。


「師匠……」


 ガッセ村で喧嘩別れのようになってしまったことを、今になってひどく後悔する。数日前助けたヤクは、本物の彼ではなかった。スグリからヤク奪還についての案を伝えられた時、そう聞かされた。薄々そうじゃないか、とも感じていた。感じるマナに違和感があったから。それでも、どこか信じたくなかった自分もいたのだ。そのことも合わさって、自分の情けなさが一層重くのしかかる。

 そんな自己嫌悪に苛まれていたが、ふと声をあげる。


「スグリ、ちょっと止まって!」


 高機動車を運転していたスグリに声をかけ、止めるようお願いする。急な頼みだったが、彼は安全に停車してくれた。何事かと尋ねられる。それもそうだろう、突然止まってなんて言ったのだから。急いでいるということは理解している。それでも無視できない感覚を、確かに感じたのだ。


「師匠の、マナだ……」


 感じたものはヤクのマナの残滓。微かだが、間違いない。


「ヤクの?」

「間違いない……。ソワン、ちょっと地図見せて」


 助手席に座っていたソワンの地図を見せてもらう。今走っている場所は、軍艦を泊めている海の街ビネンメーアから20キロ程離れた位置。地図上では、そこより南西方向に進むとガッセ村に。このまま北方向へ進むと、目指しているハイマート村へと辿り着く。感じたマナの方角は、ここより北西方向。指でなぞると、一つの村が記されていた。スグリが、ぽつりとその村の名を呟く。


「アートリテットだと……」

「知っているんですか?」

「ああ……。レイ、マナを感じた方角に間違いはないんだな?」

「うん……間違いないよ」


 レイの答えを聞き、沈黙するスグリ。その行動と口ぶりから、その村を知っているようだ。


「……念のためだ、確認しに行く。幸い、ハイマート村の通り道だ」

「いいの?」

「気になるんだろう……?」


 その問いに頷けば、再びスグリは高機動車を走らせたのだった。


 ******


 数十分後、彼らはアートリテットに到着する。村に入る前にまず、大きな違和感を感じる。目に入ってくる村の景色は一見すると普通の、のどかな村だ。なのに、音がまるで聞こえない。生活音はもちろん、村人の声も、足音も、なにもかも。その村だけ、全ての音が遮断されているような感覚。はっきり言ってしまえば、異常である。それでも不思議と、鉄錆のような匂いはしない。

 論より証拠と、レイたちは一度高機動車から降りて村へと入る。


「本当に、音がない……」


 村人たちはいるのだろうか。若干の申し訳なさを感じつつ、庵の一つを覗く。


 村人は、布団の中で寝ている。一瞬死体かとも思ってしまったが、近付けば規則正しい寝息が聞こえた。しかしこんなに近付いても、ましてや音を立てても起きないなんて。よほど眠りが深いのか。そう思ったが、ソワンがとあることに気付く。


「……この人、暗示がかけられている」

「暗示?」


 彼が言うには、強力な暗示だという。どんなものか分析はできないが、予想は立てられるとのこと。村人の様子を見るに、眠り続けろという類の、身体的作用を促す暗示なのではないか。外傷も見当たらないことから、村人に危害を加えるというよりも、邪魔をさせないためにかけたのでは。


「でも村人全員になんて……何のために?」

「そこまでは、ボクもわからないよ」

「……そういうことか」


 途端に踵を返し、走り出すスグリ。その背中を慌てて追いかけた。


 辿り着いた場所は村の最奥にある、大きな屋敷。ガッセ村の、スグリがいた屋敷の倍はある。目の前の門には、門番が二人いた。倒れている彼らの体には、何か赤い結晶のようなものが突き刺さっている。それは明らかに、なんらかの攻撃を受けた跡だ。彼らに近付くと、体感温度が低くなるのを感じた。異様に寒い。それにその赤い結晶から感じるマナは、紛れもなくヤクのものだ。

 どうして、と倒れていた門番の身体に触る。


「つめたっ!」


 死体は体温を失い、冷たくなるのは自然の摂理だ。しかしこの身体は、そんな自然な冷たさではない。身体そのものが凍ってしまったようで、触り続ければ凍傷してしまうだろう。こんな現象を引き起こす術に見覚えはない。だがヤクの放った術であることは、間違いない。原因を考える前に、再びスグリが走る。


 土足のまま廊下を駆け抜ける。ちらりと一瞥すれば、辺りには門のところで見たような死体がごろごろと転がっていた。胸が締め付けられる。この惨劇を、ヤクが引き起こしたというのか。そんなこと、信じたくない。

 先を走っていたスグリが、屋敷の最奥の襖を勢いよく開く。遅れて到着し、部屋を見て絶句した。


 部屋一面が、真っ赤に染まっていた。床はもちろんのこと、壁や天井にさえも。真っ赤な手の跡も、あちこちにべったりと着いている。開いた襖の手前には、首から上の部分が転がっていた。その表情に張り付いていたのは、絶望の二文字。これは、一思いに殺されたわけではないのだと理解してしまう。その人物に、見覚えがあった。


 この人は、いつかガッセ村で見たコウガネという人物だ。

 あの時、ヤクとこの人の間に何か、確執があったように見受けられたけども。


 スグリの後ろを、恐る恐るついて行く。首のない死体は、もちろん真っ赤に染めあがっている。羽織っている着物の裾を少し捲れば、突き刺された痕がいくつも残されていた。じわじわと苦しみを与える、拷問のように。傷跡を見れば、わざと致命傷を避けていたことがわかる。あまりの凄惨さに、言葉が見つからない。思わずスグリをちらりと盗み見た。複雑な表情な彼の横顔。その表情から、どんな思いが去来しているのかは分からなかった。


「ヤクは、確実にここに来たな」

「うん……」

「……ハイマート村へ急ぐぞ」

「は、はい」


 そのまま振り返ることなく、スグリは部屋を後にする。声をかけようにも、思いつめた雰囲気の彼に、何も話しかけられなかった。そして感じてしまう。


 自分の師匠は、もう進んでしまっていたのだと。


 アートリテットを出る頃には、夕日はすっかり山の中に姿を消していた。

 重い空気のまま、高機動車は走る。彼らはアートリテットを出てから、一言も言葉を交わせないでいた。自分の知っている人物のあまりにも惨い行動に、動揺を隠せないのが見てわかる。自分もそうだ。

 しかしその沈黙は、前方から届いた爆発音に破られた。


「今の音……!?」

「っ、飛ばすぞ、掴まっていろ!」


 燃料がオーバーヒートしそうな勢いで、彼らは道を突き進んだ。


 ******


 ハイマート村に到着して、レイは思わず立ちすくんだ。

 村全体が、炎に包まれている。その村の入り口には、黒い外套に身を包んだ人物が一人。その人物の足元には、子供のような物体が転がっている。


 炎に照らされ、輪郭がはっきりする。見たくなかった、キルシュの死体だった。


「うそだ……」


 誰に対して発した言葉なのか、レイ自身にも理解できなかった。

 ただ、理解してしまったことが一つある。黒い人物が手にしていた杖に、見覚えがあった。まるで氷そのものから出来たような杖。その杖を扱う人物は、自分の知る中では、たった一人。


 黒い人物が自分たちに気付き、振り向く。深くかぶっていたフードを外し、顔が露わになる。凍てつかんばかりの、氷の瞳。その視線が、自分たちを貫く。


「師匠……」


 そこに立っていた人物は、攫われていたはずのヤクだった。

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